エンジニアを志し15歳で上京し、働きながら早稲田高等工学校 (早稲田大学) で勉学に勤しむが、親友の計らいで藤山一郎のステージと運命的に出会う。
時が過ぎても歌手への憧れが薄れるどころか増すばかり、やがて東洋音楽学校へ進む。 ムーランルージュ新宿座で働きながら、歌手を目指し活動を開始する。
キングレコードのコンクールに合格し準専属歌手となっても無給、先輩歌手の前座を務めるが、進駐軍の払い下げ品を闇市で売って生活をするほど赤貧の状態が続く。
一時は歌手を諦め、田舎へ帰るか、新聞社へ転職しようと思ったという。
紹介された作曲家/江口夜詩の家に毎日のように通い、掃除から肩揉みまでしながら最後のチャンスと考え、曲を作ってもらえるよう願いながら、歌の研鑚に努めた。
そんな待遇であったが、人気を博するようになっても、キングレコードの専属歌手として生涯を貫き通している。
やがて、後に妻となる女性と運命的に出会い、そして支援を得て、歌手として花開く曲「赤いランプの終列車」を作曲してもらう。
レコード関係者は、無名の新人がヒットを飛ばすなどとは思ってもいなかったが、ひたむきに歌唱力を身に付け才能を延ばす八郎を見て、江口夜詩だけは見抜いていた。
引き続き「お富さん」の爆発的な大ヒット、「別れの一本杉」とヒットを出し続け、当時の「流行歌」に取って代わり「演歌」という分野を拓いた人物といわれる。
「故郷歌謡」という新天地を築いた点には、異論はあるまい。
「演歌」のみならず、「艶歌・宴歌・援歌・炎歌・焔歌・園歌・婉歌・縁歌・厭歌・遠歌・煙歌・怨歌」を歌い切ったのは、春日八郎だけであろう。
その後、三橋美智也、三波春夫、村田英雄、島倉千代子らが演歌の世界に登場し、美空ひばりがデビューする。
さらに、北島三郎、都はるみらが出て演歌の全盛期を迎えるが、八郎は演歌歌手の第一人者であり続け、生涯、歌唱力が衰えることはなかった。
生涯に吹き込んだ楽曲は通算1千6百曲を超え、レコード総売上は7千万枚を超し、今でも毎年、新たなアルバムが発売されており、時折、テレビで特番が組まれている。
余談ではあるが、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の主人公/両さん (両津勘吉) は、春日八郎の大ファンである。
落語家の立川談志も大ファンと公言していた。
「Wけんじ」として漫才界で一世を風靡した「宮城けんじ (本名/寺島文雄)」は、コンビ結成前の10年間ほど春日八郎の専属司会として全国を回っていた。
10月9日
父/渡部鬼佐久と母/豊岡キヨの庶子として会津坂下町塔寺で誕生する。
本名 : 渡部実
芸名 : 渡部勇助 → 歌川俊 → 春日八郎
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父/鬼佐久には先妻/ヨシとの6人の異母兄姉がいるが年が離れたせいか付き合いはなかった。 母/キヨは入籍を拒否し冨岡姓を名乗り続けたが、理由は最後まで語らなかったという。 実の妹が2人 (佐代子・佐和子) いる。
田畑5反ほどの貧農であったが、父はソバ打ち行商、母は小学校で裁縫を教え、家では着物の仕立ての内職をして収入を得ていたので、裕福とはいかないまでも、子供の実が働きに出るほどではなかった。 そのような家庭環境下で、父は尺八、母は三味線を嗜んでおり、後に歌手として開花する所以であろう。 |
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気遣いをする素直な子供だったが、立木観音の境内にある地蔵の頭を友人たちと投げ合って遊んでいるのを住職に見つかり、さんざん怒られたという逸話も残っている。
そのお地蔵さんは、 「春日八郎の少年時代を見守ったお地蔵さん 〜 」 との説明付きで境内に現存している。 |
