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野 口 英 世 の 足 跡 を 巡 る

 野口英世の略歴は、こちら。
 英世像の所在地は、こちら。
 誕生/青春コースは、こちら。

猪 苗 代 町 エ リ ア

  ≪猪苗代磐梯高原IC≫

   ↓   2.7 Km

小平潟天満宮

小平潟天満宮

 父/佐代助の実家が小平潟村であったため、清作 (英世) が幼き頃、家族連れでよく参拝していたという。
小平潟天満宮の説明文
 ▲(猪苗代町中小松西浜甲1615)

   ↓   400 m

野口英世の父/佐代助宅跡

野口英世の父/佐代助宅跡

 小桧山惣平の長男として誕生。
 後に野口家に婿入りし、母/シカと結婚。
野口英世の父/佐代助宅跡の説明文  案内板があるのみ。

   ↓   4.4 Km

猪苗代駅前広場

猪苗代駅前広場

 野口英世・母/シカ・恩師小林栄のレリーフ、「忍耐」の石碑。
 明治33(1900)年、この駅からアメリカに向かったとのこと。
   《なぜか辺鄙な体育館へ移設されてしまった》

   ↓   1.6 Km

猪苗代町立猪苗代病

猪苗代町立猪苗代病院の銅像

 廃止された県立猪苗代病院に設置されていた。
 新たに開院した町立病院が、像を引き継いた。

   ▲(猪苗代町字梨木西65)

   ↓     820m

六角橋

六角橋

 明治29(1895)年9月、医師試験で上京する時、母に見送られた場所。 まだ磐越西線はなく本宮駅まで歩いた。
 その後、世界へ羽ばたくことになる。
六角橋の説明文
 ▲(猪苗代町六角  交叉点手前)

   ↓     770m

猪苗代尋常高等小学校跡

 清作が4年間通った学校。 案内板があるのみ。
 卒業時の作文は、教師や生徒たちを感動させた。
猪苗代尋常高等小学校跡の説明文
 ▲(猪苗代町本町)

 令和元(2019)年、近く (亀ヶ城の向い) に恩師の一人/小林栄の所縁の品々を展示した「松亭・小林栄ふるさと記念館」がオープン。

   ↓   5.0 Km

三ツ和小学校の銅像

三ツ和小学校 (現/翁島小学校)

 入学に際し、母/キヨから 「学業に生きよ」 と諭されている。
 昭和30(1955)年、翁島小学校 (猪苗代町立) に改称している。

 ▲(猪苗代町大字三ツ和字家北906)

   ↓   隣 接

長照寺

 野口夫妻の遺髪塚がある。
 「大仁院殿済民英世居士  大慈院殿救世妙柳大姉」
 その奥に、母/シカ父/佐代助の墓もある。
野口英世両親の墓
 ▲(猪苗代町三ツ和三城潟982)
長照寺の現地板
 正門の立ち木の間から、磐梯山が望める。

   ↓     250m

野口英世の生家

野口英世の生家

 16歳まで過ごした家で、野口英世記念館となっている。
 母/シカが、野口英世博士へ送った手紙は必見。
 母の心情が素朴で素直に表わされていて、心を打つ。
 ネットで見学は、こちら。


   ↓     360m

野口英世の里

郵便局「野口英世の里」

 平日ならば、ハガキを買い日付入りのスタンプを押してもらおう。 運が良ければ、地方限定の記念切手が購入できるかも。

 ▲(猪苗代町三ツ和沢目327-3)

   ↓   2.5 Km

英世が歓迎を受けた翁島駅

JR翁島駅

 15年ぶりの帰国で、郷里を訪ねた時に大歓迎を受けた駅。
 貴賓室のあった旧/駅舎は、緑の村に移築された。

▲(猪苗代町大字磐根中2477)

JR翁島駅の松 翁島駅の現地板
翁島駅の現地板

   ↓   4.3 Km

港屋旅館 (現/ホテルみなとや)

 大正4(1915)年9月9日、村人による盛大な歓迎会が開催された旅館。
 前日、翁島駅に降り立った英世は、まず、村々の一軒一軒に挨拶をしてから、母シカが待つ実家を入ったという。
 人柄が窺える逸話である。
 ▲(猪苗代町翁沢字長浜870 Tel. 0242-65-2111)


《参考》
清作ら子供達が遊び場にした
     猪苗代城 (亀ヶ城)

