会 津 の 歴 史 年 表[戻る] [TOP] [行く] [遊ぶ] [知る]奈 良 時 代 〜 平 安 時 代 |
和銅3(710)年〜延暦13(794)年 | |||
一箕町鶴賀の船ヶ森西遺跡 (手づくね土器、円柱状石製品が発掘)。 | |||
和銅6(713)年 | |||
耶麻郡が、会津郡から分かれ独立。 | |||
養老2(718)年 5月2日 | |||
会津郡が、陸奥国より独立し、石背国となる。 | |||
養老2(718)年 | |||
会津・白川・石背・安積・信夫の5郡を割いて石背国を設置。 | |||
養老4(720)年 | |||
法用寺 (会津美里町) が、この後に日光を開く徳道上人により創建。 | |||
11月 | 26日 | 会津郡が、陸奥国に復帰。 | |
天平元(729)年 |
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磐椅神社 (猪苗代町) が、現在の地に遷座。 | |||
僧/行基菩薩が、東妙見ヶ峯 (会津若松市) に羽黒山東光寺を草創。 僧/行基菩薩が、松野村 (喜多方市) に慈福山/千光寺を草創 (現存しない)。 |
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天平2(730)年 |
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僧/行基菩薩が、善久町 (会津若松市) に地蔵堂を創建 (現在不詳)。 | |||
天平12(740)年 | |||
本光寺<門田>が、羽黒山東光寺の末寺として創建。 | |||
天平勝宝元/天平感宝元(749)年) | |||
※徳一大師が、太政大臣/藤原仲麻呂の11男として誕生。 | |||
天平勝宝2(750)年 | |||
6月 | 19日 | 沼沢沼 (金山町) が、大地震により一夜で出来たという。 | |
天平神護元(765)年 | |||
尾山邑 (→ 御山村→ 会津若松市) に照谷教寺 (照谷寺) が開山。 | |||
神護景雲3(769)年 | |||
3月 | 13日 | 会津郡の住人/丈部庭虫、大伴部某に“阿部会津臣”の姓が与えられる。 | |
この年 | 会津郡から伊治城・桃生城 (宮城県栗原郡) に民が移され、会津郷と称す。 | ||
宝亀元(770)年 | |||
1月 | 24日 | 早戸の川端から温泉 (早戸温泉) が湧出、年号から宝亀湯と呼ばれる。 | |
宝亀6(775)年 | |||
高寺三千坊 (会津坂下町) が、突然に謎の焼失 (兵火?) で滅亡。 | |||
宝亀9(778)年 | |||
大山祇神社 (西会津町) が創建。 | |||
宝亀10(779)年 | |||
橋爪邑 (会津美里町) に千寿院 (薬師寺) が創建。 | |||
宝亀11(780)年 | |||
大地震が発生し、河沼郡で大規模な山崩れが起こる。 | |||
天応元(781)年 | |||
愛宕神社が、大蛇を鎮めた三河国/玉泉が勧進。 ※「万葉集」に「会津嶺」の歌が記載。 |
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天応2〜延暦元年(782)年 | |||
最澄が、小川荘西山に医王山日光寺を建立。 | |||
延暦3(784)年 | |||
11月 | 8日 | 流星群が降り注ぐ。 | |
延暦8(789)年 | |||
6月 | 2日 | 高田周辺の豪族/高田道成と会津壮麻呂が、陸奥/胆沢で蝦夷の首長/阿弖流為との戦いで戦死。 | |
延暦13(794)年 | |||
越後の国より藤原常衡、大友師門、熊谷勘解由が移り住み、檜枝岐村を開村。 | |||
延暦17(798)年 | |||
富岡村 (会津美里町) に富岡観音が開基。 |
9世紀 | |||
高野町の上吉田遺跡 (掘立柱建物跡11棟や土坑34基、多量の墨書土器などが発掘)。 | |||
延暦23(804)年 | |||