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元気な鳥は飼う鳥として小鳥屋へ、羽が傷ついた鳥は焼き鳥用として料理屋へ売り、仲間たちと漫画本を買い回し読みをしたり、外での買い食い、ラーメンなどを食べたりしていた。
鈴虫なども良い稼ぎになったという。 |
八幡村立八幡尋常小学校へ入学。
小学校を卒業し、会津中学校 (会津高等学校) へ入学する。
当時、進学する者は少なく、同じクラスで4人だけだった。
片道1時間かけて汽車での通学であった。
秋頃、父/鬼佐久の持病/狭心症が急激に悪化し、程なく死去。
父を亡くし、一気に年老いたようになった母だったが、やせ衰えた体に鞭打って子供たちの養育する姿に、周囲の人々は涙ぐんだという。
家計が日増しに苦しくなり、少しでも家の負担を減らそうと東京の兄に相談すると「来ても良い」と承諾を得たため、働きながら勉学することを決意、母に許しを請う。
3月、会津中学校を中退し、異母の兄/正一を頼って上京する。
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出立の前日、母は赤飯を炊いてくれた。
当日、駅まで見送りに来てくれた母は、別れ際に 「着いて一人になってから開けて見るように」と言って、そっと紙包みを手渡してくれた。 中には、きちんと折りたたまれた十円札2枚/20円が入っていた。 苦しい家計の中、工面してくれた母の想いから涙があふれ出て止まらず、もらったお金は長らく手を付けられなかったという。 15歳の春であった。 |
浅草で藤山一郎のステージを見て歌手に憧れる。
歌手になることを決心し、兄夫婦の反対を押し切って早稲田工学校を中退して、東洋音楽学校 (現/東京音楽大学) へ入学。
学徒徴用令により、中島航空機製作所(三鷹)に動員される。
この頃、アルバイト先のムーラン・ルージュ新宿座で初舞台を踏むが、洋楽は敵性音楽として禁じられ、歌えるのは軍歌ばかりだった。
会津若松陸軍第二十九連隊へ徴兵との召集令状が届く。
入隊後に6ヶ月間の新兵教育を終えると、何も知らされないまま夜行列車で広島の宇品港に移動する。 次いで比島 (フィリピン) へ向かう輸送船に乗せられ、敵の魚雷攻撃におびえつつ座礁した場所が台湾であった。
幸いにも戦わず終戦を迎え、11月に帰国することができた。
地元の運送会社に就職したものの、歌への思いは捨てがたく、秋ごろ再上京を決意する。
再び上京し、快く迎えてくれたムーランルージュ新宿座に入団。
芸名を「渡部勇助」と称して、本格的に歌手活動を開始する。
はじめから売れるはずもなく、赤貧の時代を過ごす。
7月、何気なしに新聞を見ていると、キングレコードの第1回歌謡コンクール新人歌手募集というのが目に留まり、応募してみようと葉書を出す。
キングレコードの第1回歌謡コンクールに合格し、ムーランルージュを退団。
「涙の責任 (作曲/細川潤一)」を歌い、応募者2千人超の中、男性2名・女性4名の1人としての合格であった。
しかし、芸名「歌川俊」を与えられるが、準専属歌手は無給であった。
アルバイトをしながら極貧生活の中、歌の研鑚に励む。
一時は活動に疲れ、休養との理由付けで母のいる故郷に戻っている。
年末、再び上京し再出発、新宿「聚楽」のステージに上がる。
「燕来る頃 (作詞/高橋掬太郎、作曲/上原げんと」で初のテスト吹き込みをするも、不採用となる。
次いで、「ラッキーボーイ (作曲/上原げんと)」も不採用になってしまう。
「声に艶がない」「低音が不十分で軽すぎる」、あげくに「会津訛りが強すぎ」と酷評であったが、実は、
「当時のキングでは岡晴夫・小畑実・林伊佐緒等のベテラン勢に加え、津村謙・
若原一郎と高音の美声が魅力の有望な若手も活躍中で、新人・渡部実にまでは
手がまわらなかった。」
と作詞家の矢野亮は後に告白している。
「会津訛りが強すぎ」の指摘には、さすがに悔しかったようで、多摩川の河原で毎日の発声練習を欠かさず続けた。 生まれ育った「会津訛り」は完全には消えなかったが、むしろ「会津訛り」が音声に深みを与えたと、後の声楽研究家は評価している。