蟹沢観音 清作が十三参りした
     虚空蔵大菩薩

清作が信仰していた土津神社
眼洗不動 頭無不動尊

会 津 若 松 市 エ リ ア

 県道7号の方が近いが、今回は国道49号で会津若松市エリアに向かう。
 途中で、猪苗代湖の長浜 (4Km) で休憩。 しばし雄大な湖の景色を楽しむ。
 強清水 (+6Km)で、昼食時ならニシンそばを、おやつなら名物の天ぷら3点を味わおう。

   ↓  19.8 Km

山内よねの家

初恋の人/山内ヨネの家

 一般公開はしていない。
 東京で再会するも、恋は実らずに終った。
 なぜか、日本に帰郷時の記念写真には、ヨネが写っている。
 会津で開業した最初の西洋医学の女医といわれている。
山内よねの家の説明文 山内よねの家の地図
 ▲非公開 (会津若松市大町1-8)


野口英世青春通り 大町交差点から七日町通りへ

野口英世青春通り


 16歳から19歳までの多感な青春時代を過ごしたことから、初恋の人/山内ヨネの家から栄町教会までの間が、「野口英世青春通り」と名付けられた。

   ↓     260m

會陽医院跡(野口英世青春館)

會陽医院跡(野口英世青春館)

 火傷の手術を受け、後に書生となり医学を目指す。
 2階が資料館。 1階の喫茶店で美味しいコーヒーを。

 ▲(会津若松市中町4-18)

   ↓     130m

野口英世青春広場の銅像

野口英世青春広場

 ネットで見物は、こちら。

 ▲(会津若松市中町1-23)

   ↓     220m

日本キリスト教団若松栄町教会
  A Place Famous in Connection Dr.Hideyo Noguchi

 洗礼を受け、英語の学習をした教会。
 初恋の人/山内ヨネと出会った場所でもある。
 明治28(1896)年、牧師/藤生金六から洗礼を受けた。
 後に移転したため、当時の場所ではない。
若松栄町教会の説明文 野口英世洗礼(初恋)の地の説明文  国選定登録有形文化財
 歴史的景観指定建造物 (第16号)
 ▲(会津若松市西栄町8-36)

   ↓     430m

山内ヨネの墓

初恋の女性/山内ヨネの

 有料駐車場脇の興徳寺墓域にある。
 墓域の中には標識があるので、分かりやすい。

 ▲(会津若松市栄町2)

   ↓     520m

現/末廣酒造

新城酒店 (現/末廣酒造)

 野口英世の母/シカが若松に行くた際には、立ち寄っていた場所
 英世の弟/清三が見習奉公に入っており、恩師/小林栄の姉/ヒデが嫁いでいるなど、親戚のように付き合っていた。
 帰国した時にも、母と一緒に訪れている。

 ▲(会津若松市日新町12-38)

会 津 美 里 町 エ リ ア

   ↓  10.3 Km

中田観音

中田観音 (弘安寺)   

 毎月の月例祭には猪苗代の家から、30キロほどの道のりを歩いてきたという。 日付が変わる真夜中に到着し、一晩、観音堂に「おこもり」をする「月詣り」をして、息子の無事を祈願し続けた。
 ネットで参詣は、こちら。

   ↓  10.4 Km

  ≪ 鶴 ヶ 城 ≫

思い出に「会津鉄道」の“野口英世号”に乗車し記念撮影

ふるさと列車

 野口英世博士を全面にペイントした車両が運行されている。
 2種類あり、いずれも「会津若松駅会津高原尾瀬口」を運行している普通列車。 記念のためだけなら会津若松駅から本社のある西若松駅の2駅乗車がお勧め。
  ◇ 新千円札発行記念列車 (英世博士と母/シカの写真)
  ◇ ふるさと列車 (英世博士と母シカの手紙の全文)

 ▲(会津若松市材木町1-3-20)
    ・西若松駅なら駐車無料 (西口と東口の2ヶ所 )

お土産に「太郎庵」で名菓「きてくだされ」を買い求める

菓子「きてくだされ」

 「きてくだされ」の一文が、パッケージに印刷されている菓子。 母/シカが、野口英世博士へ送った手紙の中の文章。
 各土産店でも扱っているが、通りすがりの「太郎庵」でお買い求めを。

 太郎庵については、こちら。

お土産に「末廣酒造」で名酒「純米吟醸 Dr.野口」を買い求める

末廣酒造

 野口英世博士の顔をラベルに印刷した日本酒。
 地元の大型スーパーや一部の土産店でも扱っているが、見学も兼ねて「末廣酒造/嘉永蔵」でお買い求めを。

 末廣酒造については、こちら。


<「野口英世の足跡を巡る」と併記>    .
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