<移された模様>
会津二十一地蔵尊の第一番。
イボ抜き、うおのめ抜き、リュウマチに霊験があるという。
▲(会津若松市大戸町上小塩438)
創建は詳細不詳だが、霊庵芳椿大和尚が開山といわれる。
松屋山、曹洞宗。 本尊は聖観世音菩薩。
恵倫寺の末寺。
天正年間(1573〜1592)、僧/伝室が中興。
昭和52(1977)年、近くの野にあった白虎隊士/鈴木重季と兄/重光の墓を、住職が境内に移した。
▲(会津若松市大戸町上雨屋125)
[余談]
慶長11(1606)年、真言宗の僧/東岳が南原村にて草創。
慶安4(1651)年、願成就寺の法弟/学雲が住持となり、浄土宗に改宗。
臨終山、浄土宗。 本尊は、阿弥陀如来。
▲(会津若松市大戸町大字上三寄南原916)
現在は南原公民館として活用の模様。
慶長3(1598)年、越後/雲洞庵が上杉景勝公に従い、堺沢 (界沢) 村北に移る。 雲洞庵は、喜平次 (10歳・上杉景勝公) と小姓/与六 (5歳・直江兼続) が幼少期に学んだ寺。
慶長6(1601)年、上杉景勝公か再び米沢へ移ると寺も従った。
開山に関与した堺沢村主/金屋尾張守 (松本氏一族の末裔) も米沢に従って会津から去った。
慶長11(1606)年、減封のため残留せざるを得なかった家臣たちが存続させ、維持管理。
瀧澤山、曹洞宗。 本尊は釈迦如来。
元禄4(1691)年、堺沢 (界沢) 村から大豆田村に移す。
天正元(1573)年、僧/智宏が黒川城下/北端の木戸千軒道に洞雲寺、大豆田村 (林泉寺跡地) に東 (洞) 雲寺として建立とも。
城下の寺は、戊辰の役で西軍に略奪・放火され消滅。
今は常金寺の末寺とのこと。
殉難者墓あり。
▲(会津若松市大戸町大字上三寄大豆田83)
昔々、大水で吊橋が流された時、2匹の大蛇が現れ橋となって村人を救った。 水が引いた後に蛇の形をした大きな石を見つけ、感謝した村人たちによって祠が建立されたと云い伝えられている。
江戸時代には、各地からの参詣者で賑わたという。
▲(会津若松市大戸町小谷川端 国道118号沿い)
開基については、不詳。
元禄9(1696)年、現在地に移る。
香塩山、臨済宗妙心寺派。
本尊は、釈迦如来。
東山道の青木山から峠を越した場所にあり、会津藩の休息所であった御殿跡の背後にある。
野口英世博士の銅像が建っている。
▲(会津若松市大戸町上三寄香塩120)
白岩地蔵堂 | 大慈寺 | 徳林寺 | 三日月不動尊 |
不動明王尊像<上小塩> | |||
本元飯豊山神社 | 伊豆神社<大川> | 大宮神社<田端>\ | 温泉神社<壇ノ下> |
温泉神社<湯ノ平> | 金峯神社<大戸> | 金精神社<芦ノ牧> | 御霊神社 |
隠れキリシタン墓 |