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名君/保科正之公“ゆかり”を巡る

   兄の将軍/家光から委託された遺言を忠実に守り、11歳の家綱の後見人として幕政に全精力を注ぐ。
 武力による「武断政治」から、信頼関係を基本とする「文治政治」へと転換させ、その後の長きにわたる平和な徳川幕府の礎を築いた。
 家光との約束を守るべく23年間も藩には家老へ指示をするだけで、帰国できなかったため遺構は少ないが、天命を全うし磐梯山の見祢山で安らかに眠っている。
  保科正之公の略歴については、こちら
 
東山温泉  東山温泉に宿泊

 元々は天寧寺の湯であったが、保科正之公の入府で一般庶民に解放された。
 藩の湯治場としても整備され、その後は奥座敷として発達し、大いに栄える。

▲(会津若松市東山町湯本〜石山)

   ↓  東山温泉入口の駐車場から 徒歩380m

院内御廟

院内御廟 (会津藩主松平廟所)

 明暦3(1657)年、初代藩主/正之公の長男/正頼が夭折した時に草創。 以降、会津松平家墓所として、正之公を除く歴代の藩主と家族が眠っている。
 約4万5千坪という広大な広さがあり、歩きやすい靴が必要。
 参拝所要時間は、1時間〜1時間30分ほど。
 ▲(会津若松市東山町大字石山字墓山甲1731-1)
    ・駐車場は東山温泉の入り口前にある「東山温泉共同駐車場 (もちろん無料)」

   ↓  2. 5 Km

鶴ヶ城

鶴ヶ城

  寛永20(1643)年、高遠藩から山形藩を経て、会津へ入府。

 ▲(会津若松市追手町1-1)
   ・駐車場は有料、 鶴ヶ城会館の駐車場がお勧め


 
富岡神社
 遠方にある土津神社の拝殿として東照宮の東側に造営された。
 創建当初は、土津大明神 (正之公) を祀ったが、後に、徳翁霊神 (正容公) と、土常霊神 (容貞公) も祀られた。
 戊辰の役では砲兵陣地が配置され、激しい戦いで焼失した。
 今では、富岡墓地となってしまった。
 
東照宮
 元和8(1622)年、壮麗なる東照宮が鶴ヶ城内の東南側に創建された。
 蒲生忠郷公の母/振姫が家康の3女だったことから、すんなりとに認可された。
 戊辰の役では、戦いが終わり開城後に、西軍らに宝物を略奪され、破壊・焼き払われた。
 今では、面影さえ残っていない。
 
《 興 味 が あ れ ば 》
保科正之公に従って会津へ移って来た“お供寺”
ただし、戊辰の役で焼き払われ、灰燼に帰した。
現在の建物は、明治以降に再建されたもの。

  建福寺

    ▲(会津若松市建福寺前7-3)
       ・鶴ヶ城から 1.8 Km

  淨光寺

    ▲(会津若松市宝町4-25)
       ・鶴ヶ城から 0.8 Km

  善龍寺

    ▲(会津若松市北青木13-33)
       ・鶴ヶ城から 2.7 Km

  大龍寺

    ▲(会津若松市慶山2-7-23)
       ・鶴ヶ城から 2.4 Km

  大法寺

    ▲(会津若松市御旗町1-9)
       ・鶴ヶ城から 1.8 Km

埋葬地3ケ所を選定
 寛文4(1664)年、火葬は不孝とされし、
土葬の埋葬地を決める。
  ◇ 大窪山墓地   駐車場なし
     ▲(会津若松市門田町黒岩大窪山)
        ・鶴ヶ城から 2.7 Km
 ◇ 郷之原坊主山 昔の様子は残っていない。
 ◇ 小山墓地   昔の様子は残っていない。

学問所/稽古堂
 寛文4(1664)年、学問所/稽古堂が開校すると、税金を免除して大いに策励する。
 碑があるだけ。
    ▲(会津若松市大町1-5)
       ・鶴ヶ城から 2.0 Km

竹巌廟に五輪塔

 寛文5(1665)年、先封/蘆名盛氏公などの竹巌廟に、新たな五輪塔を建立。
    ▲(会津若松市門田町
        大字黒岩字花見ケ丘76−2)
         ・鶴ヶ城から 1.9 Km

   ↓   460m

山鹿素行/生誕の地 山鹿素行/生誕の地
 寛文6(1666)年、戦国時代に当たり前だった下剋上の風潮を終わらせるべく、江戸幕府の朱子学を山鹿素行が非難。
 「武断政治」から「文治政治」へと転換するために採用した官学/朱子学を守るべく、山鹿素行を赤穂藩預けの処分とした。
 山鹿素行の略歴については、こちら
 ▲(会津若松市山鹿町1-25)

   ↓  6. 6 Km

本郷焼
 正保2(1645)年、保科正之公が瀬戸 (愛知県) 出身の陶工/水野源左衛門らを招き、本格的な陶器の基礎が築かれた。
 先の藩主/蒲生氏郷公鶴ヶ城改修で起業させていた。
 公共駐車場は、「会津美里町インフォメーションセンター」を始め、街中の所々にある。 もちろん無料。

 ▲(会津美里町字瀬戸町  旧/本郷町)


   陶芸体験も、大人気。
    ◇ 流紋焼 [HP]   ◇ 樹ノ音工房 [HP]   ◇ 酔月窯 [HP]   ◇ 陶房 彩里 [HP]
  などの他の窯元でも、体験できる。
   「会津本郷陶磁器会館 Tel. 0242-56-3007」に、お問い合わせを!

   ↓ 30. 6 Km  (磐越道を利用なら 37. 2 Km)

保科正之公の墓

 境内の最奥に、保科正之公の奥津城がある。
 鳥居から1Km弱で近くまで行ける (駐車スペースあり)。

    土津神社

 境内の亀石に載る石碑は日本最大。
   ・高さ7.3 m、重量30トン
    延宝3(1675)年、創建された絢爛豪華な当初の堂宇は、
   戊辰の役で焼失し、遺跡以外、昔の面影はない。

   現在の堂宇は、
    明治13(1880)年に再建された建物。

   ▲(猪苗代町見弥山1)


 
田中正玄の墓 田中正玄の墓
 保科正之公が江戸で4代将軍/徳川家綱の補佐で不在の間に、家老を34年間も勤め、会津藩を取り仕切った。
 磐椅神社の参道の中ほどにある。
 
服部安休の墓 服部安休の墓
 織田信長の小姓/森蘭丸の孫。
 正之公の命により、吉川神道を修得。
 土津神社の初代神官に就任。
 遺言により、神社の前麓に埋葬された。

   ↓  4. 8 Km

《猪苗代磐梯高原IC》


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