徳川家康を祀る神社として、元和3(1617)年に2代将軍/徳川秀忠により創建された。
前年に死去した家康の遺言により遺骸は、まず久能山に埋葬される。
翌年、国家を護る"日本之神"の「八州の鎮守」として、日光に改葬された。
寛永11〜13(1634〜1636)年、3代将軍/家光により絢爛豪華な社殿群となる。
現在のものは、この時のもので、「寛永の大造替」といわれる。
延べ454万人が動員され、金56万8千両、銀100貫匁、米1千石、材木14万本と伝わる。
数多くの国指定文化財にも指定されている。
国宝は、本殿、正面、背面唐門、東の透塀、西の透塀、陽明門、東の回廊、西の回廊の8棟と、太刀の銘助真、銘国宗などがある。
重要文化財は、建物34棟のほかに、画や書など11点も指定されている。
平成11(1999)年には、ユネスコの世界遺産にも登録され、陽明門などは世界的にも有名。
江戸の真北に位置し、陽明門とその前の鳥居を結んだ上空に北極星が来るように造られた。
主な建造物を線で結ぶと、北斗七星の配置になるようにも設計されている。
幸せな一生を表す8枚の猿の絵の中で、「見ざる、言わざる、聞かざる」は、あまりにも有名。
もう一つの見どころとして、「眠り猫」がある。
雀が舞っていても、猫が襲わず寝っているほど、平和であることを表している。
寝ていると思わせて、いつでも飛びかかれる姿勢をしているともいわれる。
▲日光東照宮社務所(日光市山内2301 Tel. 0288-54-0560 〔HP〕)
奈良時代に僧/勝道上人が開創とされ、日光山に点在するお寺、お堂、支院の総称。
その後に天海大僧正が再興し、徳川家康を神として祀る東照宮が造られた。
関東の霊場「日光山」または「日光三所権現」として1200年の歴史を持つ。
明治政府が施行した大罪/廃仏毀釈という仏教弾圧により「二社一寺 (東照宮、輪王寺、二荒山神社)」に分離された。
家光を祀った大猷院霊廟や天海大僧正を祀った慈眼堂がある。
世界遺産にも登録され、「釈迦涅槃図」は有名。
▲日光山輪王寺(日光市山内2300 Tel. 0288-54-0531 〔HP〕)
関東平野の北に位置する霊峰二荒山は、古来より山岳信仰としてうやまられていた。
現在の境内は、3宮から構成されている。
◇ 日光の最奥にある本社
◇ 中禅寺湖畔にある中宮祠
◇ 男体山の山頂にある奥宮
世界遺産にも登録され、重要文化財である朱塗りの神橋は、実に美しい。
▲日光二荒山神社(日光市山内2307 Tel. 0288-54-0535)
日光二荒山神社中宮祠(日光市中宮祠2484 Tel. 0288-55-0017 〔HP〕)
日光市の西北部、中禅寺湖の北岸に位置する標高 2,486メートルの山。
二荒山、黒髪山、国神山とも。
古来より、山岳信仰の対象として知られる。
日光二荒山神社の奥宮が山頂にある。
2万年ほど前の男体山の噴火によりできた"せき止め湖"である。
日光国立公園内にあり、周囲は約25キロもありで最大の湖。
水面の海抜高度1,269メートルで、面積4平方キロ以上の自然湖では、日本一の高さに位置する。
日本百景にも、選定されている。
華厳ノ滝は、湖水の出口にある。
南側に細長く突き出た半島は、八丁出島と呼ばれている。
天応2(782)年、日光開山の祖である勝道上人が発見した。
その2年後、湖畔に神宮寺が創建された。
文化元(1804)年には湖畔に六軒茶屋ができ、賑わっていたという。
発見以来、女人禁制、牛馬禁制であったが、明治5(1872)年に解かれた。
その後、外国人の避暑地として湖畔に別荘が建てられ、リゾート化されていった。
今でも、フランスやベルギーなどの大使館別荘がある。
イタリアの別荘を買い取り、平成12(2000)年に"イタリア大使館別荘記念公園"として開園した。
中禅寺湖周辺には、伝説にまつわる名所旧跡が多い。
代表的なのが、湯川河口付近の菖蒲ガ浜と立木観音(中禅寺)前の歌ガ浜だ。
