会  津  の  歴  史  年  表

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鎌 倉 時 代 / 後 半 (蘆名氏)


永享7(1435)年
      徳昌寺 (南会津町) が、創建。
永享8(1436)年
4月 20日   から150日間も、降雨なし。
7月 9日   〜12日の3日間に地震16回発生。
七月九日申刻大地震動日夜三日也 十六度動也
永享9(1437)年
      大飢饉。
永享11(1439)年
8月 16日   大暴風雨。
永享12(1440)年
8月 14日   暴風雨。
8月 16日   「十六日満天亦赤如紅 不久消 後又大風」
9月 18日   巨大地震が襲う。
 この年 国分重成が米沢村 (会津美里町) に西宮夷大神宮の祠を建立。
嘉吉2(1442)年
      千葉寺が、千葉大輔時胤により創建され、隆誉上人が開山。
 この年 冬、大雪。
嘉吉4〜文安元(1444)年
7月 2日   第10代領主/蘆名盛久公が没。 弟の蘆名盛信公が家督を継ぐ。
 この年 義原左京義元が高田村に長光寺を建立。
  〃   巨大地震が襲う。 「嘉吉五年大地震 継続疾疫

文安4(1447)年
      天寧寺が、蘆名盛信公により創建。 応永28(1421)年説も。
7月 25日   大風雨。
心清水八幡神社 (会津坂下町) の鳥居も倒壊 (翌年10月20日に修復)。
文安5(1448)年
      第13代領主となる蘆名盛高公が、黒川城で生れる。
 この年 大地震、飢饉、疾疫が起こる。
  岩崎天祐が初めて「会津〜奥州」路を開く。
文安6(1449)年
      蘆名盛信公が漆の木の植栽を奨励する。
宝徳3(1451)年
      後に元慶寺 (会津美里町) となる栄泉山一渓庵が、僧/東泉により庵を結ぶ。
3月 18日   第11代領主/蘆名盛信公が没。 子の蘆名盛詮公が家督を継ぐ。
7月 15日   黒川 (会津若松市) で「典厩 (蘆名氏重臣/松本右馬允)」の戦乱が勃発。
8月 16日   大洪水。

享徳1(1452)年
      猪苗代兼載(連歌師)が、猪苗代城主/宗実の子として誕生。
享徳2(1453)年
      戦乱が再勃発し「典厩 (蘆名氏重臣/松本右馬允)」が討ち取られる。
享徳3(1454)年
2月 23日   大地震が発生。
11月 23日   夜に巨大地震が襲う。
長禄元(1457)元年
2月 28日   太陽が、2つ並んで出現する。
長禄2(1458)年
      鴫山城 (南会津町) で合戦。
6月 20日   太陽が、2つ並んで出現する。
12月 10日   侵入してきた山内越中を、蘆名盛詮公実成寺に本陣を置き迎撃。
11日に山内越中は自害。
長禄3(1459)年
      蘆名盛詮公が、伊達持宗や結城直朝と争いを始める。 4月に直朝と和睦。
長禄4(1460)年
7月 1日   申の刻 (16時) から暗闇になる。 その年は五穀が実らず凶作。
10月 21日   蘆名盛詮公が、幕府から古河公方足利成氏の追討の命を受ける。
寛正2(1461)年
      飢饉となり、疫病が蔓延。
寛正3(1462)年
4月 8日   太陽が3つ並んで出現。
 この年蘆名盛詮公が黒川に昌栄禅同を建立。
寛正4(1463)年
1月 1日   太陽が3つ並んで出現。
1月 6日   太陽が2つ並んで出現。
文正元(1466)年
3月 14日   第12代領主/蘆名盛詮公が没。 子の蘆名盛高公が家督を継ぐ。

