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小 平 潟 天 満 宮 周 辺 を 散 歩

 天満宮のある神域と、昔から守ってきた集落とが見事に調和している。
 連歌師/猪苗代兼載の所縁の地でもある。
 夏の盛りだけ、真向かいにある天神浜は、家族連れや若者たちの喧騒に包まれる。
 その一瞬の賑わい時期を除くと、古来よりの空間が支配する。
 全国でも有名なパワースポットである。
 ちょっと時間のある時や、隣のキャンプ場を利用した早朝などに散歩をお勧め。
 きっと、新たなパーワーを授かるに違いない。

小平潟史跡マップ

天満宮の申し子「猪苗代兼載」
 享徳元年 (1452) 、母・加和里御前が子を授かることを祈り、天満宮への百夜通(ももよがよい)らよって生まれたと伝えられています。 兼載は幼少より学才に優れたため、その生い立ちにも由来して天満宮の申し子と言われました。 16才で故郷を出て連歌を学び、38歳の若さで連歌師最高の栄職北野連歌会所奉行を勤め、連歌の大成者といわれた、当代きっての文化人です。

緑色の文は、現地の「説明板」から    .
左のマップ画像をクリックで拡大。     .

小平潟天満宮

小平潟天満宮 小平潟天満宮


の説明文 の説明文

 まずは、小平潟天満宮に参拝。

猪苗代兼載没 450年記念句碑

猪苗代兼載没 450年記念句碑 パワースポットの看板 猪苗代兼載没 450年記念句碑の説明文

 鳥居の脇に建立された。

  「さみだれに 松遠ざかる すさきかな
 パワースポットをアピールしている立て看板も、目立っている。

天神浜

天神浜       .

 駐車場を挟んで   .
向かい側は天神浜。  .


若宮八幡宮

若宮八幡宮

 本殿の脇にあり、猪苗代兼載の母/加和里が祭られている。
 旧/天神社地の東にあったが、この場所に移された。


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猪苗代兼載碑と没500年記念句碑 猪苗代兼載碑と没500年記念句碑

猪苗代兼載碑と
  没500年記念句碑

 入口である第一鳥居に向かう。 鳥居手前の右手にある。
 東屋も設けられている。

猪苗代兼載碑

猪苗代兼載碑

 京都で連歌師として最高の北野連歌会所奉行・宗匠となる。

猪苗代兼載碑の説明文 葦名兼載碑 (猪苗代兼載碑)の説明文

蘆名兼載 没500年記念句碑

猪苗代兼載 没500年記念句碑

 30余年ぶりに帰京した時、冬の猪苗代湖を詠んでいる。
   「山は雪 海は氷を かゞみかな
 平成22(2010)年6月6日に建立された。

 「葦名兼載」でもあり、「猪苗代兼"栽"」とも呼ばれる。
 自在院に住んでいたころ、近くの住吉社で、和歌「兼ねてぞ栽し住吉の松」から、自ら兼栽と名付けたと云う。


地蔵尊

地蔵尊

 参道の向かい側を、5〜6メートル入ったところにある。
 2体の小さな地蔵尊が、草むらに囲まれて、佇んでいる。
 正徳2(1712)年6月の文字が見られる。
 隣に小さな石の祠と、蓮の台座の一部も残っている。

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大社倉跡地

 大鳥居をくぐり、右への農道を80メートルほど進む。
 猪苗代兼載の母/加和里御前が生まれ育った屋敷跡。
 案内板があるだけで、遺構は残っていない。

大社倉跡地の説明文
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野口英世の父 佐代助宅跡 野口英世の父 佐代助宅跡

野口英世の父/佐代助宅跡

 来た道を戻り、大鳥居を左折する。
 集落の真ん中ほどに、案内板がある。

佐代助宅跡の説明文

 嘉永4(1851)年1月11日、猪苗代兼載の流れをくむ小桧山惣平の長男として誕生。
 明治5(1872)年、佐代助は野口家に婿入りし、野口英世の母/シカと結婚する。
 英世が幼いころ、いつも一緒に天満宮を参拝していたという。
 佐代助の墓は、長照寺にある。

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猪苗代三十三観音 十四番 小平潟観音堂

小平潟観音堂

 猪苗代三十三観音の十四番札所
小平潟観音堂の説明文
<御詠歌> 小平潟 松の嵐も波の()も ()やかに澄める(のり)の月影

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(情報提供) 神秀樹 氏    .

旧/天満宮跡地、幹の梅 幹の梅の説明文

幹の梅 (旧天満宮跡地)

 集落のはずれにある。
 平成25(2013)年、整備され分かり易くなった。
 案内板も設置された。

 小平潟天満宮創建の際、ご神像を背負ってきた神良種が杖にしていた梅の木を土に挿しておいたところ根付いたと云う。
 現在の「幹の梅」は、安政年間に植え継いだ樹とのこと。

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猪苗代兼載
  母/加和里御前の墓


加和里御前の墓の説明文

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     元気な人は、「元舟場跡地」と「戻り橋」へ向かう。
     ただし、いずれも案内板があるだけで、遺構はない。

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元舟場跡地

元舟場跡地

 元和9(1623)年、二本松裏街道として舟渡が設けられた。
 案内板のみ。

の説明文
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戻り橋

戻り橋

 旅の法師が諸国行脚の法師が猪苗代兼載の評判を聞き、尋ねて来たが、橋の上で遊んでいた子供達の聡明さに、勝てないことを悟り、引き返したことから名付けられた。
 その子供こそ、兼載 本人だった。
の説明文

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