平成21(2009)年、NPO法人「会津マンガ文化研究会」が、19ヶ所に解説パネルを配置した。
パネルがあるだけなので、各自興味のある場所を訪問されたし。
※ 下記の記事内容は、令和7(2025)年の状況。
< 調 査 途 中 >
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2 白木屋パネルは、併設の白木屋史料館に展示されている。会津塗に興味を持ち、老舗の白木屋を訪れた。 絵付けを体験している。 応接間で座った椅子も現存している。 ▲(会津若松市大町1-2-10) |
3 阿弥陀寺パネルは会津新選組記念館に展示されていたが、現在は倉庫に保管しているとのこと。 |
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4 笑美パネルは、移転した後も入り口の棚に展示されている。赤べこを買い求め、長らく仕事部屋に飾っていたとのこと。 ▲(会津若松市中央1-5-13) |
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5 清水屋旅館跡パネルは、隣接している大東銀行会津支店の入り口に展示されている。土方歳三や帰省した新島八重なども宿泊している。 ▲(会津若松市大町1-1-38) |
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6 昭和なつかし館当時放映の白黒アニメ「鉄腕アトム」が館内で見れる。 ▲(会津若松市大町1-1-46) |
8 神明通り当時あったパーラーで、PTAや貸本屋の人たちと座談会が開かれた。 「漫画教室」は2回も開催されている。パネルは、東邦銀行会津支店に展示されていたが、係員に聞いても知らないとのこと、撤去されてしまったようだ。 |
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11 御薬園パネルは、受付所の側面に展示されている。手塚治虫の先祖が医者だったので、興味深く見学し、多くの質問をしている。 ▲(会津若松市花春町8-1) |
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13 東山温泉宿泊した「すみれ館」や、作品に描いたケーブルカーは今は無い。▲(会津若松市東山町湯本) |
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14 背あぶり山パネルは、山頂の無料休憩所(レストハウス)に展示されている。当時あったケーブルカーに乗って頂上にやってきた。 「スリル博士/第4話」に描かれている。 |
15 近藤勇の墓パネルは、会津慶山焼に展示されていたが、現在は展示していないとのこと。 |
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16 飯盛山パネルは、スロープコンベアの受付所に展示されている。大好きだった場所の1つで、家族旅行で訪れた際には子供たちに説明をしている。 特に戦争の悲惨さを話していたとのこと。 「スリル博士」の巨木が倒れてくるシーンに使われている。 ▲(会津若松市一箕町大字八幡字弁天下) |
17 さざえ堂現在は、パネル展示をしていないとのこと。 |
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18 滝沢本陣パネルは、館内(有料)に展示されている。▲(会津若松市一箕町大字八幡字滝沢122) |
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19 向羽黒山城跡パネルは、会津美里町インフォメーションセンターの入り口に展示されている。戦国時代の葦名氏の向羽黒山城に興味を持ち、「夜明けの城」のモデルになっている。 ▲(会津美里町白鳳山公園) |
平成28(2016)年7〜8月には、会津ゆかりの漫画キャラクターをテーマにしたスタンプラリー (主催/極上の会津プロジェクト協議会) が、会津の全17市町村で繰り広げられた。
◇ 鶴ヶ城観光案内所・飯盛山観光案内所・会津若松駅観光案内所・芦ノ牧温泉観光案内所
◇ 会津坂下町 会津坂下駅・春日八郎おもいで館・道の駅あいづ
◇ 会津美里町 会津本郷陶磁器会館・会津美里町高田インフォメーションセンター
◇ 猪苗代町 猪苗代観光協会・猪苗代町中津川渓谷レストハウス
◇ 金山町 道の駅奥会津かねやま・金山町観光情報センター
◇ 喜多方市 喜多方駅観光案内所・喜多の里観光案内所・小田付観光案内所・カイギュウランドたかさと
◇ 北塩原村 裏磐梯観光協会・道の駅裏磐梯
◇ 下郷町 湯野上温泉駅・道の駅しもごう・大内宿観光案内所
◇ 昭和村 道の駅からむし織の里しょうわ
◇ 西会津町 道の駅にしあいづ よりっせ・ふるさと自慢館
◇ 只見町 只見町観光まちづくり協会
◇ 磐梯町 道の駅ばんだい・磐梯山慧日寺資料館
◇ 檜枝岐村 尾瀬桧枝岐温泉観光案内所
◇ 三島町 道の駅尾瀬街道みしま宿・三島町観光交流館からんころん
◇ 南会津町 奥会津博物館・前沢曲家集落管理棟・会津高原尾瀬口駅・会津田島駅
◇ 柳津町 道の駅会津柳津観光物産館清柳苑・つきみが丘町民センター
◇ 湯川村 道の駅あいづ・湯川たから館
イベントに合わせて、新宿と会津を結ぶ夢街道会津号に、手塚治虫のキャラクターが描かれたラッピング車両が運行された。
パスタ新宿で目にした大勢の待合い客から、驚きの喚声が上がったという。
次に開催されるだろうイベントが楽しみである。
<以下、「東山温泉ぶらり朝散歩」と併記> .
