天海大僧正が、住職を務めた寺院。
承久3(1221)年、世良田 (得川) 義季が創建し臨済宗開祖/栄西の高弟/栄朝が開山したが、戦国時代に荒廃。
世良田義季は、徳川家の先祖とされている。
天正18(1590)年、寺の荒廃を知った家康が天海を招聘し再興を委託、「松平」から「徳川」に復姓した。
天海は天台宗に改め、寺を再興した。
江戸時代には、将軍家発祥の地として庇護され、大いに繁栄した。
勅使門、三仏堂、太鼓門、開山堂などが残っている。
渡月橋のある蓮池には、
竜宮伝説
も伝わっている。
▲(太田市世良田町3119-7 Tel. 0276-52-1035) |
木造天海大僧正坐像 (新田荘歴史資料館) 江戸時代初期に制作された像高58.9センチ・寄木造りの木像で、長楽寺の開山堂に安置されていた。 平成15(2003)年の調査で天海大僧正の像と判明。 現在、世良田東照宮を挟んだ隣にある太田市立新田荘歴史資料館に寄託されている。 ▲(太田市世良田町3113-9 Tel. 0276-52-2215) |
徳川家康が祭神として祀る東照宮の1つ。
寛永21(1644)年、天海大僧正が日光輪王寺と長楽寺の住職を兼ねていたことから、徳川氏先祖の地/長楽寺の境内に創建された。
徳川家光が日光東照宮を全面的に改築した際、家康の遺骸を久能山から日光へ改葬した時に建立された東照宮奥社の拝殿、唐門、多宝塔を移築したもの。
明治政府が施行した大罪/廃仏毀釈という仏教弾圧により、長楽寺から分離され郷社になる。
▲(太田市世良田町3119-1 Tel. 0276-52-2045)
真言院井戸寛永19(1642)年、天海大僧正が造り直した井戸。真言院とは長楽寺の境内に建てられた別院。 灌頂の儀式など重要な浄水として使用された。 世良田東照宮脇で新田荘歴史資料館の方向にある。 天海大僧正の略歴については、こちら。 |
永禄7(1564)年、随風 (天海大僧正) が、兼学の禅客/道器がいると聞き、親友/亮ェとともに師事した。
大仏頂経の講演に接し涙を流して感動したと云う。
朝に首楞厳経、夕に易経を聞き、寝食を忘れるほど学問を吸収する。
永禄9(1566)年、懇願され善昌寺の住職 (塔頭の1寺、長楽寺の末寺とも) となる。
初めての寺持ちであり、出家して20年の歳月が流れていた。
「慈眼大師の住したまう寺なり、関東にて寺を持ちたまうは当寺なり/新編上野国誌」
大同元(806)年、宥海が開山し、大同寺と称した。
新光太平山、妙珠院。
本堂の裏には、新田義貞の首塚と伝わる安山岩の五輪塔がある。
安山岩で高さ2.8メートルもある。
▲(桐生市新里町新川2728 Tel. 0277-74-3697)
明治5(1872)年10月4日、日本初の本格的な器械製糸工場が開業。
操業開始にあわせての要請を受け、五戸/中ノ沢に設けられた救貧所で機織や糸引きなどを学んだ斗南藩士の婦女子15名が派遣されている。
操業開始時の女工の人数は、210人ほど。
平成17(2005)年、一部の建造物が国の史跡に指定。
平成18(2006)年、一部の建造物が重要文化財に指定。
平成26(2014)年、それらの一部が国宝に指定、世界遺産にも登録。
▲(富岡市富岡1-1 Tel. 0274-67-0075)
舟石にあるものと同じ句碑。
旧/中山道沿いで、坂本宿出口の右側にある。
「ひとつ脱て うしろに おひぬ 衣かへ」
▲(安中市松井田町坂本)
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鶴ヶ城と同じく日本100名城 (17番) の1つ。 太田金山城、新田金山城とも。 文明元(1469)年、岩松家純が築城した金山の山頂にある石垣造りの城で、関東平野を一望できる山城。 戦勝や雨乞などの儀式を行ったとされる日ノ池や、月ノ池、二ノ丸・三ノ丸跡の曲輪などが残っている。 昭和9(1934)年、国の史跡に指定。 |
鶴ヶ城と同じく日本100名城 (16番) の1つ。
永正9(1512)年、長野業尚が築城した山城。
大永6(1526)年、業尚の子/信業が築城との説も。
慶長3(1598)年、井伊直政の高崎城移封により廃城。
昭和62(1987)年、国の史跡に指定。
▲(高崎市箕郷町西明屋)
「ソースかつ丼」が名物である地域の1つ。
◇ 会津若松市
◇ 伊那市
◇ 福井市
キャベツなどはなく、一口大に切った豚カツだけのシンプルさが良い。
▲(桐生市一帯)
[ふる川]
[藤屋]