不撓不屈の根性に対し、天は見捨てなかった。 2つの幸運に恵まれる。
やがて、前座を務めさせてもらいながら鞄持ちや写譜などの雑務をしていた先輩歌手/三門順子に紹介を頼み、作曲家/江口夜詩に師事する。
私的には、生活のため前座を務める「聚楽」で、同じ江口夜詩に師事していた新人歌手の檜阪恵子(芸名/松宮恵子)と出会う。
家出同然の恵子と、狭い四畳半での同棲生活が始まる。
妊娠を知って、いつになっても芽の出ない歌手を諦め、家族のために安定した仕事に就く決心をしたのを、再び歌手活動に戻させたのは、後に妻となる恵子であった。
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新聞社への就職のために持ち歩いていた履歴書が、恵子に見つかってしまう。
問いただされて、生活のために歌手を辞める決心を告げると、 「あなたは素晴らしい歌手、だから私はあなたと人生を共にすることに決 めたの。 歌をやめた あなたには、何の魅力もないわ。 私のために歌をやめるのなら、私を捨ててください。 私の方が歌をやめるから、その代わりに、あなたの歌で食べていける歌 手になってほしい」 と、大粒の涙を流しながら諭された。 その後、恵子が江口夜詩に、 「もう私は有名な歌手になれなくてもいい、その代わりに私の分も含めて、 この人に良い曲を作ってあげてください」 と頼み込んだことを知って、春日の気持ちは決まった。 そして、程なく輝く門戸が開かれる。 |
いつもの三門順子に同行する公演から帰り、江口夜詩宅へ挨拶をしに行くと、突然、1枚の譜面が渡された。
前歌と思って誰の歌かと聞くと「お前の歌だ」といわれ、身が震えたという。
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8月、譜面を渡された瞬間は、何の意味か可理解できなかったという。
「これは君たち2人のために作曲した。苦労にめげずに頑張っている君と 自分を犠牲にしてまで君に一人前になって欲しいと願う恵子ちゃんの想 いへの、僕からのプレゼントだよ」 の言葉も添えられたという。 低音に弱い春日向けに、歌いやすいように作曲されていた。 一番喜んだのは恵子であった。 帰宅して差し出された譜面を見るや、 「♪ 赤いランプの終列車 ♪ 赤いランプの終列車 ♪ 〜 〜 ♪」 と嬉しそうに口ずさむことを、しばらくやめなかったという。 |
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今の情報化時代とは違い、当時は新人の曲が一気に知れわたることなどない。
大歌手/岡晴夫は、「客は自分の歌を聞きに来ている」と考えており、前座歌手など使わなかったのだが、何かの勘違いで春日が前歌をすることになった。 新人歌手を誉めたことのない岡晴夫だったが、前曲を聞くと「うまいねえ」と誉め、「ただネクタイがイカン」とショーが終了するや、挨拶に来た春日に自分のネクタイをプレゼントした。 この縁で、たびたび岡晴夫の前曲を務めることになり、ある日の会場で岡晴夫の花輪に交じって「春日八郎さん江」の花輪が6本並んでいた。 初めて貰えた花輪に感激した春日は、益々精進することになる。 その花輪は、岡晴夫が自分に来たものを、直向きな春日のためにと、書き変えてくれたものだった。 デビュー曲「赤いランプの終列車」の大ヒットは、先輩たちの支援もあってのことであった。 ◇ その月のキングレコードの新譜序列は、10枚の中で最後尾に記載されて おり、会社としては期待していなかった。 ところが、発売してみると、1ヶ月たらずでトップにのし上がってしま い、首脳部が唖然としたという。 ◇ 「春日八郎」の名付け親は作詞家の藤間哲郎で、神棚に祀られていた「春 日大明神」と、「末広がりの八」の字を組み合わせたとのこと。 |
◆ 2月 「月の渡り鳥
/ (別れの出船:照菊)」
◆ 3月 「涙のジャガタラ船」
◆ 5月 「次郎長旅しぐれ
