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ご 縁 の あ る 地北 海 道 と の“ご 縁” ツールチップあり .
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樺太(久春古丹) | 会津藩北方警備の本営地 |
稚内市 | 会津藩北方警備地、藩士墓3基 (樺太出兵) |
会津若松市と会津藩北方警備ゆかりの地交流都市共同宣言都市(平成20年) |
利尻町 | 会津藩北方警備地、藩士墓2基 (樺太出兵) |
会津若松市と会津藩北方警備ゆかりの地交流都市共同宣言都市(平成20年) |
利尻富士町 | 会津藩北方警備地、藩士墓6基 (樺太出兵) 慈教寺、ペシ岬 |
会津若松市と会津藩北方警備ゆかりの地交流都市共同宣言都市(平成20年) |
羽幌町 | 会津藩北方警備、藩士墓2基 (焼尻島。樺太出兵) |
旧会津藩士による開村 |
標津町 | 会津藩北方防備時の会津藩の地、藩士墓2基 |
本営陣屋 (会津藩標津ホニコイ陣屋跡) 龍雲寺の釈迦涅槃図や牡丹の絵などは、藩士が寄贈したもの 会津の日本画家/野出蕉雨の作 |
紋別市 | 会津藩北方防備時の会津藩の地、出張陣屋、藩士墓3基 |
斜里町 | 会津藩北方防備時の会津藩の地、出張陣屋 |
藩士/秋月胤永の東蝦夷代官赴任地 |
別海町 | 会津藩北方防備時の会津藩の地 |
網走市 | 会津藩北方防備時の警備地 (天領) |
武田惣角が大東流合気武道を伝授 |
北見市 | 渡部精司(会津の薬種御用商人の子)が居住 自生しているハッカを発見し栽培の端緒を開いた。一時は世界の70%を生産 |
武田惣角の高弟/堀川幸道の出身地 |
湧別町 | 武田惣角の高弟/佐川幸義の出身地 大東流合気柔術宗家を称するも惣角の3男/武田時宗に宗家を譲位 |
根室市 | 筆頭家老/梶原平馬の終焉の地、墓 (市営の西浜町墓地) |
鶴ヶ城と同じく日本100名城の1つ 「根室半島チャシ跡群」 がある |
厚岸町 | 北方警備に赴任する藩士や家族の立ち寄り地 (国泰寺など) |
浦河町 | 藩士/西忠義が祭神の一神として祀られている西舎神社 忠義翁頒徳碑 (潮見ヶ丘) 西忠義の銅像 (浦河役場荻伏支所前) (日高開発の恩人と称される。道庁檜山支庁長、小樽支庁長などを歴任) |
苫小牧市 | 藩士/原直次郎が居住、墓 (白虎隊長/原早太の次男。苫小牧村外15カ村戸長役場の初代戸長) |
武田惣角の直弟子/山本角義の墓 (高丘第二霊園) |
室蘭市 | 箱館戦争での戦死者を弔った「会津の弔魂碑」 (満冏寺) |
藩医/赤城信一が室蘭病院の初代院長に就任 (西洋医学を習得しており、鳥羽伏見の戦いから箱館戦争まで従軍) |
小樽市 | 箱館戦争に参戦の藩士/大竹元一夫妻、藩士/松田精介などの墓(市営中央墓地) 大竹作右衛門元一が水軍法である向井流水法を伝える |
白虎隊隊士/住吉貞之進が居住、顕彰碑 (小樽量徳尋常高小学校長などを歴任。歌手のペギー葉山は貞之進の孫) |
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中野寅吉と石川啄木との別れの小樽駅 | |
新選組[会津藩配下]組長/永倉新八の終焉地 (墓/里塚霊園)、 菩提寺 (碑/量徳寺) |
札幌市 | 琴似屯田兵村に入植した240戸の内、55戸が会津藩士 (斗南藩) 琴似神社に、保科正之の分霊が合祀されている |
山鼻兵村に入植した1,114人の内、50余名は会津藩士 (斗南藩) 斗南藩の三本木 (現/十和田市) から移植した三本松が残っている |
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白虎隊士/飯沼貞雄が居住、暮らした場所に飯沼貞吉ゆかりの地/碑 (札幌郵便局工務課長勤務、北海道全道を歩き電気通信の発展に尽くす) |
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屯田兵 (斗南藩士/三戸郡) の子/伊東正三が北鳴新報を明治34(901)年に創刊 野口雨情が記者として勤務しており、同じく勤務していた後の童謡「赤い靴」のモデルとなった子供の父/鈴木志郎と出会っている 札幌区役所の公式日刊新聞であったが明治42(1909)年に廃刊 |
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藩士/大庭恭平が北海道初の学校/資生館 (市立資生館小学校) の館長に就任 | |
藩士/雑賀重村の孫/上原六郎が官選最後の第4代札幌市長 (札幌市役所) | |
藩士/三澤毅が入植、終焉の地 (手稲平和霊園) | |
藩士/安孫子倫彦が入植、終焉の地 | |
我が国屈指の名外科医と讃えられる関場不二彦が関場医院 (札幌北辰病院) を開業 北海道医師会や札幌医師会の初代会長なども歴任 |
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北海道大学生のための旧会津寮 (現在は福島学寮) | |
西南戦争で戦死した旧会津藩士など屯田兵を慰霊の札幌護国神社 | |
三大ラーメンの一つ「札幌ラーメン」がある (喜多方ラーメン、博多ラーメン) | |
「会津」を冠する店や企業がある (会津工務店) |
