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竹 久 夢 二 の 名 残 を 巡 る

 竹久夢二は、3度も会津を訪れている。
 
 明治43(1910)年5月25日、大逆事件 (冤罪事件) の大検挙がはじまる。
 当時の大逆罪は、未遂・予備 (準備)・陰謀などの計画段階でも、既遂犯と同じ処罰対象とされ、法定刑が死刑のみであった。
 竹久夢二も、幸徳秋水らの社会主義結社「平民社」との付き合いから数人の知人がおり、大逆事件関与の容疑で2日間 拘留された。
 明治44(1911)年1月18日、24名に有罪判決。
 同年1月24日、幸徳秋水ら11名が処刑。
 翌日、幸徳秋水の内縁の愛人/スガ (処刑後に後妻) など残りの者が処刑。
 衝撃を受けた竹久夢二は、有り金を持って逃げるように、親友/長尾為治を頼って会津へ向かった。
 明治44(1911)年3月17日、初めて会津に訪れた夢二は、風景・風土すべてに魅了された。
 会津の美人画や風景画、こよなく愛した東山温泉街のスケッチなど数多くの名画を描く。
 各地で描いた絵の頒布会も催されている。

 当時の会津には、男女が並んで歩くことなど許されない気風があった。
 “へなへなした女垂らし”の男と評されていた夢二を、歓迎するはずもない。
 会津の画家たちは、むしろ毛嫌いした。
 滞在の初期には、若い女性を見つけると見境なく描き写し、幾度となく変質者に間違いられ、何度も警察署に連行されている。
 “漁色家で浮気者”との評を感じたのか、会津では退廃的な女性画を描かなくなった。
 さらに、道義に厳格で至誠にあふれる風土に感銘、会津の風土を色濃く出すようになる。
 やがて、会津の人々の気持ちも、世間で噂される“へなへなした女垂らし”ではなく、“繊細な人情を解し、心優しい男”へと評価が変わっていった。
 大正10(1921)年の2回目は、東京で所帯を持った3人目の妻/お葉 (本名/佐々木カ子ヨ(かねよ))と共に訪れ、8月から11月まで会津の各地や近辺を旅し、展覧会を催した。
 
 この年、お葉と同棲したため資金を稼ぐ必要があったようで、1月から酒田や横田をはじめ、東北各地で展覧会を開きながら東北地方を南下し、会津に至る。
 「盆おどり」は この時に描かれ、民謡/会津磐梯山の歌詞も創作した。
    「屏風岩とは 嬉しじゃないか 掛けてゆこかよ 恋衣
 昭和5(1930)年の3度目は、6月に来訪。
 この時、夏の柳津町を訪れ、地元の娘をモデルにして数多くのスケッチを描いているが、魚渕の逸話に感銘を受けて詩も残している。
 昭和9(1934)年9月1日、再訪を心残りと言いつつ 49歳の生涯を終えた。
 最後の訪問から、4年後のことだった。
 
 描いたモデルとして、「宵待草」の詩想を得た東山温泉の半玉/トンボが有名だが、
  ◇ 東山温泉の芸妓/松吉、 久子
  ◇ 親友/長尾為治の息子/鶏二の妻/ミツの妹/芳賀テフ
  ◇ 新瀧旅館の館主/古川秀幸の長女/タキ
などが確認されている。
 竹久夢二が、大変気に入った伝統の名菓「九重 (ここのへ)」を、東山温泉から小包として東京の留守宅に送った記録がある。

 さあ、東山温泉に宿泊し、会津に残っている名残を、訪ねよう。

東山温泉に宿泊 (できれば新滝)

《3度の来訪とも 「新滝旅館」 に滞在した》

竹久夢二ギャラリー (くつろぎの宿 新滝)

竹久夢二ギャラリー 竹久夢二ギャラリー
くつろぎの宿 新滝  館内ロビー脇の1区画に、無料開放されている。
 訪れた3度の いずれも当館 (新滝旅館) に逗留しており、その時に残された作品の中から、数点が常時公開・展示されている。
 宿泊者ではなくても、快く見学させてもらえるはず。

 ▲新滝 (会津若松市東山町湯本川向222)

   ↓

竹久夢二の碑

竹久夢二の碑

「宵待草」

竹久夢二の碑の説明文
  「まてどくらせど 来ぬひとを 宵待ち草のやるせなさ こよいは月も 出ぬそうな
 新滝の入口にある洗心橋の手前角に、建立されている。
 昭和41(1966)年9月、代表作の1つ「宵待草」発想の地/大川端に建立。
 昭和52(1977)年9月、夢二が好きだった雨降り滝の橋の手前に移設。
 昭和56(1981)年、背炙山ロープウェイの東山ケーブル駅前に移された。
 昭和60(1985)年、背炙山頂上までの車道が開通に伴い利用客が激減したため、ロープウェイが廃業になってしまい、現在の地/旅館の新瀧に移された。
<「東山温泉ぶらり朝散歩」と併記>  .