応仁2(1468)年
9月     彗星が現れる。
応仁3(1469)年
6月 12日   黒川/善叶町に地蔵山善叶寺法光院が創建。
文明3(1471)年
      「赤疹流行し、人多く没」
      将軍/足利義正から足利成氏討伐の命が届く。
文明4(1472)年
2月 19日   黒川 (若松) が大火となり、3分の1が焼失。
長禄4(1460)年10月20日とも。
 この年 干ばつによる大飢饉。
文明6(1474)年
4月 1日   黒川で大火、諏方社も焼失。
6月 22日   大洪水が発生。
9月 15日   大雨、大風。
 この年 高岩寺 (高巌寺) が、蘆名盛高公により創建され、岌天上人が開山。
文明7(1475)年
4月 16日   巨大地震が襲う。
6月 6日   大暴風雨。
7月 15日   大風、大雨。
7月 22日   大風、大雨。
10月 6日   巨大地震が襲う。
10月 29日   大地震。
文明8(1476)年
      喰丸村 (昭和村) に円命寺が創建。
文明11(1479)年
5月 27日   会津盆地を支配の土豪/渋川義基を、蘆名盛高公が高田城にて攻め滅ぼす。
文明10(1478)年
7月 16日   将軍/足利義尚に太刀と馬を献上する。
文明11(1479)年
4月 29日   黒川で大火、興徳寺実相寺が焼失。
文明14(1482)年
      蘆名盛高公が、伊達成宗の娘と婚姻。
      第14代領主となる蘆名盛滋公が生れる。
文明16(1484)年
      大風、穀類に被害甚大。
延徳元(1489)年
5月 29日   強震、柳津邑に被害。
延徳2(1490)年
      第15代領主となる蘆名盛舜公が生れる。
延徳4〜明応元(1492)年
6月 6日   大地震、大風雨。 6月16日とも。
 この年 密侶/行俊が小土山村 (喜多方市) に鏡福寺を創建。
明応2(1493)年
6月 26日   地震、大雨洪水。 「林鐘廿六日夜半天地振動 大雨降 山野崩テ耕作流失 京都之乱以外候 雖然当国ハ夏中富貴ノ豊饒也
明応3(1494)年
2月 21日   大地震。
4月 12日   家臣の謀反のため会津に逃れてきた伊達尚宗を、蘆名盛高公が庇護する。
 この年 法幢寺 (会津美里町) が、玉誉上人により開山。
明応4(1495)年
5月 26日   極楽寺が、蘆名盛高公により一宇として創建。
明応5(1496)年
8月 20日   洪水。
明応6(1497)年
      干ばつにより飢饉。
明応7(1498)年
5月 26日   蘆名盛高公が、家臣の松本豊前守および一族を討ち取る。
8月 25日   巨大地震が襲う。 「八月廿五日巳刻大地震
明応8(1499)年
      大飢饉。
明応9(1500)年
1月 12日   蘆名盛高公が、反抗する家臣の国人領主/松本対馬が籠る中野館を攻略。