余市町 | 旧藩士による開村 (北海道開拓) 東京に謹慎を命じられていた藩士200世帯700人が入植 会津藩士之墓、子孫の墓 (美園霊園) |
開村記念碑 (題字は、海軍大将の藩士/出羽重遠の筆) | |
萱野権兵衛の殉節碑 (篆額は松平保男、撰文は陸軍大将の藩士/柴五郎) | |
子弟教育のための日進館跡 | |
北海道で初めてリンゴが結実した地、原木が現存 (藩士/赤羽源八が品種19号を実らせ「緋衣」と命名、小栗富蔵らが特産化に尽力) |
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会津藩士の入植に関する状況を今に伝えるよいち水産博物館 | |
会津若松市と親善交流都市提携 (平成27年10月14日締結) |
岩内町 | 藩士/高橋常四郎翁碑 (大和公園) (岩内郡副戸長、岩内私学校などを奉職) |
簗瀬真精の書院風隠居邸 (家老/簗瀬三佐衛門の分家、開拓使岩内郡古宇郡長) |
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会津に関するコーナーがある岩内町郷土館 |
黒松内町(歌棄) | 斗南藩管理地 |
せたな町 (瀬棚、太櫓) |
斗南藩管理地 |
藩士/丹羽五郎の理想郷を目指した入植地 (記念碑・胸像、墓) 入植地に、鶴ヶ城からの鶴ヵ台、猪苗代湖を模した池、若松神社、若松山法覚寺、地名/若松町など会津を想わせるものが多数残っている |
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自刃した白虎士中二番隊の霊を祀る会津白虎隊玉川遥拝所 | |
積年の恨みを果たすべく西南戦争に出征し戦死した三十三観音 | |
丹羽五郎たちが入植の際に仮宿した事比羅神社 | |
若松開拓百年記念碑 (若松神社) | |
「会津」を冠する店や企業がある (会津工務店) |
八雲町(山越郡) | 斗南藩管理地 |
森町 | 会津遊撃隊上陸の地 (鷲ノ木) |
七飯町 | 国の絶滅のおそれのある地域個体群である陸封型のイトヨの生息地/大沼 (会津、北海道釧路市、福井県大野市) |
藩士/黒河内五八郎 (日新館教授格) が居住 (箱館奉行所の招聘により、七重村御薬園で朝鮮人参の栽培技術をを教授) |
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大中山村総代として発展に尽力した藩士/十倉綱紀の終焉地 (大中山共同墓地) |
北斗市 | 蝦夷地運営の中継地として「会津陣屋」があった戸切地 (松前藩戸切地陣屋) |
藩士/太田藤蔵の家族墓 (東光寺) | |
春日八郎と「三人の会」の一人である三橋美智也の出身地 |
函館市 | 幕命で箱館留守居役 (会津藩の分営地「会津ルスイ」) |
戊辰箱館戦争での「会津遊撃隊」奮戦地 | |
会津藩士の箱館病院分院「高龍寺」、傷病兵が惨殺される「傷心惨目の碑」 箱館病院の本院の場所は定かでないが、後に清国領事館が建設された所 (弥生町8番地) と伝わる。 蝦夷共和国の病院なのに敵も味方も区別なく傷病者を治療し、完治した敵兵を無償の上、解放している。 この信条は後世の日本赤十字運動原点として国内外から讃えられている。 |
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会津遊撃隊長/諏訪常吉の墓 (実行寺 五稜郭無血開城の功労者) 境内の榎本軍80余名の慰霊碑「徳川藩士戦死之霊碑」は、藩士/沢田光長が建立 |
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慰霊碑/碧血碑と柳川熊吉の義碑 | |
新選組[会津藩配下]副長/土方歳三の戦死地・埋葬地 土方歳三最期の地碑 異国橋説、鶴岡町説、願乗寺説、極楽寺説、大円寺説など 称名寺の慰霊碑 土方歳三函館記念館 |
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北海道開拓使に就任した藩士/雑賀重村の墓/住吉町共同墓地 藩御側医師/小池求真の3男/小池毅の墓/住吉町共同墓地 |
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鶴ヶ城と同じく日本100名城の1つ 「五稜郭」 函館戦争の拠点「箱館戦争供養塔」 |
松前町 | 会津藩管理地、分営 |
藩士/大庭久輔の墓、赤羽音吉の墓 (法華寺) | |
新選組[会津藩配下]二番隊組長/永倉新八の出身地 (松前藩士/長倉勘次の2男。誕生は松前藩江戸上屋敷、後に松前藩士に戻る) |
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奥羽越列藩同盟参加藩 (松前藩*) | |
郷土料理「イカにんじん」に昆布を加え、「松前漬」ができる | |
鶴ヶ城と同じく日本100名城の1つ 「松前城」 がある |
夕張市 | 版画家/斎藤清が、幼年期を過ごす |
釧路市 | 国の絶滅のおそれのある地域個体群である陸封型のイトヨの生息地 (会津、北海道大沼町、福井県大野市) |
共和町 | 「会津」を冠する店や企業がある (会津屋商店) |
恵庭市 | 「会津」を冠する店や企業がある (会津商店) |
木古内町 | 「会津」を冠する店や企業がある (会津茂義司法書士事務所) |
全 道 | 会津発祥の下の句かるたが承継。 |
北海道庁前 → 函館港 → 青森港 → 鶴ヶ城 |