   ↓

足湯

《竹久夢二 (1884〜1934)》
 

   ↓  3,6 Km

お土産は、宵待草と夢二菓譜 (上菓子司 会津葵) で決まり !?


宵待草
 夏の大川を彩る宵待草と、会津を愛した夢二をイメージした 求肥。

     夢二菓譜
        干菓子の「御法度打ち菓子」。

 ▲本店 (会津若松市追手町4-18)

   ↓  5,0 Km

大川端碑

 代表作「宵待草」発想の地。
 馴染みだった川魚料理店は今は無く、初代の/宵待草の碑は旅館/新滝の前に移され、大川堤に新しい碑があるのみ。
   会津磐梯山が
      ほのぼの見ゆる
         心ぼそさに たつ煙  夢二

 ▲(会津若松市門田町字飯寺上川原1)

   ↓ 26,9 Km  (磐越自動車道を使えば10分ほど早いが有料)

竹久夢二 ロマン記念碑 (きよひめ公園)



 昭和5(1930)年夏、地元の娘をモデルにして、数多くのスケッチを描いている。
 魚渕の逸話に感銘を受け、も残している。

<「柳津町」と併記>     .
 ▲(柳津町柳津字諏訪町)

   ↓ 25,4 Km

蔵座敷美術館

 平成2(1990)年、笹屋旅館の蔵座敷を美術館として開館。
 建物は、明治24(1891)年築の蔵で、上段の間・中の間・三の間の3部屋から成っている。
 竹久夢二「秋のおとづれ」をはじめ、日本画・屏風絵・掛け軸、書、彫刻、陶磁器など約100点の作品を収蔵・展示。
 会津を訪れた竹久夢二は3度とも逗留しており、直筆4点・復刻版4点の作品を所蔵とのこと。
 左側の入口手前に、竹久夢二の歌碑がある。
 ▲笹屋旅館 (喜多方市字三丁目4844 Tel. 0241-22-0008)
   ・10時30〜16時
   ・休館 月曜日、冬期間は土日祭日のみ開館

笹屋旅館 《笹屋旅館》
 明治12(1879)年、創業。
 3代目/圭一郎が画商を兼ねていたため、数多くの画家も逗留していた。  酒井三良名取春仙小川芋銭森田恒友安田靱彦下村観山、武者小路実篤など。
 当時、旅をしている画家は、旅先で即売用の絵を描くのが常であったため、旅館に多くの絵が残された。

<「喜多方市」と併記>     .

   ↓  1,0 Km

月見橋 (田付川)

 喜多方市中川原と道緑町を結ぶ田付川に架かる橋。
 竹久夢二が、この橋から輝くばかりの月を見て、大いに感動したことに由来する。
 親柱は、月をイメージして形成されている。
   ・全長:45.5メートル
   ・幅員:14.8メートル
   ・形式:2径間PC連続ポステン中空床版橋
 平成8(1996)年、旧橋梁が水害で落橋。
 平成9(1997)年、現在の橋が竣工。

 ▲(喜多方市中川原〜道緑町)