2月 5日   蘆名盛高公が、松本対馬(輔政)が逃れた弟/松本勘解由の綱取城を攻め、対馬を自害させる。
文亀元(1501)年
閏6月28日   蘆名盛滋公が。反抗していた家臣/猪苗代盛頼父子を討ち取る。
8月 8日   季節外れの霜が降り、五穀実らず。
12月 10日   巨大地震が発生。
 この年 成徳寺が、曹洞徒/陽徳により中川村 (会津美里町) に創建。
文亀2(1502)年
1月 28日   主に柳津地域 (柳津町) で、大洪水。
12月 10日   巨大地震が襲う。
文亀4〜永正元(1504)年
      大雪、大雨、大飢饉。
      長伝寺が、立行事村に創建。
      智徳寺が、曹洞徒/雲竜 (雲龍) により泉村へ創建。
      東照寺が、赤留村の僧/堯尊により創建、僧/大応が開山。。
永正2(1505)年
9月 13日   猪苗代兼載が、連歌百句一巻の「蘆名祈祷百韻」を詠む。
10月 9日   蘆名盛高公盛滋公の親子が塩川で争う。
敗れた盛滋公が出羽国長井に逃走。 後に和解して帰国。
永正3(1506)年
7月     巨大な彗星が出現。
7月 25日   恵隆寺境内の桜が咲く。
 この年 円通寺 (下郷町) が、僧都/行応により遍照寺として草創。
      清源寺<慶徳>が、慶徳寺の僧/清源により真木村に創建。
永正4(1507)年
      猪苗代兼載が、「八代集秀逸」を著す。
永正5(1508)年
      長雨により不作。
永正6(1509)年
      示現寺の住職/桃渓が水沢村に岩屋山/山渓寺を創建。
      流行り病で、行き交う多くの旅人が倒れる。。
永正7(1510)年
6月 6日   連歌師/猪苗代兼載が帰郷の途中、下総国古河城下で没 (59歳)
8月 7日   巨大地震が襲う。
 この年 興性寺が、和田八郎光性の子である僧/善明により光性寺として開山。
永正9(1512)年説も。
永正8(1511)年
6月     雨多く、イナゴが大発生。
永正11(1514)年
3月 20日   実相寺が、関東十刹に列せられる。
4月 17日   黒川 (会津若松市) で大火。
5月     〜10月まで、雨降らず。
 この年 勝方寺 (会津坂下町) が、僧/大沖元甫により草創。
永正12(1515)年
6月 9日   「光物が飛ぶ」
7月 19日   巨大地震が襲う。
永正13(1516)年
3月 28日   楊津村 (柳津町) の大火で、円蔵寺の堂塔が焼失。
4月 11日   「大雨雪」
6月     「大水」
7月 下旬   恵隆寺の桜が咲く。
永正14(1517)年
6月 20日   会津・越後に地震、家屋の倒壊多し。
6月 28日   大地震。
12月 8日   第13代領主/蘆名盛高公が没。 子の盛滋公が家督を継ぐ。