/ (おでん恋姿:日本橋きみ栄)」
◆ 6月 「大利根小唄
/ (悲恋岬の船唄:双見真沙子)」
◆ 6月 「弥次喜多おんど
/ (奴さん踊り:照菊・若原一郎)」
◆ 7月 「おしどり街道
/ (咲かず散る花:双見真沙子)」
◆ 8月 「街の燈台
/ (熱海エレジー:三岐麗子)」
◆ 9月 「舞鶴物語
/ (母恋いしマヌス哀歌:宮城しのぶ)」
◆ 10月 「伊太郎くづし」
◆ 10月 「男なりゃこそ」
/ (女心は紅椿:照菊)」
◆ 11月 「赤城の別れ
/ (浮名笠:照菊)」
◆ 12月 「雨降る街角
/ (下田エレジー:三岐麗子)」
歌舞伎の演目「与話情浮名横櫛 (通称/切られ与三・源氏店)」に登場する“お富”と“与三郎”を題材にした「お富さん」が125万枚 (発売3ケ月で30万枚) を超えるヒットとなり、紅白歌合戦の初出場を果たした。
夢だった「浅草国際劇場」でワンマンショーも開催、超満員の観客が押し寄せた。
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「お富さん」は、老若男女問わず、パチンコ店・バー・キャバレーなど歓楽街はもちろん、路地裏から果ては小学校の校庭からも口ずさむ歌声が聞こえるほどまでになっていた。
赤貧だっにもかかわらず、家出までして連れ添ってくれた恵子の夢/スターの座を叶え、渋谷区桜新町に1軒家を購入する。 恵子の両親との承諾・和解もできた。 |
前代未聞の大ヒット「お富さん」の偉業の影響が大きくのしかかり、しばらくの間、小ヒット・中ヒットはするものの満足するヒット曲には恵まれなかった。
キングレコード社の廊下で、見知らぬ者が声をかけてきた。
作曲した曲を聞いて欲しいという。
焦っていた八郎は、聞くことにする。
良い曲であった。
焦っていなかったら、無名の作曲など聞かなかったであろう。
神は、見捨てていなかった。
運命的に出会った曲「別れの一本杉」は大ヒットし、八郎の名は「故郷歌謡」の歌手として不動のものとなった。
無名の船村徹も、作曲家としての著名を得ることになった。
酒を嗜むようになったのも、この曲がヒットしてからである。
3月 次女/泰代が誕生。
◆ 1月 「瓢箪ブギ
/ おいとこそうだよ」
◆ 1月 「海の若人
/ 白菊の歌」
◆ 1月 「流れる涙
/ (午前零時に泣く女:三条町子)」
◆ 2月 「流転子守唄
/ (むすめ鳥追:大路はるみ)」
◆ 3月 「浜松屋 (弁天小僧)
/ (お仙茶屋:作大路はるみ)」
◆ 4月 「浪花夜曲
/ (妾の星よ:西村つた江)」
◆ 4月 「タヌキマンボ
/ (あきれた現代版:双見真沙子)」
◆ 6月 「妻恋峠
/ 雨の裏町」
◆ 6月 「街の潮路
/ (君を呼べども:吉岡妙子)」
◆ 6月 「男だぜ
/ (忘れましょう:西村つた江)」
◆ 7月 「月はまんまる
/ (幸福音頭:照菊)」
◆ 8月 「泣き虫人生
/ (君恋千鳥:大路はるみ)」
◆ 8月 「流転の夜
/ 嘆きの夜霧」
◆ 9月 「男の舞台
/ サーカス人生」
◆ 9月 「すすり泣く恋
/ (紅あざみの歌:三條町子)」
◆ 11月 「別れの一本杉
/ (君は海鳥渡り鳥:三橋美智也)」
◆ 11月 「海から来た男
/ (炎のバラ:佐藤千枝子)」
◆ 12月 「旅路遥かに
/ (君よいつ帰る:西村つた江)」
◆ その他
11月14日
松竹映画「別れの一本杉」が公開 (出演歌手の役)。
主役を務めた日活映画「帆綱は唄う海の純情」など15本の映画に出演している。
◆ 1月 「夕陽は燃えて
/ (夜を呼ぶ女:佐藤千枝子)」
◆ 2月 「次郎長茶ッ切りぶし
/ (無理かいな:斎藤京子)」
◆ 3月 「月夜の船唄
/ (峠のカルメン:大津美子)」
◆ 4月 「お軽と勘平
/ (花が散るぞえ:若原一郎)」
◆ 4月 「駕籠で飛ばせば
/ (聞いて頂戴お月様:斎藤京子)」
◆ 4月 「海の純情
/ 船唄月夜」
◆ 5月 「浮草の宿
/ (せめてものブルース:西村つた江)」