高寺 (会津坂下町) を僧/利仁が中興し、子院「高寺三十六坊」 も建立され、全盛期を取り戻す。 | |||
延暦25〜大同元(806)年 | |||
2月 | 15日 | 高さ2,000mを超えていた磐梯山が噴火し、4峰 (大磐梯、小磐梯、赤埴山、櫛ヶ峰) に変貌し、更科と月輪の2荘が陥没して猪苗代湖が出現。 竹原村 (会津美里町) に大沼が湧出、大沼大明神を祭り大沼神社が草創。 洪水が引くのは、大同3(808)年。 地名「大沼郡」の由来となる。 土屋権大夫利胤が、岩舘山に麓山神社 (猪苗代町) を勧進。 |
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大同2(807)年 | |||
徳一大師が、五薬師を安置した五薬師堂を草創し配す。 ◇ 中央薬師として薬師堂 (勝常寺) ◇ 東方薬師として薬師堂 (慧日寺) ◇ 西方薬師として上宇内薬師如来堂 (日光寺 → 調合寺) ◇ 北方薬師として北山薬師如来堂 ◇ 南方薬師として野寺薬師堂 (火玉堂寺 → 慈光寺) 徳一大師が、如法寺 (西会津町) を草創。 |
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福満虚空蔵尊 (圓蔵寺、柳津町) が、徳一大師により開創。 圓蔵寺の奥之院として奥之院弁天堂 (柳津町) が、徳一大師により開創。 |
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鳥追観音 (如法寺、西会津町) が、徳一大師により開創。 | |||
慧日寺の塔頭として藤倉/延命寺が、徳一大師により開山。 | |||
正光寺の草創時に、中の沢観音 (下郷町) が、徳一大師により創建。 | |||
示現寺 (喜多方市) が、弘法大師 (空海) により慈眼寺として建立。 | |||
常安寺 (喜多方市) が、弘法大師 (空海) により草創。 | |||
常福院 (会津美里町) が、弘法大師 (空海) により開山とも。 | |||
伊舎須弥神社 (現/八角神社) が創建。 | |||
大同3(808)年 | |||
恵隆寺 (会津坂下町) の立ち木に、弘法大師 (空海) が観音菩薩を彫刻。 | |||
法用寺 (会津美里町) が、徳一大師により現在地に再建。 | |||
弘仁元(810)年 | |||
勝常寺が寺として開基。 | |||
八幡神社<北会津>が、鎮守として奉祀。 | |||
蓮蔵法師が、米沢村 (会津美里町) に米沢山法幢寺を創建 (大同元年とも)。 | |||
弘法大師 (空海) が、逆瀬川村 (会津美里町) に黒厳山興龍寺を創建(伝)。 | |||
弘仁2(811)年 | |||
蚕養国神社が、草創。 | |||
西隆寺 (三島町) が、庵を結ぶ。 | |||
弘仁3(812)年 | |||
7月 | 15日 | 福満虚空蔵尊の虚空蔵堂 (柳津町) が完成し、入仏供養が執り行われる。 | |
この年 | 訪れた弘法大師 (空海) の法力により、 ◇ 大清水 (柳津町) が湧き出る ◇ 大塩村に温泉が湧き出て、長泉寺 (北塩原村) を創建 とも伝わる。 |
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弘仁5(814)年 | |||
弘法大師 (空海) が大正寺 (北塩原村) を草創。 | |||
弘仁6(815)年 | |||
徳一大師が、「真言宗未決文」を著述。 | |||
弘仁8(817)年 | |||
徳一大師が、「仏性抄」を著述。 | |||
弘仁8(817年〜弘仁12(821)年 | |||
徳一大師と最澄が、三一権実諍論を論ずる。 | |||
弘仁9(818)年 | |||
徳一大師が、「中辺義鏡」「慧日羽足」を著述。 | |||
弘仁11(820)年 | |||
徳一大師が、「遮異見章」を著述。 | |||
天長元(824)年 | |||
徳一大師が入滅 (75歳)。 承和9(842)年入滅の説も。 | |||
天長7(830)年 | |||