永正15(1518)年
5月 27日   雹が4寸も降り積り、その後大雨で、田畑600町歩が水没。
7月 14日   大洪水。
8月 25日   季節外れの降雨雪あり。
10月 9日   大降雪、農作物の被害甚大。
永正16(1519)年
      常楽院 (南会津町) が、星大和により創建、僧/海順により開山。
永正17(1520)年
      光明寺 (喜多方市) が、鎌倉の僧/江月により開山。
      蘆名盛滋公が、最上義光と戦っている伊達稙宗へ援軍を送る。
永正18〜大永元(1521)年
2月 6日   第14代領主/蘆名盛滋公が没 (1540年説も)。 蘆名盛舜公が家督を継ぐ。
 この年 第16代領主となる蘆名盛氏公が生れる。

6月 16日   猪苗代盛光が、蘆名盛舜公東黒川館を攻めるも敗退する。
 この年 龍渕寺が、僧/円清により小山村に創建。
      八重松村の円満寺が、僧/宥観により復興。
      安養寺が、小山村に創建。
大永2(1522)年
      長泉寺<上三宮>が、佐瀬安石により見頃村に創建。
      良縁寺が、僧/江鴎により松野村に創建。
大永3(1523)年
5月 9日   大洪水。
 この年 蔵円寺 (猪苗代町) が、小檜山六郎盛季により創建し、僧/長応により開山。
大永4(1524)年
7月 13日   馬場町で、火災。
7月 15日   大町で、火災。
大永6(1526)年
      「疾病人多く死す」
大永7(1527)年
      南町が焼失。
大永8〜享禄元(1528)年
3月     大町で大火、地蔵堂と窪道場も焼失。
6月 15日   〜年内、雨が降らず、大干ばつ。 只見川が干上がる。
享禄2(1529)年
5月 5日   八葉寺の堂宇が焼ける。
享禄5〜天文元(1532)年
      神照寺 (柳津町) が、僧/玄誉により草創。
      本郷村 (会津美里町) に大栄寺 (後の大連寺、廃寺) が創建。
天文2(1533)年
8月 28日   檜原村 (北塩原村) に盗賊50余人が現われ、領主/穴沢俊直と争う。
 この年 長伝寺が、慶徳寺の住職/一峯が宮在家村に創建。
天文3(1534)年
      蘆名盛瞬公が、伊達稙宗に援軍を送る。
天文4(1535)年
2月     2月初めより、181日間も日照りが続く。
天文5(1536)年
4月 26日   黒川の大火で諏方社が延焼。
6月 28日   鶴沼川(宮川) が氾濫し多くの民家が漂流、白髭洪水と呼ばれる。
塔寺から坂下間が水深8尺余。 蟹川が佐野村を経て日橋川に合し、岩崎山より橋爪村に至る2里が埋没し陸地となる。
 この年 南泉寺 (南会津町) が、現在の地に移転。
      天海大僧正が、高田町 (会津美里町)にて誕生。
天文6(1537)年
      秀長寺となる水月庵が、蘆名氏家臣/右馬允時長により草庵として建立。
      蘆名盛氏公が、伊達稙宗の次女と婚姻。
      中島満福寺が、東本願寺10世/証如 (清源とも) により創建。
天文7(1538)年
3月 15日   東黒川館城で火災が発生し、城楼や家士邸が焼失。
天文8(1539)年
8月 5日   耶麻郡に乱が起きる。
 この年 西方寺が、僧/伝長により高野村へ創建。
      塩野村 (柳津町) に僧/北岩が高林寺を創建。
      小田山城が、新しく造営される。
      蘆名盛舜公が、飯豊山神社 (喜多方市) の山道を拓く。
天文9(1540)年
2月 27日   諏方社が再興する。
4月 24日   蘆名盛舜公が、将軍/足利義晴へ大鷹を贈る。
8月 11日   大暴風、諏訪社などの華表も倒壊、人家のみならず五穀の被害も甚大。
天文10(1541)年
      第15代領主/蘆名盛舜公が隠居し、子の蘆名盛氏公に家督を譲る。
12月 20日   猪苗代盛頼が反乱を起こす。 蘆名盛舜公が翌年1月5日に鎮圧。

天文11(1542)年
      蘆名盛氏公が、山内氏を討つ。
天文12(1543)年
      東黒川館が再建 (完成は翌年) され、これ以降は黒川城と呼ばれるようになる。
      蘆名盛氏公が、山内氏河原田氏を降し、約100年の戦乱が終わる。
天文14(1545)年
    (いなご)が大発生し、稲の葉が食べ尽くされて大飢饉。
天文15(1546)年
      蘆名盛氏公と親交の深かった絵師/雪舟が会津を訪れ、画法の秘伝・鑑賞法「画軸巻舒法」を授ける。
後の永禄年間に再び訪れ、隠居するまで滞在している。
12月     暖冬で雪が降らず、梅の花が咲く。
天文16(1547)年
      第17代領主となる蘆名盛興公が生れる。
      蘆名盛氏公が、伊達氏に援軍を送る。
天文17(1548)年
      僧/宥尊が麻生村 (柳津町) に安穏寺を創建。
天文18(1549)年
      天海大僧正が、会津を出て修行の旅に出る。
天文19(1550)年
8月 3日   三日夜洪水毛降」
 この年 蘆名盛氏公が、中通りの地まで支配。
天文20(1551)年
7月 11日   蘆名盛氏公が、田村隆顕と和睦。
 この年 僧/宥仙が塔寺村に弥勒山清巌寺を創建し慈光院と号す。
天文22(1553)年
      第15代領主/蘆名盛舜公が没。 子の蘆名盛氏公が実権を握る。

