郭内/延寿寺の地に創建。
稲座山、真言宗。 本尊は、観音菩薩。
慶長年間(1596〜1615)、蒲生秀行公より祈願所として寺領50石を拝領する。
蒲生忠郷公の命により、北小路町へ移る。
▲(旧/北小路町 稲荷神社の境内に隣接)
常州/笠間の格傳は、野州/大澤圓通寺の13世/良信に師事する。
とある日、霊夢のお告げを受け、良信から授かった阿弥陀像を背負い、諸国を行脚する。
慶長15(1610)年、柳津/圓蔵寺に泊した夜、お告げの地と確信し、蒲生秀行公の家臣を通して願い出て、許しを得て徒町/一乗寺前通にて開山。
頓教山、浄土宗。 本尊は、木造/阿弥陀如来。
野州/大澤圓通寺の末山。
境内に、観音堂と稲荷神社が並び建つ。
▲(旧/徒之町一乗寺前通)
慶長18(1613)年、僧/随天が下野国/大澤圓通寺の末寺として開基。
安養山、浄土宗。 本尊は、阿弥陀仏。
境内に、宗像神社も創建。
▲(旧/材木町の西側)
文禄元(1593)年)僧/清譽が蒲生氏郷公に願い出て、威徳院の南側に一宇を創建。
西黒川の石堂分 (廃寺になった地蔵堂の地) に創建とも。
本尊は、大日如来。
寛文年間(1661〜1673)年、東黒川小黒川分にあった薬師堂の本尊/薬師像1躯を引き取り、本堂に安置。
寺宝の「五大明王画像 1幅」は、弘法大師 (空海) 筆と伝わる。
▲(旧/後分町)
天文2(1533)年、権大僧都/宥元が開基。
薬王山、真言宗。
本尊は、大日如来。
醍醐松橋無量寿院の末寺。
後に僧/宥繁が堂塔を再建し、薬師堂も建立し、再興。
戊辰の役で寺宝が略奪され、焼き払われたため廃寺。
▲(旧/野伏町 北端)
境内にあった薬師堂の別当/延命院として僧/亮圓が開山。
一城山、真言宗。
醍醐寺の塔頭/三宝院の末寺。
慶長6(1601)年、蒲生秀行公が再封の際、国家安全の祈願を執り行い、寺領50石を賜う。
2世/亮榮が宇都宮/正福寺に移住したため寺領を失う。
4世/秀純の代に寺号を延寿院に変え、台之町へ移る。
▲(旧/台之町 臺町とも)
年代不詳だが、加納山願成寺として耶麻郡五目組上三宮村にて創建。
慶長4(1599)年、22世/世良の代に上杉景勝公の命で徒之町に移り、叶山願成寺と名乗る。
寛永19(1642)年11月、孝心院寺中を願成寺(千石町?)に与える。
寛永20(1643)年、保科正之公に従った出羽国山形の僧/靈徹が7世住職として入り、寺領100石を賜う。
正保2(1645)年、寺名に「就」の字を加え、願成就寺を名乗る。
元禄15(1702)年閏8月26日、江戸/増上寺の直末となる。
正徳元(1711)年9月21日、松平正容公が来寺。
戊辰の役で、に寺宝は略奪され、すべての堂宇は焼き払われた。
▲(旧/願成就寺前通)
永禄元(1558)年、僧/慶了が郭内五之丁に草創。
浄土真宗。 本尊は、阿弥陀如来。
天正9(1581)年、大和町に移る。
西本願寺の末寺。
境内に、太子堂も創建。
▲(旧/大和町 高久組に向かう途中)
元亀3(1572)年、修行僧/了岩が三河国/味崎村に草庵を結び、西龍寺と号す。
寛永20(1643)年、保科正之公に従い、出羽国山形から河原町新丁へ移る。
浄土真宗。 本尊は阿弥陀如来。 京都/東本願寺の末寺。
寺宝として親鸞真影、七高僧真影、聖徳太子真影などの貴重な文化財を所蔵していたが、戊辰の役で、に寺宝は略奪され、すべての堂宇は焼き払われた。
▲(旧/南町河原新丁 文明寺の東)
文禄元(1593)年、住持/文譽の融通寺が大町へ移転した際、徒弟を残留させ城安寺として相続させる。
小舘山、浄土宗。 本尊は、阿弥陀如来。
境内に、観音堂と稲荷神社。
寺宝に、蒲生秀行公の乳母の像とされる「幽霊掛軸 一軸」、光明皇后の直筆と伝わる「大般若経 1巻」を所蔵。
▲(旧/融通寺町)
文禄2(1594)年、越州の僧/良善が創建。
針西山、浄土宗。 本尊は、阿弥陀三尊。
融通寺の末寺。
▲(旧/西名子屋町の西側)
開基については詳細不詳。 正覚山。
蒲生氏郷公の生母の菩提寺。
生母の墓は大龍寺に移され、現存。
戊辰の役で、に寺宝を略奪され、すべての堂宇は焼き払われた。
▲(旧/南町分 古川南岸<現/館馬町>)
文禄元(1593)年、京都/東山禪林寺の学侶/空山が来訪し、融通寺の末寺として開山。
