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春 日 八 郎 の 面 影 を 巡 る

 会津中学校を中退し、夢に向かって上京した。
 若くして故郷を出たため、少ない面影を巡る。
略歴については、こちら。

会津坂下IC (磐越自動車道)

   ↓  7,0 Km

春日八郎の銅像 (JR会津坂下町駅)

 平成15(2003)年10月、十三回忌の追悼記念として全国からの寄付で、JR会津坂下町駅の駅前広場に銅像が建立。
 平成19(2007)年10月、十七回忌の追悼記念として歌碑が建立。
春日八郎の銅像
 歌碑の前のボタンを押すと、デビュー曲「赤いランプの終列車」のメロディーが流れる。

 ▲(会津坂下町字五反田1270)
   ・見学自由
<「会津坂下町」と併記>    .

   ↓  2,3 Km

春日八郎記念公園・おもいで館     ネットで見学

 春日八郎氏の出身地である この地に建てられた。
 愛用のピアノ、ステージ衣装、楽譜などの思い出の品々が展示されている。
 唯一の関連菓子「別れの一本杉 (焼き菓子/ミルク饅頭)」を買い求めよう。
 ここ以外では、製造元/坂本屋製菓道の駅あいづ (時々 品切れ)」でしか販売されていない。

 ▲無料 (会津坂下町大字船杉554 Tel. 0242-82-4254)
   ・10時〜17時
   ・休館 12月〜3月

 
 開館時に隣接した下宮溜池が「春日八郎記念池」と命名されれたが、地元の人すら ほとんど知らない。
 
   ↓  3,4 Km

立木観音(恵隆寺)

 家が、立木観音(恵隆寺)の側にあったとのこと。


「別れの一本杉」記念歌碑

 昭和41(1966)年、歌謡生活15周年記念として、思いでのヒット曲の記念歌碑が境内の入口に建立された。

腕白時代を見守ったお地蔵さん

 春日八郎の腕白時代を見守ったお地蔵さんが、立木観音堂の左手前に佇んでおられる。
 現/住職は、八郎の家来として魚釣りなどに連れ回されていたとのこと。

 ▲(会津坂下町大字塔寺字松原2944 Tel. 0242-83-3171)

   ↓  0,1 Km

町立八幡小学校の校歌碑

 立木観音堂/裏手の道路向い側を、少し入ったところに校歌の歌碑がある。
 平成18(2006)年、春日八郎の母校/町立八幡小学校 (当時は八幡村立八幡尋常小学校) が、坂下小学校へ統合され閉校したが、歌碑は残されている。
 昭和32(1957)年、グランドピアノを寄贈し、同校の校歌・応援歌を自ら作曲した。
 ▲(会津坂下町大字塔寺字北原787)

   ↓  4,3 Km          ↓  3,3 Km

会津坂下IC (磐越自動車道)       JR会津坂下町駅

 現在、カラオケでも人気で、歌い続けられている。
 年配者だけかと思っていたら、若者にも人気とのこと。
 ベスト3は、「別れの一本」「お富さん」「赤いランプの終列車」のようである。

   《 A 店 》
《 B 店 》
《 C 店 》
1位    別れの一本杉
2位   お富さん
3位   赤いランプの終列車
4位   長崎の女
5位   ラバウル小唄
6位   居酒屋
7位   山の吊橋
8位   雨降る街角
9位   あん時ゃどしゃ降り
10位   別れの波止場
 お富さん
 別れの一本杉
 長崎の女
 赤いランプの終列車
 居酒屋
 山の吊橋
 雨降る街角
 あん時ゃどしゃ降り
 別れの波止場
 ロザリオの島
 別れの一本杉
 お富さん
 赤いランプの終列車
 長崎の女
 居酒屋
 雨降る街角
 山の吊橋
 別れの波止場
 浮草の宿
 あん時ゃどしゃ降り

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