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徳一大師の“ゆかり”を巡る

 1,200年の長い歴史を経て、源平の戦い、伊達軍の会津侵攻による戦火、戊辰戦争での長賊らによる略奪・放火・破壊、さらに長賊らの大罪/廃仏毀釈という仏教弾圧によって会津のみならず、日本全土の文化遺産の殆んどが失われた。
 徳一大師の遺産も例外ではなく、多くが消滅したが、偉業は今なお語り継がれている。
     ◇ 徳一大師については、こちら
     ◇ 五薬師を訪ね徳一大師に想いを馳せる」については、こちら

《磐越自動車道の「磐梯河東IC」から出発し、完結「会津若松IC」でご案内》

≪ 磐梯河東IC (磐越自動車道) ≫

   ↓  2.8 Km

東方薬師如来 恵日寺

 東方薬師如来  薬師堂

  ・徳一大師の本拠地。
  ・恵日寺 (真言宗豊山派) 丈六薬師如来
  ・病気治癒、健康長寿、災難除去、安産祈願、無事産育。
  会津徳一大師五大寺の一つ。

徳一廟  .


  ▲(磐梯町大字磐梯字本寺上4950)

   ↓  18.6 Km

大正寺

大正寺

 弘仁5(814)年、北山薬師堂の守護として草創。
 その際、裏山の岩上に梵字で薬師如来像を刻んだと伝わる。
   (空海が草創との説も)

 ▲(北塩原村大字北山字寺ノ前4590)


   ↓  1.3 Km

北方薬師如来 北山薬師

 北方薬師如来  北山薬師堂

  ・大正寺松音寺が1年ごとに祭礼を担当
  ・別称、峯の薬師
  ・病気治癒 (特に眼の病気)、健康長寿、安産祈願。

  ▲(北塩原村大字北山)

   ↓  16.4 Km

示現寺

示現寺

 大同2(807)年、空海、もしくは徳一大師が、北方の要所に慈眼寺として開山 (伝)。
 近年では、徳一大師が開山との説が有力とのこと。
 会津徳一大師五大寺の一つ。
 ▲(喜多方市熱塩加納町熱塩字熱塩甲795)

   ↓  23.5 Km (会津縦貫北道路/無料)

中央薬師如来 勝常寺

 中央薬師如来  薬師堂

  ・勝常寺 (瑠璃光山、真言宗豊山派)
  ・薬師像は、近畿地方以外での唯一の国宝
  ・病気治癒 (特に眼の病気)、健康長寿、安産祈願。
  会津徳一大師五大寺の一つ。
  ▲(湯川村大字勝常字代舞1764)

   ↓  9.8 Km

西方薬師 上宇内薬師堂

 西方薬師如来  上宇内薬師堂

  ・調合寺 (曹洞宗)
  ・薬師像は、国の重要文化財に指定
  ・治病延命、無事産育、子孫繁栄

  ▲(会津坂下町大字大上字村北地内)

   ↓  2.4 Km

 
   ↓  8.8 Km

第八番 田子薬師如来

田子薬師堂 (常福院薬師堂)

 創建時には大同2(807)年に徳一大師と空海が、李の霊木を刻んだ2躯が祀られていたと伝わる。
 ▲(会津美里町新屋敷字山王塚甲99)

   ↓  7.6 Km

恵隆寺

 大同3(808)年、徳一大師が再興。
  (空海が再興との説も)

▲(会津坂下町大字塔寺字松原2944)


   ↓  18.9 Km (磐越自動車道)   (一般道/18.0 Kmでも約10分の違い)

如法寺

如法寺 (鳥追観音)

 如法寺と鳥追観音は、道路をはさんである。
 大同元(806)年、草創。
 会津徳一大師五大寺の一つ。

 ▲(西会津町野沢字如法寺乙3533)

   ↓  19.9 Km (磐越自動車道)   (一般道/18.4 Kmでも約10分の違い)
 
   ↓  13.0 Km

般若寺跡

般若寺跡

 大同年間(806〜810)、開基。
 遺跡すら残ってない。
▲(西会津町宝坂大字宝坂字宝川乙1332)

   ↓  28.2 Km

福満虚空蔵尊(円蔵寺)

福満虚空蔵尊 (円蔵寺)

 大同2(807)年、開創。
 会津徳一大師五大寺の一つ。

 ▲(柳津町柳津字寺家町甲176)