古今山、浄土宗。 本尊は、阿弥陀如来。
境内に、観音堂も造営。
▲(旧/千軒道 蓮華寺の西側に隣接)
慶長16(1611)年、僧/利圓が下野国/大澤圓通寺の末寺として千軒通/千軒道に草創。
光明山、浄土宗。 本尊は、阿弥陀如来。
境内に、白山神社を祀る。
▲(旧/千軒道 浄国寺の西側)
商福寺として開基と伝わるが、詳細不詳。
後に、正福寺と改める。
竹林山、真言宗。
弥勒寺の末寺。
天文22(1553)年、修行僧/稱説が堂宇を修造。
元和年間(1615〜1624)、堂宇もろとも、すべての旧記が焼失。
▲(旧/馬場三之丁 荒神社の北側に隣接)
開基については、不詳。
元は、徳正寺と号する。 医王山、天台宗。
▲(旧/上荒井村)
日蓮宗。
七面大明神 (七面天女) を安置。
▲(旧/河原町)
開基について詳細不詳。
天正17(1589)年、会津侵攻の伊達政宗公により焼き払われ、荒廃。
慶長6(1601)年、蒲生秀行公の再封で、宇都宮の僧/宥慶が住持となり再興。
弥勒寺の末寺。
寛文9(1669)年、無住となり廃寺。
▲(旧/馬場五之丁)
寛永20(1643)年、出羽国山形から南町堅町へ移る。
その後、大龍寺の末寺となる。
長壽山、臨済宗。 本尊は、観音菩薩。
戊辰の役で、寺宝キーは略奪され、すべての堂宇は焼き払われた。
▲(旧/南町堅町 東側の小路/明栄寺前通)
弘治年間(1555〜1558年)、宥考が修行寺として創建。
本山派。
11世/大淳の代に、一箕山八幡神社の別当寺となる。
▲(旧/滝沢村)
▲(旧/大町竪町)
文禄3(1594)年、沙門/岌正が草創。
念法山、浄土宗。 本尊は、弥陀如来。
高巌寺の末山。
戊辰の役で、に寺宝は略奪され、すべての堂宇は焼き払われた。
▲(旧/下大和町)
▲(旧/花畑組町河原通)
勧請・創建の詳細不詳。
享和3(1803)年、天寧村に遷座。
▲(旧/慶山村の端村/水尾)
慶長17(1612)年、蒲生忠郷公の家臣/河野備中某岌穆が江戸/新智恩寺の末寺として創建。
金剛山、浄土宗。 本尊は、阿弥陀仏。
▲(旧/妙法寺前通)
慶長2(1597)年、東明寺を中興した文峯が退隠地とすべく、東明寺の末寺として創建。
珠得山、時宗。 本尊は、阿弥陀如来。
慶長3(1598)年、会津を拝領した上杉景勝公に気に入られ、引退が許されず、弟子/權宗を住持とする。
慶長6(1601)年、移封の景勝公に従い、米沢に移る。
慶長12(1607)年、東明寺に帰隠するが、間もなく遷化してしまう。
当寺では、文峯を開山、權宗を2世とする。
▲(旧/当麻中町)
材木町の北側と柳原組町の間で、黒川の岸に至る小路にあった藩主/加藤家の菩提寺。
寛永8(1631)年9月12日、江戸で死去した加藤嘉明公は火葬され、骨を高野山に建てた塔に納め、長福寺にて送葬の儀式が営まれた。
寛永20(1643)年、次の藩主/加藤明成公が後家騒動で藩領を没収され、子/明友の領する石見国/吉永藩へ移る際、従うように命じられるが、強く拒否し残留した。
しかし、程なく廃寺となる。
正保3(1646)年、保科正之公に従った建福寺が、その跡地を賜る。
延寶8(1680)年、建福寺も青木村に移っしまう。
▲(旧/河原町新丁)
天正年間(1573〜1593)年、僧/萬機が開基。
鷲鷹山、浄土真宗。 本尊は、阿弥陀如来。
融通寺の末寺。
境内に、観音堂と弁天堂が並び建つ。
▲(旧/南町花畑通)
草創について詳細不詳なるも、修行僧が居住。
天正14(1586)年、住持/光海が近隣の修行僧の頭となり、配下の修行僧4人を耶麻郡に派遣し、一帯を統括する。
文禄元(1592)年、蒲生氏郷公の町割りで、新町の地に移る。
寛永年間(1624〜1645)、元の地に戻る。
慶安年間(1648〜1652)、権大僧都/中圓が修行僧/天譽の跡を継ぎ、東叡山の末寺となる。
奇特山、天台宗。 天文年間(1532〜1555)に中圓が中興とも。
▲(旧/材木町)
慶長3(1598)年、上杉景勝公の移封に従い、越後の僧/量外が景勝公の亡父母を弔う寺として、石塚観音に隣接して建立。 俊芳山、曹洞宗。 本尊は、観音菩薩。
