東山温泉の入口にあり、院内の山中の森に包まれている広大な墓域。
「院内御廟」と呼ばれている。
明暦3(1657)年、初代藩主/正之公の長男/正頼が夭折した時に開山。
当初は、周辺に蘆名当主が眠る宝積寺を予定していたが、同じ蘆名氏の菩提寺/天寧寺の院内の裏山に、かつて千日念仏の小庵があった伝承を聞き、この地に決定した。
以降、会津松平家墓所として、正之公を除く歴代の藩主が眠っている。
2代/正経公は仏葬であるが、それ以降の3代/正容公から8代/容敬公まで、山頂に神葬されている。
亀石の碑石、位階の表石、霊をまつる鎮石の三体形の墓になっている。
明治26(1893)年に死去した容保も、汚名が晴れた大正6(1917)年に、この地に移葬。
墓域の総面積は、東西三百間、南北百五十間、約4万5千坪という広大な広さ。
全国的にみても、大名御廟の中で類を見ないほどの規模を誇り、藩の力を感じる場所である。
昭和62(1987)年に、国史跡の指定となる。
毎年5月4日には、歴代藩主の霊を慰める「院内ご廟お花まつり」が執り行われている。
▲(会津若松市東山町石山院内) 鶴ヶ城北口から 2.7km
・問合せ 会津若松市観光課 Tel. 0242-39-1251
・見学 自由
・所要 1時間〜1時間30分
・入場料 なし
・駐車 入口に入らず東山温泉手前 100メートルほどにある (墓域前には無い)
正之公の次男/正頼
土津神社の末社「岩彦神社」にも祀られている。
歴代藩主の家族たちの墓に囲まれている。
石段をのぼりきると「入峰墓所」となる。
3代藩主/正容公から9代藩主/容保までが眠る。
碑石を支える基壇の亀趺が背負った吉川神道(神式)による巨大な墓碑が立ち並んでいる。
基壇の亀趺は、通常の亀と違い、歯も生え、耳もあり、しっかりとした指も5本ある。
実にリアルで威圧的、今にも動き出しそうである。
神号「土津霊神」として、猪苗代町見祢山に葬られた。
延宝3(1675)年、墓所に隣接の土津神社が建立され、祭神「土津大明神」として祀られる。
「ネットで参拝」は、こちら。
保科正之公の略歴については、こちら。
▲(猪苗代町見弥山1番地 Tel. 0242-62-2160)
谷中霊園 (寛永寺墓地) に埋葬されたが、場所が特定できず。
現在では、院内御陵に合祀されている。
▲(東京都台東区谷中7丁目)