天文24〜弘治元(1555)年
1月 25日   黒川 (会津若松市) 大火災。
8月 19日   大地震、特に滝谷村 (三島町) の地崩れで被害甚大 。
弘治2(1556)年
1月 25日   大火で大町と馬場町が焼失 (永禄元年?) 。
8月     奈良原 (楢原) 村 (下郷町) に、八幡宮が建立。
 この年 浄泉寺が、僧/葉山により糠沢村に創建。
弘治3(1557)年
      大念寺が、僧/慶雄により浅野村に創建。
永禄元(1558)年
1月 25日   大町から馬場町に至るまでの大火 (弘治2年?)。
5月     天海大僧正が、実母/の重病の知らせを受け帰郷。 7月23日に実母か没。
 この年 円通寺 (会津美里町) が、学心和尚により開基。
      光明寺が、僧/慶了により黒川の車川のほとりに開基。
      長照寺 (猪苗代町) が、黙山和尚により草創。
      麓山神社 (猪苗代町) が、創建。
      常安寺 (喜多方市) が、現在地に移築。
      南山/長沼盛勝が糸沢村 (南会津町) に龍沢寺を創建。
      僧/宥巌が松川村 (下郷町) に花光院を創建。
永禄2(1559)年
      僧/貞穆が黒川/滝沢町に貴光山/龍願寺を建立。
永禄3(1560)年
      織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を討ち取る。
永禄4(1561)年
      第18代領主となる蘆名盛隆公が生れる。
      向羽黒山 (会津美里町) に築城が開始される。
      蘆名盛氏公が、田島/長沼実国を攻め配下とする。
      僧/是春が長倉村 (柳津村) に長蔵寺を建立。
永禄6(1563)年
      蘆名盛氏公が、甲斐/武田信玄 (晴信) 、北条氏康らと同盟を結ぶ。
      遠藤田島が宮目村 (喜多方市) に安昌寺を創建。
永禄7(1564)年
      黒川/小田町に極楽寺が建立。
永禄8(1565)年
3月 10日   地震。
永禄9(1566)年
      蘆名盛氏公が、仙道 (中通り地方) を平定する。
      天海大僧正が、善昌寺の住職 (初めての住持) に就任。
永禄11(1568)年
      青津観音 (会津坂下町) が、僧/松岩により正徳寺の境内に創建。
      向羽黒山城 (会津美里町) が完成。 二千余の建物のある堅固な城。
永禄13〜元亀元(1570)年
      多勢寺が、僧/岩碩により沢田村に創建。
      竜泉寺が、僧/呑芝により田中村に創建。
元亀2(1571)年
      光明寺 (会津坂下町) が、岌岸上人により光明院として開山。
元亀4〜天正元(1573)年
1月 11日   正蓮寺が、僧/了善により材木町に一宇を創建し開山。
3月 5日   蘆名盛氏公が、白河にて常陸/佐竹義重に勝利し平定する。
 この年 日照りが続き大旱魃、蘆名盛氏公が徳政令を出す。
      天海大僧正が、蘆名盛氏公の懇願を受け帰郷し鶴ヶ城稲荷堂の別当に就任。
      観音寺<竹屋> (喜多方市) が、越後の僧/快元により草創。
      僧/[王+昆]照が本九々布村 (下郷町) に無量寺を創建。
      龍蔵寺が、僧/龍満により橋屋村 (喜多方) に創建。
      織田信長が足利義昭を追放し、室町幕府が滅亡。
天正2(1574)年
      蘆名盛氏公が、田村隆顕が死去し家督を継いだ田村清顕を従属させる。
      西蓮寺が、僧/幽善により京都本願寺から本尊と寺号を受けて草創。
天正3(1575)年
6月 5日   第17代領主/ 蘆名盛興公。 嗣子が無く、養子を 蘆名盛隆公と改名させて家督を継がせるも、実権は蘆名盛氏公
 この年 第20代領主となる 蘆名義広公が生れる。
      真龍寺が、会津出身の僧/河井慶善により開山。