慶長6(1601)年、景勝公が米沢に移封となり米沢へ移るが、子弟の壽尊を住持として残した。
▲(旧/石塚六軒丁 蓮台寺の北側に隣接)
文禄元(1593)年、僧/真精が開基。
光明山、真言宗豊山派。
観音寺の末寺。
いつしか、廃寺。
▲(旧/馬場五之丁)
文明年間(1469〜1487)年、信州/上伊奈郡高遠にて草創。
高遠山、真言宗。 本尊は、不動明王。
寛永20(1643)年、保科正之公に従い、出羽国山形から南町花畑通花畑へ移る。
貞享2(1685)年11月8日、花畑から元/建福寺の跡地に移り、保科家の祈願所の1つとして寺領100石を賜る。
幕末まで大いに栄えていたが、
戊辰の役でに寺宝を略奪され、僧侶もろとも焼き払われた。
境内の観音堂に安置の千手観音は、霊験あらたかで夕顔観音と称されていた。
▲(旧/河原町新丁 長福寺と建福寺の跡地)
創建の詳細不詳。
文明元(1469)年、密徒/宥尊が黒川に善叶寺法光院として創建とも。
地蔵山、真言宗。 本尊は、地蔵菩薩。
金剛寺の末寺。
境内に地蔵堂があった。
「霊験ありて事を祈るに善叶ひしとて世人叶地蔵という 寺号これに因とぞ」
▲(旧/善久町)
元の町名は「大和名子屋町」と称していたが、光法院が善叶寺と号することから
「叶善町」と呼ばれ、やがて「善久町」に改められた。
戊辰の役で、に寺宝を略奪された後に放火され、焼き払われた。
再建できず、廃寺。
▲(旧/御持筒町)
慶長17(1612)年、僧/定光が、壇越であった蒲生忠郷公の家臣/池田和泉を通じ願い出て、自宅を壊した地に創建・開基。
福聚山、臨済宗。 本尊は、観音菩薩。
光徳寺の末寺。
境内に木造/虚空蔵および脇士不動毘沙門を安置した虚空蔵堂があり、35躯の佛の木像を所蔵。
▲(旧/手明町 西の横丁の北端)
慶長6(1601)年、下野国宇都宮/轉陽山法輪寺が、再封の蒲生秀行公に従い会津へ移り、徒之町に開山。
稲臺山、浄土宗。 本尊は、阿弥陀三尊。
京都/智恩院の末寺。
境内に、稲荷神社と観音堂が建つ。
▲(旧/徒之町願成就寺前通)
文禄元(1593)年、僧/日受が創建。
寶壽山、法華宗。
妙法寺の末山。
▲(旧/木戸千軒道)
天正18(1590)年〜文禄元(1592)年頃、僧/秀連が開基。
如意山、真言宗。 本尊は、大日如来。
自在院の末寺。
▲(旧/中六日町横丁 南側)
年代不詳だが、僧/鈍的が移り住み、草庵を結ぶ。
文禄3(1594)年、越後からの僧/宗観が伊織を修復して開山。
寛永年間(1624〜1645)、修行僧/胸察が京都/東本願寺の末寺として再興。
浄土真宗 (真宗大谷派)。 本尊は、阿弥陀如来。
▲(旧/南町堅町623 西側の小路/明栄寺前通)
開基の詳細不詳だが、元亀2(1571)年の書付に記載あり。
福徳山、天台宗。 本尊は、釈迦如来。
延寿寺の末寺。
境内に、観音堂が建つ。
▲(旧/東名子屋町 東側)
元和年間(1615〜1624)、僧/道味が京都/本願寺から本尊と寺号を請い、帰郷する。
寛永6(1629)年、加藤嘉明公に願い出て、浄光寺の南の地で開山。
浄土真宗。 本尊は、阿弥陀如来。
東本願寺の末寺。
▲(旧/徒之町願成就寺前通)
大同年間(806〜810)、徳一大師が草創と伝わる。
本尊の薬師像 (1尺3寸6分) は、徳一大師の作。
のちに、自在院の管轄となる。
▲(旧/慶山村の端村/水尾)
永禄2(1559)年、惣/貞穆が高巌寺の末寺として草創。
貴光山、浄土宗。 本尊は、榧の木造/千手観音 (3尺7寸)。
寺宝として、曼荼羅1幅・涅槃画1幅を所蔵。
▲(旧/妙法寺前通)
慶長3(1598)年、上杉景勝公の移封に従い、常慶寺を開山した慶岩と共に会津に移り住み、草庵を結ぶ。
その後、住持/松朔・尊説が開山。
栄長山、曹洞宗。 本尊は、釈迦如来。
▲(旧/南町堅町)
開基の年代不詳。
道場小路/観音寺の末寺として、東黒川の地に創建。
壽寶山、真言宗。 本尊は、不動明王。
文禄元(1593)年、蒲生氏郷公の城郭改修で後分町に移る。
境内に、荒神社を建立。
▲(旧/後分町)
台泉寺
正栄山、蓮徳院、浄土宗。
▲(旧/和泉村、登記/会津若松市北会津町和泉字上分1917)
明光寺
真宗大谷派。 本尊は阿弥陀如来。
▲(登記/会津若松市南千石町3-1)