昭和34(1959)年、週刊・月刊合わせて8本の連載の他に、多くの読み切りも抱えていて超多忙の中、虫プロのアシスタントとしていた5人の「会津漫画研究会」出身者の案内で会津に来訪し、約1週間も滞在した。 (※ 当時の手塚治虫の仕事場は、会津弁が飛び交っていたという。) 旅館「原瀧」の別館すみれ館に宿泊し、田楽のお秀茶屋、鶴ヶ城、滝沢本陣や飯盛山、神明通り、向羽黒山城、裏磐梯などを巡っている。 名所めぐりだけでなく、手塚が自から提案して座談会や子供向けの漫画教室などを開催し、多くの写真や色紙も残している。 締め切りの迫る作品作りは、夜を徹して描いていたという。 残念ながら、お気に入りの「別館すみれ館」は現存していないが、「いろりの宿 芦名」に宿泊した当時をイメージした部屋が造られているとのこと。 同年4〜9月、「週刊少年サンデー/小学館」に連載された「スリル博士」の第4話「博士のノイローゼ」は、会津を来訪した主人公/ヒゲオヤジ (スリル博士) が東山温泉を舞台として描かれている。 手塚作品の多くは、未來や宇宙、外国なのだが、現実の会津の地を舞台として描いており、いかに会津を こよなく愛していたがが分かる。 また、向羽黒山城の伝説を聞き感銘し、同年の5ヶ月後の「中学一年コース9月号/学研」で「夜明け城」の連載を始めた。 その他、「スーパー太平記」や「新撰組」、「奇子」など10数種類の作品に会津関連の記述がある。 第2回目の来訪は、昭和47(1972)年9月、やなせたかし、馬場のぼる、小島功たち漫画家一行24人を引き連れて来た。 「白虎祭り (現/会津祭り)」にあわせて、親睦旅行を兼ねての大旅行であった。 盆踊りに参加したり、サイン会も開いている。 興徳寺では、子どもたちに向けてマンガ教室が開催され、いつもは静寂な境内が人々で埋め尽くされたという。 第3回目の来訪は、昭和50(1975)年8月15〜17日、親戚も加わった10人ほどの家族旅行であった。 しかし仕事が終わらず、14日に家族が先に出立し、本人は翌日にタクシーで駆け付けた。 この時の様子を、半自伝的マンガ「マコとルミとチイ (雑誌/主婦の友)」に描いている。 飯盛山など市内の他にも、猪苗代湖、野口英世記念館、五色沼など遠出しているが、この時もマンガ教室を開いている。 手塚治虫は仕事で全国を飛び回っていたが、プライベートで3度も訪れた地域は数少なく、いかに会津を好いていたことへの証であろう。 平成28(2016)年、手塚治虫の漫画家デビュー70周年を記念して、 ◇ 4月1日〜翌年3月31日、「会津若松〜新宿」間を結ぶ定期バスに、 作品をラッピングした「記念号」が運行された。 ◇ 7月1日〜8月31日、「会津 手塚治虫キャラクタースタンプラリー」として 絵柄の違う手塚キャラのスタンプ合計53種類が配置された。 ・会津全域に39ヶ所のチェックポイント ・会津各地で開催される14ヶ所のイベント会場 七日町に「漫画館 会津冒険堂」があったが、残念ながら閉館。 《追記》 館主の自宅で、予約制の「会津美里冒険堂」として開館。 |