◆ 5月 「夢があるから
/ (青い月夜の並木路:大津美子)」
◆ 6月 「昨夜の別れた港町
/ (燈台むすめ:双見真沙子)」
◆ 6月 「恋の権八
/ お染島田」
◆ 6月 「若い選手
/ (オリムピックの歌:林伊佐緒・井口小夜子)」
◆ 6月 「フランテンの唄
/ (豊年まつり:三橋美智也)」
◆ 6月 「月の嫁入り舟
/ (みれん峠:ユー・久保とアロハスターズ)」
◆ 7月 「島の燈台
/ (津軽を越える姉妹:大路はるみ)」
◆ 8月 「チャルメラ人生
/ (今夜も泣いてたお姐さん:斎藤京子)」
◆ 9月 「夕焼け雲の歌」
/ (月が出たのに:尾崎幸江)」
◆ 9月 「街の枯葉」
/ (そよ風の使者:中川姿子)」
◆ 10月 「トチチリ流し
/ (涙の船唄:照菊)」
◆ 11月 「俺と影法師
/ 風が呼ぶから」
◆ 12月 「ふるさと郵便
/ (燈台のある岬:石井千恵)」
◆ その他
≪紅白≫「別れの一本杉」第7回NHK紅白歌合戦に2回目の出場 (24人中23番目)
この年、母校である「八幡小学校」にグランドピアノを寄贈し、同校の校歌・応援歌を自ら作曲している。
6月 3女/浩代が誕生。
◆ 1月 「泣きべそギター」
◆ 2月 「流転がらす
/ (泣かせておいてネ:斎藤京子)」
◆ 3月 「多助馬子唄
/ (熱い思いを:石井千恵)」
◆ 3月 「直侍
/ (今頃は半七さん:照菊)」
◆ 4月 「ごめんヨかんべんナ
/ 俺は野良犬」
◆ 4月 「弱虫小僧
/ (波止場のメリー:大路はるみ)」
◆ 4月 「俺は山の男さ
/ (飯場の娘:西村つた江)」
◆ 6月 「夕暮れ峠
/ (椿また咲く:石井千恵)」
◆ 6月 「うきよ船頭
/ (あゝ川中島:斎藤京子)」
◆ 6月 「故郷は遠い空
/ (峠の馬ッコ:三橋美智也)」
◆ 7月 「片羽三味線
/ (お顔見たさに:照菊)」
◆ 8月 「海はおふくろ
/ (おちょろ舟唄:照菊)」
◆ 8月 「青い海原
/ 嘆きなさんなマドロスさん」
◆ 9月 「あん時ゃどしゃ降り
/ (憎いひと:照菊)」
◆ 10月 「母の便り
/ 行くぜさいなら」
◆ 11月 「苦手なんだよ
/ (おさらば東京:三橋美智也)」
◆ 11月 「破れ太鼓
/ (哀しみの海:石井千恵)」
◆ 11月 「大江戸飴売り唄
/ (旅は浮雲:斎藤京子)」
◆ 11月 「恋の急行便
/ 諦めた恋」
◆ 12月 「別れの裏町
/ (おそかった:香川万知子)」
≪紅白≫「母の便り」 第8回NHK紅白歌合戦に3回目の出場 (25人中22番目)
◆ 1月 「男は泣かない
/ (目なしダルマ:石井千恵)」
◆ 1月 「居酒屋
/ (街の子守唄:三船浩)」
◆ 2月 「ホレ出航だ
/ (母恋い星:斎藤京子)」
◆ 2月 「瞼の母
/ (おんな仁義:照菊)」
◆ 3月 「街を歩こう
/ (冷たい舗道:香川万知子)」
◆ 4月 「さらば港町
/ (いらぬ御世話さ:香川万知子)」
◆ 5月 「郭公啼く里
/ (元気でナ達者でナ:水原淳)」
◆ 5月 「アイ・ラヴ・ユー・マダム
/ (お話しして:大津美子)」
◆ 5月 「松吉街道唄
/ 御免なすって佐太郎さん」
◆ 6月 「からす勘三郎
/ (露地の花:石井千恵)」
◆ 7月 「別れの燈台
/ (島の見える峠:三橋美智也)」
◆ 7月 「男は度胸さ
/ (バイバイ波止場:文京子)」
◆ 7月 「札幌小唄
/ (札幌音頭:三橋美智也)」
◆ 8月 「酒場しぐれ
/ (花になりたや:香川万知子)」
◆ 8月 「俺は海鳥
/ (その灯を消すな:高倉健)」
◆ 9月 「おとっつぁんやァい
/ (三味線ながし:宮千加子)」
◆ 10月 「海猫の啼く波止場
/ (赤い夕陽の故郷:三橋美智也)」
◆ 10月 「鴎に聞いたよ
/ ギター泣かせて」
◆ 11月 「いとしの千代さ
/ (鴎と娘:河野真佐子)」
◆ 12月 「おとぼけさん
/ (銀座のハイティーン:宮千加子)」
◆ その他
≪紅白≫「別れの燈台」 第9回NHK紅白歌合戦に4回目の出場 (25人中23番目)