天正4(1576)年
      正福寺が、僧/空誉により入田付村に創建。
      僧/清宅が喰丸村 (昭和村) に延命寺を創建。
      大旱魃、蘆名盛氏公が徳政令を出す。
天正6(1578)年
2月 17日   蘆名盛氏公が、上杉謙信に通じ背いた大槻館主/大槻政通と西方館主/山内重勝を攻め誅す。
      3月26日、小田切孫七郎に上杉謙信の死去実否を探らせる。
3月13日に病死を知るや、死に乗じて越後に出兵 (御館の乱)。
天正7(1579)年
1月 9日   己卯正月九日夜半塔寺八幡宮拝殿大鳴
 この年 円満寺 (西会津町) の出ケ原観音堂が再興され、現在に残る。
  〃 僧/万鉄が黒川の城南 (花畑通) に長楽寺を創建。「天中万機と云う僧」とも。
天正8(1580)年
      西念寺 (柳津町) が、僧/正善により草創。
6月 17日   中興の租である第16代領主/蘆名盛氏公が、岩崎城で没 (60歳)

天正9(1581)年
8月 6日   蘆名盛隆公が、織田信長に名馬3頭と蝋燭1000挺を献上。
 この年 僧/天室が長尾村 (喜多方市) に長善寺を創建。
天正10(1582)年
      蘆名・佐竹・白川の同盟締結。
      安照寺 (南会津町) が、宗玄上人により宮床に移築・創建。
      長福寺 (只見町) が、僧/寿察により若松/天寧寺の末寺として草創。
      常勝寺 (会津美里町) が、常勝により草創。
      織田信長が本能寺にて明智光秀に討たれる。
天正11(1583)年
      東源寺(東源坊) が、樋島村に建立。
天正12(1584)年
6月 13日   出羽三山への参詣に乗じて、家臣/栗村盛胤や松本行輔らの反乱で黒川城を占拠されるも、すぐに鎮圧。
7月     栗村の長沼城主である実父/新国貞通も降伏させる。
      伊達氏に備え、大塩に柏木城が築かれる。
9月 4日   第19代領主となる蘆名亀王丸公が生れる。
10月 6日   第18代領主/蘆名盛隆公が、家臣の大庭三左衛門斬殺される (23歳)。
1歳の蘆名亀王丸公が家督を継ぐ。 後見人である伊達政宗公が好機ととらえ蘆名家を滅ぼすことになる。

天正14(1586)年
11月 21日   第19代領主/蘆名亀王丸公が3歳で病死 (疱瘡) したため、常陸領主/佐竹義重の子の白河義広を迎える。

天正15(1587)年
      西ノ沢温泉 (猪苗代町) が開湯。
3月 3日   白河(佐竹)義広が蘆名氏の養子として蘆名義広を名乗り、会津入りする。
天正16(1588)年
5月 11日   蘆名盛隆公の後室/彦姫 (伊達晴宗の4女) が病没。37歳。
天正17(1589)年
      伊達政宗公の侵攻に備え、久川城 (南会津町) が築城。
5月 4日   伊達政宗公が蘆名領/安子島城を攻め、城主/安子島治郎少輔を降伏させる。
5月 5日   次いで蘆名領の高玉城 (郡山市高玉) を攻め、城主/高玉太郎左衛門常頼は自刃するも城中の者を皆殺しにする。 蘆名領に、くさびを打ち込んだ。
6月 5日   蘆名義広公が、櫂上原の戦いで伊達政宗公に破れる。
戦死者 2,500人 (1,580人とも)。
      慧日寺 ( 磐梯町) が、伊達政宗公の会津侵攻により金堂を残して全て焼失。
6月 10日   蘆名義広公が白川 (白河) 経由で実家の常陸国へ落ち延びる。
天海大僧正が甲冑に身を包み護衛のため同行する。
6月 11日   伊達政宗公が、黒川の興徳寺へ入る。
寛永8(1631)年
6月 7日   第20代領主/蘆名義広公が没。
10月 7日   第21代当主となる 蘆名盛俊が生れる。

慶安3(1650)年
2月 17日   出羽角館蘆名氏第3代領主となる蘆名千鶴丸が生れる。
慶安4(1651)年
6月 10日   第21代当主/蘆名盛俊が没。
承応2(1653)年
6月 13日   蘆名千鶴丸没 (3歳)。 蘆名氏は滅亡。

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