元和5(1619)年、阿弥陀寺/良然上人の隠居寺として草創。
3年後の元和8(1622)年、この寺で死去。
願求山、浄土宗。
本尊は、阿弥陀如来 (一本造/丈4尺余)。
安積郡/善導寺の住職であったが、病の治療のため会津を訪れ、数年の養生で会津での入山を決め、阿弥陀寺を開山した。
戊辰の役で、堂宇すべてが焼失。
昭和48(1973)年に本堂が、昭和56(1981)年に観音堂を再建。
町廻り三十三観音の第十七番 針屋名子屋町。
▲(会津若松市日新町16-36 Tel. 0242-26-3288 <旧/針屋町>)
和田山、真宗大谷派。
本尊は、阿弥陀如来 (木像二尺二寸一分)。
永正7(1510)年、和田八郎光性の子である僧/善明が越後で光性寺を開山。
永禄2(1559)年、善明の孫/願明が蘆名盛氏公に召喚され、新たに光性寺を創建する。
慶長12(1607)年、善久町に移転。
寛文12(1672)年、蓮如が所持していた「親鸞筆/十字名号」が奉納される。
元禄 6(1693)年、善久町から現在地の西名子屋町に移る。 元禄4(1691)年とも。
元禄13(1700)年、本山の西本願寺第17世真如 (法諱:光性) により興性寺と改める。
▲(会津若松市日新町9-4 Tel. 0242-27-0894 <旧/西名子屋町>)
永禄9(1566)年8月、一遍第30世/阿弥が時宗僧と共に蘆名盛氏公に願い出て草創、盛氏公が徳一大師作の日限地蔵尊3体を安置した。
後に、松秀寺(東京都) と法音寺(兵庫県) へ各1体を移し、その地で御利益を与えている。
昭和37(1962)年、大町名古屋町の東明寺と日新町の常念寺(長念寺とも)を合体し、新たな東明寺として川原町に移るが、地蔵堂は残された。
会津二十一地蔵尊の第四番。
▲(会津若松市日新町2-11 <旧/赤井町>)
天正2(1574)年、比丘/幽善が京都本願寺に入り、顕如上人の高弟となり、本尊と寺号を受けて草創。
小田山、真宗大谷派。 本尊は阿弥陀如来。
天正17(1589)年、伊達政宗公が侵攻したため田良尾村 (天栄村) に難を逃れ、数年後に戻る。
戊辰の役で西軍の略奪により全ての寺宝を失い堂宇も焼き払われたが、本尊だけは檀家が命がけで守った。
本光寺とともに、会津塗の木地師の寺とされる。
七日町「幸せ回廊」の四番。
▲(会津若松市日新町16-33 Tel. 0242-27-6648 <旧/針屋町>)
元亀4(1573)年、耶麻郡島田村生まれの僧/了善が、材木町に一宇を創建し、開山した。
本尊と寺号は、本願寺/第11世顕如上人による。
宝池山、真宗大谷派。 本尊は阿弥陀如来。
天和元(1681)年、洪水に見舞われたため、現在地に再建。
戊辰の役で、すべての堂宇が焼失した。
昭和42(1967)年、鉄筋の本堂や庫裏が再建。
▲(会津若松市日新町9-20 Tel. 0242-27-5185 <旧/当麻中町>)
昭和23(1948)年10月、草創。
妙法山、本門仏立宗。
本尊は、妙法本尊。
▲(会津若松市日新町10-29 Tel. 0242-27-2597)
元和3(1617)年、寂誉上人が増上寺の末寺として、当麻中町に草創。
広博山 無量院、浄土宗。 本尊は阿弥陀如来。
戊辰の役で、西軍に寺宝を略奪され焼き払われたため、過去帳以外はすべて失う。
姿の良い樹齢300年の松が、本堂前にある。
殉難者墓あり。
金田百太郎
星暁邨
▲(会津若松市日新町9-24 Tel. 0242-27-2580 <旧/家風町>)
応永14(1407)年、越後にて草創。
慶長3(1598)年、上杉景勝公に従い僧/守応が再開創。
万松山、曹洞宗。 総本山は、福井/永平寺。
観音堂には姥神が祭られており、地元では「御姥様」で呼ばれ、寺名を知らない人も多い。
「信仰する者に難産だった産婦はいない」と信じられている。
「お日市(7月1日)」が始まる最初の寺で、この日から会津若松市の夏祭りが開幕する。
お日市の日には夫婦そろって参詣していけない、御姥様が焼餅やいて嫌われるからといわれている。 酒好きな御姥様とされ、酒を供える人も多い。
戊辰の役で西軍に寺宝は略奪され、全ての堂宇も焼き払われたため、縁起をはじめ記録に関するものは何も残っていない。
七日町「幸せ回廊」の三番。
▲(会津若松市日新町16-24 Tel. 0242-28-1903 <旧/北小路町>)
慶長10(1605)年、大谷派本願寺の12世/教如上人が、蒲生秀行公に請うて、甲賀町に別院として草創。
無量寿山
総本山は、京都/東本願寺。
寛永20(1643)年、保科正之公が会津拝領となり、従って移った最上/泉徳寺の前住職/幸甫が長命寺に改称。
寛文7(1667)年、甲賀町から西名子屋町 (現在地) へ移る。
戊辰の役で激戦地となり、堂宇すべてを焼失した。
5本の白線が入った土塀だけが、往時の名残りを伝えている。
殉難者墓あり。
▲(会津若松市日新町5-51 Tel. 0242-27-7003 <旧/西名子屋町>)
縁切り地蔵尊堂 | 常念寺跡 |