鶴ヶ城の城下町から東の方角にあることから「東山」と呼ばれ、西の方角にある柳津には西山温泉がある。 北には近くに山がないため「北方 (きたかた、明治に入り喜多方と改称)」、南の山間部を「南山」と呼んでおり、日光へ至る街道 (会津西街道) は「南山通り」と呼ばれていた。
なお、明治政府が施行した大罪/廃仏毀釈という仏教弾圧により、明治11(1878)年に東光寺は羽黒山神社となり廃寺され、木造金剛力士像2躯などは阿賀町上川の日光寺 (旧/会津藩領) に移された。
東山四大滝の1つ。
悲しい伝説がある。
6〜7台ほどの一般客用駐車場の先に、二股道 (三叉路?標識) がある。
「黒川の小径」から橋を渡り、旅館/向瀧の脇を進む。
進入禁止の行き止りまで進んでも滝は見えないが、音は鑑賞できる。
「不動滝 (現/新滝別館)」は、東山温泉の中で最も古い3つの源泉「猿の湯、こがの湯、不動湯」を所有しているとのこと。
そのうちの1つ「猿の湯」が、土方歳三の湯治湯である。
現在は入浴できず、保存・公開だけされていた。
石段を上り、「からり妓の小径」への途中に、足湯がある。
利用時間 7時〜21時
足湯から直進した坂が、
「残念坂」である。
すぐの所に、湯泉神社がある。
こちらは、二日酔いでも、参拝できる。
古絵図には、「湯泉社」と表記。
朝7時30分から開店。
お勧めは「湯の花羊かん」。
「竹久夢二の碑」の脇の橋を渡った「くつろぎ宿 新滝」の敷地側に、
「与謝野晶子の碑」がある。
「くつろぎの宿 新滝」の館内ロビー脇の1区画に「竹久夢二ギャラリー」がある。
無料開放されているが、フロントで許可を得て見学し、終ったら御礼の一言は礼儀であろう。
道路沿いの山側に、小さな祠が、ひっそりと佇む。
手塚治虫も、東山温泉を こよなく愛していた。
昭和34(1959)年、週刊・月刊合わせて8本の連載の他に、多くの読み切りも抱えていて超多忙の中、虫プロのアシスタントとしていた5人の「会津漫画研究会」出身者の誘いで会津に来訪し、約1週間も滞在した。
旅館「原瀧」の別館すみれ館に宿泊し、田楽のお秀茶屋、鶴ヶ城、滝沢本陣や飯盛山、神明通り、向羽黒山城、裏磐梯などを巡っている。 名所めぐりだけでなく、座談会や子供向けの漫画教室にも参加し、多くの写真や色紙を残している。 締め切りの迫る作品作りは、夜を徹して描いていたという。 残念ながら、お気に入りの「別館すみれ館」は現存していないが、「いろりの宿 芦名」に宿泊した当時をイメージした部屋が造られているとのこと。 同年4〜9月、「週刊少年サンデー/小学館」に連載された「スリル博士」の第4話「博士のノイローゼ」は、会津を来訪した主人公/ヒゲオヤジ (スリル博士) が東山温泉を舞台として描かれている。 手塚作品の多くは、未來や宇宙、外国なのだが、現実の会津の地を舞台として描いており、いかに会津を こよなく愛していたがが分かる。 また、向羽黒山城の伝説を聞き感銘し、同年の5ヶ月後の「中学一年コース9月号/学研」で「夜明け城」の連載を始めた。 その他、「スーパー太平記」や「新撰組」、「奇子」など10数種類の作品に会津関連の記述がある。 第2回目の来訪は、昭和47(1972)年、やなせたかし、馬場のぼる、たち漫画家一行と来訪した。 第3回目の来訪は、昭和50(1975)年、親戚も加わった家族旅行であった。 平成28(2016)年、手塚治虫の漫画家デビュー70周年を記念して、「会津若松〜新宿」間を結ぶ定期バスに、作品をラッピングしたバスが運行した。 |
東山四大滝の1つ。
「まとい橋」を渡った向かい側から見る。
早春か、初冬でないと、枝葉でよく見えない。
利用は、10時頃から。
雨降り滝と道路の反対側に、奇岩の「傘岩」がある。
正面から見ると、あたかも唐傘を畳んだように見える。
マグマが冷却固結する際に生じる柱状になった節理。
柱状岩の岩肌が何層にも重なり、見事な形状をしている。
1,225段もの石段があり、元気な人にはお勧め。
朝食が美味しくなるのは、間違いなし。
温泉入口から天寧寺本堂までは、1,200メートルほど。
さらに近藤勇の墓まで300余メートルほどの山道を登る。
朝食前の散歩には、健脚向き。
温泉入口から廟所正門までは、340メートルほどだが、
廟所内は広大で、朝食前の散歩には、ちょつとキツイ。
温泉入口から460メートルほど。
開館は8時30分からだが、シーズンには第2・第4日曜日の朝6時から8時まで朝市が開かれる。
温泉入口から300メートルほど。
会津料理・鶴井筒にあるが、開店は10時から。
くつろぎの宿「新滝」で「竹久夢二記念ギャラリー」をフロント尋ねると、宿泊客でもないのに、
「どうぞ、ごゆっくりご覧ください」
と快い返事を受けた。
今昔亭で、塀の中に見える足湯を尋ねれば、
「どうぞご利用ください。前にある砂利の駐車場もご利用なさって結構です」
と、懐の大きい言葉が返ってきた。
ここには、古き良き“会津”が残っていた。