4月 | 会津一帯を含む陸奥国や出羽国で疫病が流行する。 | ||
4月 | 14日 | 京都の清水寺に似ている「左下り観音 (会津美里町)」が建立。 | |
嘉祥元(848)年 | |||
龍興寺 (会津美里町) が、慈覚大師(円仁)により開山。 | |||
円福寺 (下郷町) が、慈覚大師により草創。 | |||
仁寿元(851)年 | |||
4月 | 28日 | 赤い雪が降る。 | |
天安2(858)年 | |||
慈覚大師が黒川小田垣に天耀山天寿寺を創建 (戊辰の役で焼失し廃寺)。 | |||
貞観11(869)年 | |||
大地震が起こる。 「流光ワ昼ノ如シ」。 | |||
貞観14(872)年 | |||
木流村に福寿山観音寺が創建。 | |||
元慶2(883)年 | |||
天王寺 (会津美里町) が、光孝天皇の子である僧/観祐により草創。 | |||
寛平2(890)年 | |||
今泉寺 (会津美里町) が、円覚法印により大沼神社の別当として草創。 |
天歴2(948)年 | |||
6月 | 25日 | 小平天満宮 (猪苗代町) が創建。 | |
康保元(964)年 | |||
空也上人が、八葉寺を草創。 | |||
真言宗の僧/久光房が、石沢山藥師寺を草創 (石原村)。 | |||
天禄3(972)年 | |||
平安京を出発した空也上人は黒川で臨終し、八葉寺に埋葬との伝承がある。 | |||
永延元(987)年 | |||
※陸奥守となる藤原登任が、藤原師長の子として誕生。 | |||
永延2(988)年 | |||
城四郎重範が、雲雀城 (会津坂下町) など8館を築く。 重範は正暦2(991)年に慧日寺の代官/斎藤宗顕と上野原 (十文字原) で戦い破れて自害。 | |||
※陸奥守・鎮守府将軍となる源頼義が、河内国古市郡壷井 (大阪府) で誕生。 | |||
長徳2(996)年 | |||
西勝寺 (猪苗代町) が、僧/仁海により神野寺の末寺として草 | |||
長徳4(998)年 | |||
中田付村 (喜多方市) に龍泉寺が創建。 | |||
長徳4〜長保9(999)年 | |||
12月 | 陸奥守の藤原実方が、馬の下敷きとなって没。 40歳ほど。 | ||
この年 | 正法寺 (昭和村) が、草創。 |
寛弘元(1004)年 | |||
源満政が、陸奥守に就任。 | |||
寛弘7(1010)年 | |||
蚕養国神社の宮殿が創建。 | |||
寛弘8(1011)年 | |||
源満政が、陸奥守を退任。 | |||
長和元(1012)年 | |||
天台宗の僧/弘海が、天祥寺を草創 (黒川小田)。 | |||
寛仁3(1019)年 | |||
金沢村 (会津坂下町) に法蔵坊(法蔵寺)が創建。 | |||
治安元(1021)年 | |||
面川村に白龍山泰雲寺が建つ。 | |||
万寿元(1024)年 | |||
慧日寺が、大火災となる。 | |||
長元元(1028)年 | |||
貴徳寺 (会津坂下町) が、直愚により開山。 | |||
長暦3(1039)年 | |||
※陸奥守となる源義家が、河内国石川郡壺井 (大阪府羽曳野市壺井) で誕生。 | |||
長久3(1042)年 | |||
、 | 簗田筑後が安養院 (廃寺) を創建し、稲荷大明神を祀る。 | ||
天喜3(1055)年 | |||
、 | 源頼義が戦勝を祈願して心清水八幡神社 (会津坂下町) を勧請。 | ||
寛治7(1093)年 | |||
8月 | 1日 | 、 | 。 |
天養元(1144)年 | |||
鹿島神社 (南会津町) が鎮座。 | |||
永承元(1046)年 | |||
善導寺 (南会津町) が、杉岸満信により創建、蓮誉上人により開山。 | |||
永承5(1050)年 | |||
藤原登任が、陸奥守に就任。 | |||
天喜元(1053)年 | |||
陸奥守の源頼義が、鎮守府将軍を兼任。 | |||
永承6(1051)年 | |||
藤原登任が陸奥守を解任され、源頼義が就任。 | |||