3月 4女/佳代子が誕生。
◆ 1月 「ほろ酔炭坑節
/ 男の未練」
◆ 1月 「おケイちゃん」
◆ 2月 「街角の雪女
/ (あなたのいない街:大津美子)」
◆ 2月 「あれから十年たったかなァ
/ きまぐれマドロス」 《自ら作曲》
◆ 3月 「親子旅唄
/ (夜の彼岸花:福原千恵子)」
◆ 5月 「おさらば港
/ 俺はやっぱり荷車だ」
◆ 6月 「東京の蟻
/ (ガラスの宝石:宮千加子)」
◆ 6月 「乗合バスがもう出るよ
/ (淋しいなァ:矢上恵美子)」
◆ 6月 「鶴亀おんど
/ 福原千恵子」
◆ 7月 「三味線風来坊
/ (うぐいす船頭:福原千恵子)」
◆ 7月 「裏町劇場
/ 舵子は海の子」
◆ 9月 「山の吊橋
/ (泣き虫バンジョー:宮千加子)」
◆ 9月 「汚れた顔の月
/ 東京運河」
◆ 11月 「足摺岬
/ (麦ふみ坊主:三橋美智也)」
◆ 11月 「他国の酒場
/ (今日も来た道:木下幸子)」
◆ その他
≪紅白≫「東京の蟻」 第10回NHK紅白歌合戦に5回目の出場 (25人中25番目)
◆ 1月 「ふるさと無情
/ (りんご娘:下谷二三子)」
◆ 1月 「鰊場の女
/ (流れのバラライカ:石井千恵)」
◆ 3月 「東京モナリザ
/ (からっ風野郎:三島由紀夫)」
◆ 4月 「ギターは知っている
/ (赤い手袋:矢上恵美子)」
◆ 6月 「ホームラン音頭
/ (紅白音頭:三橋美智也)」
◆ 6月 「海野太郎節
/ (船出哀しや:三橋美智也)」
◆ 10月 「寒流
/ (達者でナ:三橋美智也)」
◆ その他
≪紅白≫「山の吊橋」 第11回NHK紅白歌合戦に6回目の出場 (27人中14番目)
◆ 2月 「恋の磐梯山
/ (東京ソーラン:石井千恵)」
◆ 6月 「長良川旅情
/ (雨の第三日曜日:矢上恵美子)」
◆ 11月 「下町坂町泣ける町
/ (女の夢はただ一つ:矢上恵美子)」
◆ その他
≪紅白≫「長良川旅情」 第12回NHK紅白歌合戦に7回目の出場 (25人中15番目)
12月 2日
「春日八郎歌謡生活10周年記念リサイタル」を新橋演舞場で開催。
この年
音楽事務所「みかさプロダクション (後の春日プロ)」を設立。
◆ 3月 「風林火山の唄 / (武田節:三橋美智也)」
◆ その他
≪紅白≫「風林火山の唄」第13回NHK紅白歌合戦に8回目の出場 (25人中6番目)
◆ 6月 「長崎の女
/ 別れの夜汽車」
◆ その他
≪紅白≫「長崎の女
◆ 8月 「ロザリオの島
/ 島の灯り」
◆ その他
≪紅白≫「ロザリオの島」第15回NHK紅白歌合戦に10回目の出場 (25人7中番目)
◆ 2月 「夫婦善哉
/ 泣きぼくろ」
◆ 4月 「燃ゆる白虎隊」
◆ 4月 「新選組の旗は行く」
◆ 8月 「あの星と語ろう
/ 大阪の灯」
◆ その他
≪紅白≫「大阪の灯」 第16回NHK紅白歌合戦に11回目の出場 (25人中3番目)
10月29日
「春日八郎歌謡生活15周年記念リサイタル」を東京宝塚劇場で開催。
この年
生家に近い立木観音 の入り口に、歌碑が建立。
曲名は、思いでのヒット曲「別れの一本杉」記念歌碑。
◆ 7月 「熱海の雨
/ 湯の町峠」
◆ 10月 「波止場で待ちな
/ ギター流して三年目」
◆ その他
≪紅白≫「波止場で待ちな」
第17回NHK紅白歌合戦に12回目の出場 (25人中12番目)
「みかさプロダクション」を「春日プロモーション (現/春日プロ)」に改称。
母校/八幡小学校の体育館の改装に伴い緞帳を寄贈。
◆ 2月 「花かげの恋
/ ふるさとギター」
◆ 10月 「浅草人情
/ 東京波止場」
◆ その他
≪紅白≫「花かげの恋」 第18回NHK紅白歌合戦に13回目の出場 (23人中16番目)
11月 3日
「春日八郎全集LP発売記念リサイタル」が東京サンケイホールで開催。
年 末
「演歌の心を歌い続けた」として、日本レコード大賞「特別賞」を受賞。
◆ 3月 「倉敷の女
