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徳一大師の“ゆかり”を巡る
1,200年の長い歴史を経て、源平の戦い、伊達軍の会津侵攻による戦火、戊辰戦争での長賊らによる略奪・放火・破壊、さらに長賊らの大罪/廃仏毀釈という仏教弾圧によって会津のみならず、日本全土の文化遺産の殆んどが失われた。
≪ 磐梯河東IC (磐越自動車道) ≫↓ 2.8 Km東方薬師如来 薬師堂・徳一大師の本拠地。・恵日寺 (真言宗豊山派) 丈六薬師如来 ・病気治癒、健康長寿、災難除去、安産祈願、無事産育。 会津徳一大師五大寺の一つ。 徳一廟 .▲(磐梯町大字磐梯字本寺上4950)
↓ 18.6 Km 大正寺弘仁5(814)年、北山薬師堂の守護として草創。その際、裏山の岩上に梵字で薬師如来像を刻んだと伝わる。 (空海が草創との説も) ▲(北塩原村大字北山字寺ノ前4590)
↓ 1.3 Km 北方薬師如来 北山薬師堂・大正寺、松音寺が1年ごとに祭礼を担当・別称、峯の薬師 ・病気治癒 (特に眼の病気)、健康長寿、安産祈願。 ▲(北塩原村大字北山)
↓ 16.4 Km 示現寺大同2(807)年、空海、もしくは徳一大師が、北方の要所に慈眼寺として開山 (伝)。近年では、徳一大師が開山との説が有力とのこと。 会津徳一大師五大寺の一つ。 ▲(喜多方市熱塩加納町熱塩字熱塩甲795)
↓ 23.5 Km (会津縦貫北道路/無料) 中央薬師如来 薬師堂・勝常寺 (瑠璃光山、真言宗豊山派)・薬師像は、近畿地方以外での唯一の国宝 ・病気治癒 (特に眼の病気)、健康長寿、安産祈願。 会津徳一大師五大寺の一つ。 ▲(湯川村大字勝常字代舞1764)
↓ 9.8 Km 西方薬師如来 上宇内薬師堂・調合寺 (曹洞宗)・薬師像は、国の重要文化財に指定 ・治病延命、無事産育、子孫繁栄 ▲(会津坂下町大字大上字村北地内)
↓ 2.4 Km 恵隆寺大同3(808)年、徳一大師が再興。(空海が再興との説も) ▲(会津坂下町大字塔寺字松原2944)
↓ 18.9 Km (磐越自動車道)
(一般道/18.0 Kmでも約10分の違い) 如法寺 (鳥追観音)如法寺と鳥追観音は、道路をはさんである。大同元(806)年、草創。 会津徳一大師五大寺の一つ。 ▲(西会津町野沢字如法寺乙3533)
↓ 19.9 Km (磐越自動車道)
(一般道/18.4 Kmでも約10分の違い) 福満虚空蔵尊 (円蔵寺)大同2(807)年、開創。会津徳一大師五大寺の一つ。 ▲(柳津町柳津字寺家町甲176)
↓ 0.3 Km 奥之院弁天堂大同2(807)年、円蔵寺を草創の際、奥之院として開創。▲(柳津町柳津字門前町甲898)
↓ 21.3 Km 法用寺大同2(807)年に火災で堂宇・仏像もろとも消失。翌年の大同3(808)年、“仏都会津” を一望できる現在地に再建した。 ▲(会津美里町雀林三番山下3554)
↓ 9.6 Km 仁王寺大同2(807)年、疫病が流行し命を落とす者が多くなったので、民の平癒を祈願して開創。大岩観音を管轄 ▲(会津美里町吉田字村中甲167)
↓ 10.2 Km 左下り観音天長7(830)年、修験道の入行前に籠る行堂として開山。(空海が開山とも) 会津三十三観音の第二十一札所。 ▲(会津美里町大石東左下り1173)
↓ 11.2 Km 南方薬師如来 野寺薬師堂・慈光寺 (曹洞宗)・元々は、裏手の屯台平山の山頂に創建。 ・病気治癒 (特に眼の病気)、健康長寿、安産祈願。 ▲(会津若松市門田町堤沢字上村)
↓ 10.1 Km
延命寺 <藤倉>大同2(807)年、慧日寺の塔頭として開山。大同4(809)年に二階堂と称する地蔵堂を建立とも。 会津二十一地蔵尊の第十三番。 ▲(会津若松市河東町倉橋字藤倉160-2)
↓ 2.3 Km
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