男体山と赤城山が、中禅寺湖の所有をめぐって戦場ガ原で戦ったという有名な伝説があり、そのときに戦いの血で赤く染まったのが赤沼といわれる。
そして、勝負がついた場所が菖蒲(勝負)ガ浜というわけだ。
さらに、祝勝の宴を開き、歌い踊った場所が歌ノ浜、今の歌ガ浜である。
女人牛馬禁制の地であったゆえの悲劇的伝説もある。
巫女が「神に仕える身であれば山に登っても許される」と思い、中禅寺に登った。
しかし湖畔に出ると、身がすくみそのまま石になってしまったという話である。
その石が「巫女石」と呼ばれ、湖畔の中宮祠の鳥居横に残っている。
(日本観光協会ホームページより)
日光二荒山神社の記録には、明治11(1878)年、魚のいなかった湖に放流を行ったとある。
明治39(1906)年に、十和田湖のヒメマスが放流され、今では名物にもなっている。
最近は、ワカサギとともにヒメマスの漁獲量も激減している。
近親交配によるものとの理由から、平成20年6月4日には、半世紀ぶりに、北海道支笏湖産ヒメマスの稚魚が放流された。
中禅寺湖の北岸の二荒山神社中宮祠付近で、ホテルや旅館が立ち並ぶ地区にある温泉。
昭和26(1951)年、源泉である湯元温泉から湯を引き始めた。
12キロの引き湯の間に、適温になるという。
遊覧船の乗り場もある。
ロープウェイもあったが、平成15(2003)年に廃止された。
☆泉質 単純硫黄泉 (硫化水素型)
効能 糖尿病、慢性婦人病、慢性皮膚病、切傷、
(一般的適応症) 神経痛、筋肉痛、関節痛、打ち身、痔疾、慢性消化器病、冷え性、
病後回復、疲労回復、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、くじき、健康増進など
▲(日光市中宮祠辺り)
≪遊覧船≫
定期の遊覧船も運行されている。
▲東武興業株式会社中禅寺湖機船 (Tel. 0288-55-0360)
・4月〜11月
中禅寺湖から流れ出る高さ97mの滝。
茨城県の袋田ノ滝、和歌山県の那智ノ滝とともに、日本の三大名瀑。
発見は、勝道上人が見つけて、仏教の教え華厳経から名付けられたとのこと。
明治36年、旧制一高生の藤村操(18歳)が投身自殺したことから自殺の名所となり、遺書にある「不可解」の言葉は流行したそうである。
悠々たる哉天壊、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす。
ホレーショの哲学、竟に何等のオーソリチィーに値するものぞ。
萬有の真相は唯一言にして 悉す。
曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし。
始めて知る大なる悲観は大なる楽観に一致するを。
(藤村操が、樫の木に書き残した「巖頭之感」と題する遺書より)
華厳ノ滝・霧降滝とともに、日光三名瀑の一つにあげられる落差19メートル・幅2メートルの滝。
明治35(1902)年の崩落以前は、滝の裏側から滝が見られたことから名付けられた。
駐車場から徒歩10分ほどだが、結構きつい。
華厳ノ滝・竜頭ノ滝とともに、奥日光三名瀑の一つにあげられる落差50メートル・幅25メートルの滝。
湯ノ湖から流れ出る。
駐車場が有料。
華厳ノ滝・湯滝とともに、奥日光三名瀑の一つにあげられる落差60メートル・幅10メートルの滝。
湯ノ湖の水が流れる湯川が、中禅寺湖に注ぐ手前のところにある。
道路をはさんだ駐車場からすぐ。
田母沢川にそそぐ沢に落ちる落差50メートル・幅6メートルの滝で、七段になって落ちている。
近くに寂光寺があったことから名がついたが、「布引の滝」 「七滝」 などの名もある。
古くは男体山、中禅寺への登拝者の道であった。
現在は、国道120号の馬返から中禅寺湖間の名称。
昭和中期から、カーブが48か所(標高差約500メートル)あることから「いろは坂」と呼ばれるようになった。
観光客増加により、昭和41年に「第二いろは坂」ができたことにより、今までの道は「第一いろは坂」となる。