   ↓  3,1 Km

会津縦貫北道路/喜多方IC


 親友/長尾為治の孫/睦夫氏は、会津若松市内の営んでいた酒店の2階で「竹久夢二資料館」を開設していたが、残念ながら火災が発生し、貴重な資料などと共に焼失しまった。

《参考 主な作品》   作品のツールチップは有り。 画像は非公開。

 愛して頂戴愛の総勘定青い木の実赤襦袢秋(みのり・秋の色)秋雲流れて秋の海秋のいこい秋のしらべ秋の夜秋晴れ秋りんどう浅草の踊り子あした姉と妹尼寺へゆく女雨の日家の見える風景田舎はきれいです猪苗代の秋居眠り居眠り地蔵海をみる子ども梅川梅川忠兵衛浦のあけくれ扇をもつ女鴨東の夏丘の上の少女お光の亡霊おこそずきんお七落葉お伽の国めぐりおどりお夏おはなし想い想い想い阿蘭陀の花
女十題(逢状産衣 朝の光へ 北方の冬木場の娘黒猫紅梅三味線堀ネルの感触舞姫
 海浜にて鏡の女柿の木の下の女かくれんぼ果実篇アダム片想いカフェーの女紙屋治兵衛鴎の歌カルタ歌留多かるた会唐船や唐船屋寒月黄色いくだもの祇園夜話岸邊に立ちて紀伊国屋黄八丈紀伊国屋きまぐれ竹の子九連環緊縮小唄クリスマス黒猫を抱く女黒船屋閨怨化粧の秋ケンタッキーホーム 恋三題挿絵 紅梅恋のほそみち曠野の娘こたつこたつこたつ
 西鶴五人女竿の先の心臓作歌/ふるさと五月の朝五月の朝五月の夜幸せの予感静けき夜に紙帳姉弟詩/母治兵衛のマスク写生三味線草少女と動物雙六湘南風光春宵-為白川夫人初夏初春水族館水竹居助六青春譜石庭(七夕)早春早春の山山霜葉散るソファーで本を見る女空高き頃
 宝船立田姫七夕旅の唄旅の夜玉椿近松情話千代紙(日傘マッチ)月のあかり筑波山図椿少女燕のお家爪をきる女手をつなご電信柱どうして鳥の巣は違うか唐人お吉遠山に寄す童話読書読書トランプ
 長崎十二景(青い酒阿片窟浦上天主堂丘の青楼化粧台サボテンの花十字架凧あげ出島燈籠流しネクタイ眼鏡橋)流れの岸の夕暮に泣きぼくろ南枝早春南都の夏南蛮寺ニコライ堂日本之雨寝椅子ねこの通り道野分
 蓮根と慈姑初恋花影花子花の園花火花火花ひらくはまうた薔薇のとげ春江垂釣榛名の雪春の眼春の夜春のリズム春まつ人春娘図晩春晩春感傷晩夏のひと光れる水美人画賛美人觀書秘薬柴雪白夜ふくろ籐椅子藤の花船唄冬/雪の風ブランコふる里の海ブロークンハート頬杖をつく女 星まつり星まつり 盆おどり
 舞妓 (紅舞妓春の舞妓二人舞妓鴨東舞妓)舞姫また陽は昇る待ちわびて松原待つ人待てど暮らせど窓辺窓辺(表紙)眉をかく女麻利耶観音まわれはしれ道ゆきめ組
 柳橋やなぎ湯山の湖山の娘勇敢な恋人遊女小春ゆうやけこやけゆかたの女雪合戦雪の日ゆきのよる雪の夜の伝説夢見る女宵待草よき朝
 洛北早春裸婦/夏の女蘭燈旅舎春宵りすのひとりごと恋愛の結論
 若草の少女わくら葉忘れうちわ  APL FOOL
 セノオ楽譜 (お江戸日本橋お江戸日本橋オリエンタル・ローマン悲しきワルツ果実篇初戀之歌金剛石春の夜創造曲古歌の思出悲しきけしきさすらい人罌粟の花埴生の宿月光と露ハレルヤ合唱マザー・マックリーやまと少女の歌忍路高島こだま世の態ニーナの死たそがれの歌麗しき天然死と少女ミネトンカの湖畔独唱ラルゴー舟の舩頭衆紡車ジョセランの子守唄箱根八里は蓮の花匂ひの雨大島女五月の空にわが心は順禮の合唱ヴォルガの舟人夕映君が像ホフマン物語/船うた菩提樹の歌あかつき秋の月幸ある御国潮来出島ロリタセレナーデロマンスかひなき小夜曲アベマリア歌劇/椿姫汝が碧き眼を開け白鳥泣き黒子ハバネラの歌印度の歌唯我が心悩ぞ知らめちちのみの春の宵恋のいきさつ御神やよ影ふめば揺籃月ぞけぶれる宵待草深い河ほととぎすスヰートホームああわが子よかなしみ ジプシーの歌ヴォルガの舟曳歌)
 新小唄 (カチューシャの唄忘れし心晩餐けふやさしきもの喜びの日たそがれいのりたちつれ歌はな別れの歌宵の心椰の葉ひとり者魚燈みちとせバルコン越後獅子心や里(り)雪の夜青柳きぬぎぬ)
 中山晋平民謡曲 (青い芒出船の港須坂小唄波浮の港鉾ををさめてマノン・レスコオの唄鎮西小唄紅屋の娘雀をどり椿港踊旅人の唄東京行進曲龍峽小唄琵琶湖シャンソン鴨川小唄眞間之手児奈*空飛ぶ鳥*望月小唄*不壌の白珠)
 中山晋平新民謡 (岡崎小唄雪よふれふれ龍峽小唄西尾小唄舞鶴小唄)
 新作児童唱歌集No1新作小学童謡第二編童謡小曲第十四編)


 「会津レクリヤーション公園」にも、新しい句碑がある。

    まてど暮らせど来ぬ人を
      宵待草のやるせなさ
        こよひは月も出ぬさうな
   

  ▲(会津若松市湊町大字赤井地内)

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