/ 男の悔恨」
◆ 7月 「たそがれの砂丘
/ おとこ同志」
◆ その他
≪紅白≫「たそがれの砂丘」
第19回NHK紅白歌合戦に14回目の出場 (23人中17番目)
◆ 10月 「会津の女
/ 桧原湖哀歌」 《「会津の女」の作曲は 猪俣公章》
◆ 11月 「別れ酒
/ 城下町」
◆ その他
≪紅白≫「別れの一本杉」第20回NHK紅白歌合戦に15回目の出場 (23人中5番目)
6月12日
「春日八郎歌謡生活20周年記念リサイタル」を東京厚生年金ホールで開催。
10月
歌謡生活20周年を記念して、著書「どしゃ降り人生 (日本図書販売・出版れいめい)」が発行される。
この年
・株式会社春日プロモーションの代表取締役に就任する。
・全12曲がオリジナルというLPアルバム「熱血の歌声」を発売。
当時の歌謡界では珍しい試みであり、冒険的な企画を果敢に挑戦した。
◆ 2月 「新宿に朝は来るけれど / 女のブルース」
◆ その他
10月22日〜23日
芸術祭参加リサイタル「演歌とは何だろう 春日八郎ショウ」を東京芝郵便貯金ホールで開催。 この成果に対し昭和48年度第28回文化庁芸術祭の大衆芸能部門大賞を受賞 (授与は翌年1月18日)。
◆ 5月 「雪の谷戸城
/ (雛鶴峠:大月みやこ)」
◆ 9月 「雪国の女
/ 花いちもんめ」
◆ 10月 「どしゃ降り人生
/ ふたり船」
◆ その他
レコード大賞企画賞を受賞 (春日八郎演歌百選)。
「演歌を育てる会」をスタート。
◆ 7月 「あゝ弘前城
/ 播州赤穂城」
◆ 10月 「惜別 / 波止場雨」
◆ その他
≪紅白≫「雨降る街角」 第25回NHK紅白歌合戦に16回目の出場 (25人中21番目)
東京馬主協会の理事に就任する。
スターとなるや超多忙な日々となり、健康のためのゴルフをはじめたが、ノドをいたわるように空気の良い牧場へと勧められ出かけていたのが、昭和30(1955)年に初馬主になる動機であった。
平尾昌晃や北島三郎などへも、馬主になるよう勧めている。
特に、北島は「先輩歌手だった春日八郎さんに勧められた」と公言している。
◆ 2月 「白虎隊の母 / 盃日記」
◆ 10月 「霧島の女 / 指宿の夜」
◆ その他
≪紅白≫「赤いランプの終列車」
第26回NHK紅白歌合戦に17回目の出場 (24人中21番目)
◆ 6月 「北の酒場 / 終着駅はまだ遠い」
◆ その他
≪紅白≫「あん時ゃどしゃ降り」
第27回NHK紅白歌合戦に18回目の出場 (24人中21番目)
この年
第3回日本演歌大賞 (演歌特別功労賞) を受賞。
年 末
日本レコード大賞「特別賞」を受賞 (9年ぶり2度目)。
◆ 7月 「望郷詩
/ 故郷ってなんだろう」
◆ その他
≪紅白≫「望郷詩」 第28回NHK紅白歌合戦に19回目の出場 (24人中22番目)
1月18日
「春日八郎歌謡生活満25周年記念リサイタル」を浅草国際劇場で開催。
◆ 5月 「秋風鶴ヶ城 /(涙の九曜星:二葉百合子)」
◆ その他
≪紅白≫「さよなら宗谷」第29回NHK紅白歌合戦に20回目の出場 (24人中17番目)
《補》 |
9月2日、日本の初代/南極観測船「宗谷 (海上保安庁の巡視船)」が退役した青森港で一日船長を務め、8月に発売の「さよなら宗谷」を熱唱した。
11月、米国のファンクグループ「エボニー・ウェッブ」が「お富さん」を「ディスコお富さん (Seven Seas CM-178)」としてカバーするや、発売1ヶ月で20万枚を突破するリバイバルヒット。 20万枚突破記念パーティーには、春日八郎も招待され出席している。 |
9月18日
会津坂下町の名誉町民 (推戴状) となる。
なお、同町の音頭・町民歌も自ら作曲している。
9月30日
著書「ふたりの坂道 (翼書院)」が出版される。
「どしゃ降り人生」の続編として、献身的に支えてくれた妻/恵子と歩んだ人生を振り返った自伝である。
11月23日
「春日八郎歌謡生活満30周年記念リサイタル〜歌こそ我が生命〜」を東京芝郵便貯金ホールで開催。