上り線が降り坂の「第一いろは坂」、下り線が登り坂の「第二いろは坂」である。
昔は女人禁制で、かつ牛馬も上れなかったため、上り口が「馬返」と呼ばれるようになった。
女人が男体山を拝み引き返した場所には、「女人堂」が残っている。
途中には、深沢茶屋、剣ガ峰茶屋、中ノ茶屋、座頭茶屋、見晴茶屋が存在していたが、今は「中ノ茶屋」の跡だけである。
第二いろはの終点近くにある眺望に優れた場所。
落ち逃れた明智光秀説のある天海大僧正が名付けたとされる。
さらにロープウェイを使えば、日光で一番といわれる標高1,473メートル明智平展望台に、3分ほどで行ける。
男体山、中禅寺湖、華厳ノ滝、屏風岩、白雲ノ滝などが見え、運が良ければ筑波山、太平洋まで見えるという。
▲パノラマレストハウス(Tel. 0288-55-0120) 、ロープウェイあけちだいら駅(Tel. 0288-55-0331)
標高1,400メートルの高地に広がる約400ヘクタールの湿原。
国道120号沿いの中禅寺湖と、湯元の間にある。
事の起こりは中禅寺湖だった。
これがどこの領土に属するか、下野の二荒山(いまの男体山)の神と、上野(群馬県)の赤城山の神の間で争いが起こった。
そこで両神による神戦で雌雄を決することになったが、どうも二荒山の旗色がよくない。
二荒山が鹿島大明神に相談すると、奥州にいる小野の猿丸という弓矢の名人を教えてくれた。
猿丸は、二荒山の神の孫にあたった。
二荒山の神は見事な白鹿に化身して奥州の阿津加志山に現れ、この鹿を追う猿丸を二荒山まで誘い出した。
事情を知って助勢を承知した猿丸は、戦地となっている戦場ガ原に赴いた。
なるほど、赤城山の化身ムカデの大群と、二荒山の化身ヘビの大群が、刺したりかんだり、絡み合って戦っていた。
ムカデ軍に目をこらすと、2本の角を持つ大ムカデが戦の指揮をとっていた。
これぞ敵の大将とばかり、猿丸はその左の目を狙って矢を放つと、見事に的中。
敵は見る間に撤退を始め、二荒山の勝利に終わった。「戦場ガ原神戦譚」
(日光観光協会ホームページより)
周囲2.8キロの湯ノ湖の北側にある温泉街。
戦場ガ原の奥にあり、奥日光の奥座敷といわれている。
1,200年前、日光を開いた勝道上人の発見によるとされる。
温泉神社のほかに、「温泉寺」という珍しい名の寺もある。
足湯も新設された。
☆泉質 単純硫黄泉 (硫化水素型)
効能 糖尿病、慢性婦人病、慢性皮膚病、切傷、
(一般的適応症) 神経痛、筋肉痛、関節痛、打ち身、痔疾、
慢性消化器病、冷え性、病後回復、疲労回復、五十肩、
運動麻痺、関節のこわばり、くじき、健康増進など
▲(日光市湯元)
・奥日光湯元温泉旅館協同組合 〔HP〕
昭和51(1976)年に開通した霧降高原有料道路の一帯。
霧降滝を起点として、キスゲ平を抜けて、大笹牧場を終点とする高原地域。
≪霧降ノ滝≫
上下2段に分かれている滝。
上段の落差は25メートル、下段は26メートルで、全長は75メートルに及ぶ。
華厳ノ滝、裏見滝とともに日光三名瀑の一つ。
岩にあたった水が、霧のように降り落ちる様子から、最も美しい滝といわれている。
観瀑台からの遠望も素晴らしいが、徒歩20分ほどの滝壺からの眺めは最高。
≪玉簾ノ滝 (たますだれのたき)≫
落差10メートルと、多少小さめの滝。
水が、玉すだれのように落ちてくることから。
隠れ三滝と呼ばれる丁字ノ滝、玉簾ノ滝、マックラノ滝の順で、約1時間の行程。
≪つつじが丘≫
バス停「霧降ノ滝入口」から「つつじガ丘」までの一帯。
ヤマツツジの大群生地。
≪キスゲ平、夏山リフト≫
標高1,689メートルの丸山の中腹に広がる台地。
初夏には、ニッコウキスゲの黄色い花が、一面に咲き誇る。
運が良ければ、雲海を眼下に見ることもできる。
▲日光リフト事務所
(日光市所野1531 Tel. 0288-53-0525)
大豆の豆乳を煮たときに、表面にできる薄い膜を引き上げたもの。
日光と京都にだけ伝わる料理だが、日光は薄い膜を巻き上げる。
京都は「湯葉」だが、日光は「湯波」と記す。