会  津  の  歴  史  年  表

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飛  鳥  時  代  以  前


800万年前
      哺乳類の恐竜「アイヅタカサトカイギュウ (会津高郷海牛)」が、海に生息。
頭部化石が、ほぼ完全な形で発見。

170万〜150万年前
      噴火活動により浅草岳が形成。

130万年前から100万年前まで
      30万年を要して凝灰岩・凝灰角礫岩・頁岩などの地層が形成され、
その後、100万年を経て現在の絶景/塔のへつりが誕生。

170万年前
      火山噴火により、背炙山から布引山まで続く丘陵 (通称/流れ山) が形成。
 (150万年前とも)

110万〜35万年前
      猫魔火山の活動が続く。

29万年前
      猫魔火山の活動が止み、猫魔山が形成。
磐梯山が2度ほど噴火。

21万〜20万年前
      磐梯山が噴火。

20万年前
      猪苗代盆地が形成。

16万5千〜14万5千年前
      磐梯山が噴火。

16万年前
      後に燧ヶ岳となる造山活動が始まり、5万年前の噴火により形成。 他説あり。

9万年前
      磐梯山の噴火による火砕流堆積物で翁島が形成。

8万年前
      日本で2番目に古い湿原/矢ノ原湿原が形成。

8万〜6万5千年前
      磐梯山が噴火し山体崩壊。

5万年前
      燧ケ岳が出現。
磐梯山が山体崩壊し火砕流堆積物で河川がせき止められ猪苗代湖が出現。
  岩流れは、会津盆地まで到達。

5万〜4万年前
      磐梯山が噴火・山体崩壊を繰り返す
赤井谷地湖沼が出現。

4万5千年前
      沼沢火山の大噴火により、初期の沼沢湖が誕生。

3万年前
      笹山原や大野原、翁島辺り一帯に、会津地方最古の人々が生活。
 (笹山原遺跡、旧石器時代の石器類が多数発掘)。

3万〜2万5千年前
      磐梯山が南西方向に大崩壊。

2万年前
      水位低下で赤井谷地湿原が形成。 日本で唯一の湖沼から陸化による湿原。

1万7千〜5千年前
      高郷村辺りに人々が生活 (塩坪遺跡、ナイフ形石器など発掘)。

1万〜8千年前
      燧ケ岳が山体崩壊し、尾瀬ケ原尾瀬沼が出現。
      高郷村、高田町から打製石器 (旧石器) が発見。

8千年前
      塩川町常世字原田 (旧駒形村) に人々が生活。
 (常世原田遺跡 、常世式土器などが発掘)。

5千4百年前
      沼沢火山の大噴火で沼沢湖 (金山町) が出現。 平成3年に埋没樹木が確認

5千年前
      大戸周辺町に人々が生活
 (縄文時代で県内最大の本能原遺跡、環状になった住居跡などが発掘)。

5千〜3千年前
      会津美里町に人々が生活
 (北松沢遺跡、下萩曽根遺跡、冑宮西遺跡、上道上遺跡)。

4千年前
      南会津町小塩字堂平に人々が生活 (堂平遺跡、石棺墓などが発掘)。

4千〜3千年前
      只見町大倉に人々が生活
 (窪田遺跡、住居跡や黒曜石・オパールなどの入った土器などが発掘)。

3千5百〜2千5百年前
      磐梯町更科字法正尻に人々が生活
 (法正尻遺跡、竪穴住居跡129軒や土坑759基、土偶など多数が発掘)。
      西会津町野沢字芝草に人々が生活
 (小屋田遺跡、住居跡や土器などが多数発掘)。
      大戸町南原字下川原に人々が生活 (下川原遺跡)。
      会津美里町旭館端字下十五壇に人々が生活 (十五壇遺跡、炉などが発掘)。
      柳津町郷戸字石生前に人々が生活
 (石生前遺跡、住居跡38軒や華麗な文様の土器などが発掘)。
      猪苗代町に人々が生活 (長坂遺跡、配石墓などが発掘)。
      大戸町上雨屋に人々が生活
 (上雨屋遺跡、川に面した須恵器の積み出し跡が発掘)。
      高野町柳川字森台に人々が生活 (森台遺跡)。