この年
日本歌手協会の常任理事に就任する。
◆ 8月 「ふたりの坂道《自ら作曲》
/ 恋の長崎雨の街
◆ その他
◆ 2月 「美濃の女《自ら作曲》
/(こころの飛騨路:水野あけみ)」
◆ 6月 「国後の女
/ 一年ぶりに」
◆ その他
◆ 4月 「矢切の渡し
/ 港宿」
◆ 8月 「会津鶴ヶ城
/ 会津ご自慢ばやし」
◆ その他
メガロポリス音楽祭「特別賞」を受賞。
第10回日本演歌大賞 (演歌功労賞) を受賞。
◆ 7月 「その後のお富さん
/ 再会お富」
◆ その他
10月 3日
「春日八郎歌謡生活満35周年記念リサイタル」を東京/芝郵便貯金ホールで開催。
◆ 2月 「船長〜男の潮騒〜
/ ボトルを面舵に」
◆ 2月 「演歌ひと節
/ 未練雨」
◆ その他
日本芸能実演家団体協議会の理事に就任する。
◆ 8月 「あゝさすらい / 人情居酒屋」
◆ その他
親交の深かった「三橋美智也、村田英雄」と、静岡県熱海にて「三人の会」を結成。
最盛期を過ぎていた演歌を活性化しようと3人でチャリティー・コンサートを開催するなど活動するも、体調が思わしくない兆候が見え始めていた。
(有)キット総合企画を設立し、代表取締役に就任する。
◆ その他
11月3日
紫綬褒章を受賞する。
12月31日
11年ぶりに紅白歌合戦に出場する。 これが最後の紅白出場となった。
この年
日本歌手協会の理事に就任する。
◆ 2月 「人生酒
/ 迷い鳥」 《自ら作曲》
◆ その他
≪紅白≫「お富さん」 第40回NHK紅白歌合戦の第1部に21回目の出場
◆ 8月5日 ラストシングル「旅人
/ 新宿むかし通り」
◆ その他
1月
初の腫瘍摘出の手術を受ける。
9月6日
キングレコード60周年コンサート (中野サンプラザ) に出演する。
その後に体調をくずし再入院、最後のステージとなった。
10月22日
肝硬変と心肺不全により、東京医科大学病院にて20時38分、
「演歌の巨星」とまで賞賛され昭和を代表する歌手が死去した。
満67歳。
終焉地は、東京都世田谷区深沢5-16-3。
没後、勲四等旭日小綬章を受賞。
11月13日
キングレコード・日本歌手教会・春日プロモーションの合同で「音楽葬」が執り行われる。
◆ 追悼盤
10月
思い出の地に、歌碑「別れの一本杉」が建立された。
◆ 追悼盤
平成5(1993)年
◆ 追悼盤
テレビ東京「ドラマ/春日八郎物語」放映。
平成6(1994)年
◆ 追悼盤
6月
思い出の地に、「春日八郎記念公園・おもいで館」がオープンした。
◆ 追悼盤
平成8(1996)年
◆ 追悼盤
6月4日
「秘蔵未発表名曲集 春日八郎」が発売。
4月24日
「続・秘蔵未発表名曲集 春日八郎」が発売。
平成11(1999)年
◆ 追悼盤
平成12(2000)年
◆ 追悼盤
11月24日
会津坂下町で「別れの一本杉」チャイム放送開始。
◆ 追悼盤
平成14(2002)年
◆ 追悼盤
10月12日
十三回忌追悼記念として、JR会津坂下駅の広場にブロンズ像が建立された。
◆ 追悼盤
平成17(2005)年
◆ 追悼盤
平成18(2006)年
◆ 追悼盤
5月13日
十七回忌追悼記念として、会津坂下駅の広場にあるブロンズ像の脇に「赤いランプの終列車」のセンサー付き歌碑が建立された。
縦1メートル・横60センチ・高さ65センチほどの歌詞の前に立つと曲が流れる。
10月14日
支え続けてきた妻/恵子夫人が死去。
夫/八郎の十七回忌を迎える8日前のことであった。
◆ 追悼盤
平成20(2008)年
◆ 追悼盤
平成21(2009)年
◆ 追悼盤
平成22(2010)年
◆ 追悼盤
平成23(2011)年
◆ 追悼盤
6月
故郷の会津坂下町にて、「春日八郎生誕88年記念切手」が発売。
◆ 追悼盤
1月20日
全100曲・CD5枚のボックスセット「春日八郎 唄極 うたひとすじ〜孤高の男道〜」が発売。
◆ 上記に記載以外の名曲・メディア
委託の名盤も数多く残している。
◆ 主な委託盤