会 津 で 遊 〜 ぼ !
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名君“ゆかり”コース
蘆名氏時代は、400年も繁栄する。
その後、
◇ 蒲生氏郷公・上杉景勝公・加藤嘉明公・保科正之公
などの時代を経るが、今も残る数々の主な遺跡を巡る。
妙法寺、天寧寺、竹巌廟(花見ヶ森廟)、寿山廟(小田山公園)、鶴ヶ城、諏方神社、向羽黒山城跡、慈眼大師御誕生地地、佐原十郎義連公の墓
蒲生氏郷公の藩主在任は5年ほどと短かったが、地名「黒川」を「若松」と改め、新たな城下町造りに着手した。
本郷焼など産業の基盤整備に尽力、その後の会津藩発展の礎を築いた。
孫/蒲生忠郷公(高厳寺)、蒲生氏郷公の墓(興徳寺)、鶴ヶ城・麟閣、父/蒲生賢秀(恵倫寺)、子/蒲生秀行公(弘真院)、本郷焼、小野寺漆器店、キリシタン塚、腹打石(北山漆薬師)
上杉景勝公は、会津120万石の藩主として入府するや、新たな城下町を創るべく神指城の築城を開始。
豊臣秀吉の恩義を忘れず、東北での関ヶ原合戦の雄として豊臣方を貫くが、本戦/関ヶ原が予想もしない半日で決着し、米沢へ減移封。 だが、会津との深いつながりは、今なお続く。
神指城跡、直江兼続の屋敷跡、鶴ヶ城 (上杉謙信公仮廟所跡)、景勝清水 (養泉院)
保科正之公は、兄の将軍/家光から委託された遺言を忠実に守り、11歳の家綱の後見人として幕政に全精力を注ぐ。
約束を守るべく23年間も藩には家老へ指示をするだけで、帰国しなかったが、天命を全うし磐梯山の見祢山で安らかに眠っている。
東山温泉、院内御廟 (会津藩主松平廟所)、鶴ヶ城、山鹿素行/生誕の地、本郷焼、保科正之公の墓 土津神社
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