天満宮の申し子「猪苗代兼載」
享徳元年 (1452) 、母・加和里御前が子を授かることを祈り、天満宮への百夜通らよって生まれたと伝えられています。 兼載は幼少より学才に優れたため、その生い立ちにも由来して天満宮の申し子と言われました。 16才で故郷を出て連歌を学び、38歳の若さで連歌師最高の栄職北野連歌会所奉行を勤め、連歌の大成者といわれた、当代きっての文化人です。
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まずは、小平潟天満宮に参拝。
鳥居の脇に建立された。
「さみだれに 松遠ざかる すさきかな」
パワースポットをアピールしている立て看板も、目立っている。
本殿の脇にあり、猪苗代兼載の母/加和里が祭られている。
旧/天神社地の東にあったが、この場所に移された。
京都で連歌師として最高の北野連歌会所奉行・宗匠となる。
30余年ぶりに帰京した時、冬の猪苗代湖を詠んでいる。
「山は雪 海は氷を かゞみかな」
平成22(2010)年6月6日に建立された。
「葦名兼載」でもあり、「猪苗代兼"栽"」とも呼ばれる。
自在院に住んでいたころ、近くの住吉社で、和歌「兼ねてぞ栽し住吉の松」から、自ら兼栽と名付けたと云う。
大鳥居をくぐり、右への農道を80メートルほど進む。
猪苗代兼載の母/加和里御前が生まれ育った屋敷跡。
案内板があるだけで、遺構は残っていない。
来た道を戻り、大鳥居を左折する。
集落の真ん中ほどに、案内板がある。
嘉永4(1851)年1月11日、猪苗代兼載の流れをくむ小桧山惣平の長男として誕生。
明治5(1872)年、佐代助は野口家に婿入りし、野口英世の母/シカと結婚する。
英世が幼いころ、いつも一緒に天満宮を参拝していたという。
佐代助の墓は、長照寺にある。
猪苗代三十三観音の十四番札所。
<御詠歌> 小平潟 松の嵐も波の音
集落のはずれにある。
平成25(2013)年、整備され分かり易くなった。
案内板も設置された。
小平潟天満宮創建の際、ご神像を背負ってきた神良種が杖にしていた梅の木を土に挿しておいたところ根付いたと云う。
現在の「幹の梅」は、安政年間に植え継いだ樹とのこと。
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元気な人は、「元舟場跡地」と「戻り橋」へ向かう。
ただし、いずれも案内板があるだけで、遺構はない。
元和9(1623)年、二本松裏街道として舟渡が設けられた。
案内板のみ。
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