天喜3(1055)年 | |||
心清水八幡神社 (会津坂下町) が、陸奥守/源頼義により勧請。 | |||
熊野神社 (喜多方市) が源頼義により会津若松市に創建。 | |||
康平5(1062)年 | |||
熊野神社<河東>が、奥州追討の祈願のため源義家により勧請。 | |||
源頼義が、陸奥守を退任。 | |||
長寛2(1164)年 | |||
大地震が発生し、銚子の口 (西会津町) が形成。 | |||
治暦3(1067)年 | |||
鹿島神社 (南会津町) が、阿久津家/屋敷神として奉祀。 | |||
源頼俊が、陸奥守に就任。 |
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延久2(1070)年 | |||
陸奥守/源頼俊が、下北半島まで平定。 | |||
承保2(1075)年 | |||
7月 | 13日 | ※元/陸奥守の源義家が没 (享年87歳)。 | |
承暦3(1079)年 | |||
※陸奥守になる源信雅が、源顕房の6男として誕生。 | |||
応徳2(1085)年 | |||
慶徳稲荷神社 (喜多方市) が、源義家により勧請。 | |||
寛治2(1088)年 | |||
1月 | 源義家が陸奥守を解任され、藤原基家が就任。 | ||
寛治4(1090)年 | |||
一ノ堰六地蔵の本尊/1寸8分の地蔵尊が、草むらの中から発見される。 | |||
寛治5(1091)年 | |||
後の駒形神社 (喜多方市) が、源義家により遷座。 | |||
寛治7(1093)年 | |||
8月 | 1〜3日 | 光明が途絶えて、暗がりとなる。 | |
10月 | 陸奥守の藤原基家が在職中に没、源義家義の弟/綱が就任。 | ||
承徳元(1097)年 | |||
2月 | 4日 | 「月五つ出ず」 | |
この年 | 良忍上人の弟子/浄縁が会津に来て、八葉寺の側に自然山融通寺を創建。 | ||
承徳2(1098)年 | |||
金川村領主/石井盛秀が、金川寺 (喜多方市) を創建。 | |||
巨大地震が襲う。 |
嘉承元(1106)年 | |||
7月 | 4日 | ※元/陸奥守の源義家が没 (享年68歳)。 | |
嘉承2(1107)年 | |||
南泉寺 (南会津町) が、聖徳太子を勧請。 | |||
元永2(1119)年 | |||
7月 | 大風が襲う。 | ||
11月 | 大雪に見舞われる。 | ||
保安元(1120)年 | |||
藤原忠実の家来が、陣ヶ峯城 (会津坂下町) を築く。 | |||
大治3(1128)年 | |||
5月 | 15日 | 源信雅が、陸奥守に就任。 | |
大治5(1130)年 | |||
5月 | 4日 | 松野千光寺経塚 (喜多方市) が作られる。 | |
この年 | 僧/長宥が、現在の恵倫寺の地に金剛寺を開山。 | ||
保延元(1135)年 | |||
源信雅が、陸奥守の在職中に没。 57歳。 | |||
康治2(1143)年 | |||
赤枝村 (磐梯町) に赤龍寺が創建。 | |||
仁安3(1168)年 | |||
長さ3寸もの氷が降る。。 | |||
嘉応2(1170)年 | |||
1月 | 13日 | 地震。 | |
承安2(1172)年 | |||
∬慧日寺 (磐梯町) が、越後国/東蒲原郡小川庄75ヶ村を寄進される。 | |||
承安4(1174)年 | |||
高吉村 (喜多方市) に徳勝寺が創建。 | |||
安元元(1175)年 | |||
3月 | 17日 | 「月が5つ出る」 | |
治承4(1180)年 | |||
西福寺 (下郷町) が、法印/寂了により庵を結ぶ。 | |||
養和元(1181)年8月25日 | |||
藤原秀衡が、陸奥守に就任。 | |||
文治3(1187)年 | |||
10月 | 29日 | ※元/陸奥守だった藤原秀衡が没。 |
∬ ツールチップあり .
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