2千年前
      三島町桑原字荒屋敷に人々が生活
 (荒屋敷遺跡、土器や漆製品、縄文時代の“布”が出土)。
      一箕地区に再葬墓 (墓料遺跡、人面付土器などが発掘)。
      門田町御山字中丸に再葬墓 (南御山遺跡)。
      門田町一ノ堰に人々が生活
 (一堰B遺跡、竪穴住居跡1軒と土坑墓112基などが発掘)。
      湯川町に人々が生活 (川原町口遺跡、土坑墓が多数が発掘)。
      会津美里町松岸字五本松に人々が生活 (五本松遺跡)。
      町北町字屋敷に人々が生活
 (屋敷遺跡、竪穴住居跡や北陸系の土器などが発掘)。

崇神2(紀元前97)年
      八角と号す社 (後の伊舎須弥神社、現/八角神社) が創建。

崇神10(紀元前88)年
7月 1日   父/大彦命と子/武渟川別が、この地で出会ったことから 「相津 (会津)」 の地名が起こる。
 この年 伊佐須美神社 (会津美里町) が、天津嶽山頂 (本名御神楽) に創建される。

神功皇后摂政50(250)年
      磐椅神社 (猪苗代町) が、磐梯山頂に創建される。

4世紀
  前半   一箕町の飯森山頂に全長65mの前方後円墳が造営、南側に円墳1基もある (飯盛山古墳)。
  前半   一箕町に全長84mの前方後円墳が造営 (堂ヶ作山古墳)。
  前半   会津坂下町に杵ヶ森古墳 (全長45.6m、後円部高2mほど) が造営。
  後期   会津坂下町青津に全長127m・高さ8mと、全長55m・高さ5mの前方後円墳が造営 (亀ヶ森古墳鎮守森古墳、国指定史跡)。
  末期   一箕町に全長114m、高さ10mの前方後円墳が造営 (大塚山古墳、東北地方最古の古墳の1つ、すべての出土品は国の重要文化財)。

5世紀
      北会津町大字田村山字塚越に古墳が造営開始
 (田村山古墳、東北最古の中国製鏡/内行花文鏡などが発掘)。
      喜多方市糠塚古墳群が造営。
      喜多方市に国内最大級の居館跡である古屋敷遺跡が造営。

欽明元(540)年
      梁の国から渡来の高僧/青巌 (青岩とも) が、会津地に至った時に聖地と悟り、後の高寺 (会津坂下町) となる庵/高山無山寺を宇内村の山頂に結ぶ。
欽明6(545)年
      渡来し始めて仏教を伝えた青巌が入滅。
欽明13(552)年
      手兒神社 (会津美里町) が、明神ヶ嶽から現在地に遷座。
伊佐須美神社 (会津美里町) が、明神ヶ嶽から高田南原に遷座。
欽明21(560)年
      伊佐須美神社 (会津美里町) が、高田南原から現在地に遷座。

7世紀
      東山温泉芦ノ牧温泉が、行基菩薩により発見。
      糠塚古墳 (金山町) が造営。
      大塚2で瓦窯が操業 (村北瓦窯跡)。
      河東町に駒板新田横穴群が造営 (横穴墓29基とともに、土器や鉄製品、耳環などの青銅製品、玉類の勾玉・ガラス製小玉が発掘が発掘)。
      一箕町に大塚山横穴群が造営。
      喜多方市慶徳町山科字墓東に山崎横穴群が造営。
推古天皇9(601)年
      豪雨が数ヶ月続き、多くの河川が氾濫。
舒明6(634)年
      中国の僧/恵隆により高寺 (会津坂下町) が開山、本格的な堂塔伽藍が建立。
白雉3(652)年
      飯豊山神社 (喜多方市) が、中国渡来の僧/知道と修験/小角により創建。
白雉5(654)年
      陸奥国が設置 (常陸国風土記)。
斉明4(658)年
      蓮空上人が石塔山恵隆寺を建立。
田出宇賀神社 (南会津町) が創建。
天武14(685)年
10月 23日   流星が雨のように降る。
天武15/朱鳥元(686)年 (寺社縁起歴-白鳳14)
      吾妻山神社 (猪苗代町) が、修験/小角により拝殿を創建、後に空海が再興。

8世紀
      田村山古墳が造営。 東北地方で「古事記」に載っている唯一の地名。
      河東町藤倉新田で須恵器窯が操業 (新田山窯跡)。
      河東町郡山に郡役所が設置 (郡山遺跡、材木塀跡などが発掘)。
  中期   会津美里町新鶴大久保で須恵器窯が操業 (大久保窯跡)。
  中期   大戸町の大戸窯が操業 (東日本で最大規模)。
大宝元(701)年
      「相津」を「会津」に改める。
慶雲3(706)年
      大木村 (喜多方市塩川町) が開墾される。

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