   ↓  0.3 Km

奥之院の弁天堂

奥之院弁天堂

 大同2(807)年、円蔵寺を草創の際、奥之院として開創。

 ▲(柳津町柳津字門前町甲898)


   ↓  21.3 Km

 

   ↓  15.1 Km

延命寺 延命寺<三島>
 大同年間(806〜809)、徳一大師 (空海とも) が草創とされる。
 御坂山大高寺三十六坊の1つ「延命坊」とも。 そうならば、再興となる。
 ▲(三島町大字大石田字上居平870)

   ↓  51.8 Km

成法寺観音堂

成法寺

 弘仁年間(810〜824)、修行のための道場として草創。
 ▲(只見町大字梁取字仏地1864-1)

   ↓  61.9 Km

第二十四番 関山観音

関山観音

 大同元(806)年、会津入りした際に彫刻した十一面観音菩薩像が本尊。
 会津三十三観音の第二十四番札所
 ▲(会津美里町氷玉字村西山乙1032)

   ↓  13.7 Km

法用寺

 大同2(807)年に火災で堂宇・仏像もろとも消失。
 翌年の大同3(808)年、“仏都会津” を一望できる現在地に再建した。

 ▲(会津美里町雀林三番山下3554)

   ↓  9.6 Km

仁王寺

仁王寺

 大同2(807)年、疫病が流行し命を落とす者が多くなったので、民の平癒を祈願して開創。
 大岩観音を管轄

 ▲(会津美里町吉田字村中甲167)

   ↓  10.2 Km

 
   ↓  3.3 Km

第二十七番 大岩観音 大岩観音
 大同2(807)年、聖観音菩薩を彫刻し、一宇を設けて安置したと伝わる。
 会津三十三観音/第二十七番札所
 ▲(会津美里町吉田字大岩)
   ↓  13.3 Km

左下り観音(さくだりかんのん)

左下り観音

 天長7(830)年、修験道の入行前に籠る行堂として開山。
  (空海が開山とも)
 会津三十三観音の第二十一札所

 ▲(会津美里町大石東左下り1173)

   ↓  11.2 Km

 
   ↓  23.5 Km

中の沢観音堂(旭田寺) 中の沢観音堂
 大同2(807)年、徳一大師が正光寺を草創した時の観音堂。
 寛永年間(1624〜1643)に荒廃し、観音堂だけが残る。
 今は、旭田寺の管轄。
 御蔵入三十三観音の第十一番
 ▲(下郷町大字中妻字観音前)

   ↓  26.0 Km

 南方薬師如来  野寺薬師堂

  ・慈光寺 (曹洞宗)
  ・元々は、裏手の屯台平山の山頂に創建。
  ・病気治癒 (特に眼の病気)、健康長寿、安産祈願。

  ▲(会津若松市門田町堤沢字上村)

   ↓  10.1 Km

 
   ↓  1.2 Km

明光寺 明光寺 <門田>
 徳一大師の開山と伝わるが詳細不詳。 徳一大師が彫った「ナタ彫」の十一面観音菩薩像を山中を安置したところ、一夜にして宝堂が現れたという。
 ▲(会津若松市門田町大字御山字館ノ内81-1)

   ↓  2.5 Km

宝福寺 宝福寺 <門田>
 慶長年間(1596〜1615)、僧/中宥意が近くの荒廃した薬師堂から、徳一大師作と伝わる薬師如来像を移し開創。
 ▲(会津若松市門田町
      大字徳久字竹之元1220)
   ↓  4.2 Km

第四番 日限延命地蔵尊 西光寺跡
 永禄9(1566)年8月、一遍第30世/阿弥が草創の時、蘆名盛氏公が徳一大師作の日限地蔵尊3体を安置した。
 会津二十一地蔵尊の第四番
 ▲(会津若松市日新町2-11)

   ↓  8.4 Km

第十三番 舘観音 観音寺 (通称/舘観音)
 開基については、不詳。
 別殿/観音堂の聖観音像は、徳一大師作と伝わる。
 会津三十三観音の第十三番札所
 ▲(会津若松市北会津町館17)

   ↓  8.0 Km

延命寺<藤倉>

延命寺 <藤倉>

 大同2(807)年、慧日寺の塔頭として開山。
 大同4(809)年に二階堂と称する地蔵堂を建立とも。
 会津二十一地蔵尊の第十三番

 ▲(会津若松市河東町倉橋字藤倉160-2)

   ↓  2.3 Km

≪ 会津若松IC (磐越自動車道) ≫


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