芹沢鴨 | 下村嗣司、木村継次とも。芹沢外記貞幹の3男。元/水戸藩士。 文久3(1863)年9月16日 (18日とも)、八木邸で暗殺される。 墓は京都/壬生寺。 |
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新見錦 | 28歳 | 田中伊織と同一人物か。水戸藩浪士。 墓は京都/壬生寺。 文久3(1863)年9月13日、民家から強請りした罪で切腹 (14日、15日とも)。 |
山南敬助 | 33歳 | 知信、三南三郎とも。陸奥仙台出身。 元治2(1865)年2月23日、脱走の罪で切腹。 墓は京都/光縁寺。 |
沖田総司 | 25歳 27歳? |
白河藩/勝二郎の長男。 5月30日、肺結核のため千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅で死去。 墓は東京/専称寺。賢光院仁誉明道居士。 |
平山五郎 | 35歳 | 姫路出身 (水戸藩とも)。 墓は京都/壬生寺。 文久3(1863)年9月16日 (18日とも)、芹沢とともに暗殺。 |
野口健治 | 21歳 | 健司とも。水戸出身。 墓は京都/壬生寺 (埋葬/光縁寺)。 文久3(1864)年12月27日、水戸派粛清により切腹。 |
伊東甲子太郎 | 33歳 | 宇田兵衛、鈴木大蔵、伊東摂津とも。志筑藩士/鈴木専右衛門忠明の長男。 慶応3(1867)年11月18日、暗殺 (油小路事件)。 墓は京都/戒光寺 (光縁寺へ埋葬後に改葬)。 |
藤堂平助 | 24歳 | 藤原宜虎、南部与七郎とも。伊勢津藩主/藤堂高猷の落胤。江戸出身。 慶応3(1867)年11月18日、斬殺 (油小路事件)。 墓は京都/戒光寺 (光縁寺へ埋葬後に改葬)。 |
服部武雄 | 36歳 | 三郎兵衛とも。播磨赤穂出身。 慶応3(1867)年11月18日、斬殺 (油小路事件)。 墓は京都/戒光寺。 |
毛内有之助 | 32歳 | 監物とも。津軽藩士/毛内裕胤の次男。 慶応3(1867)年11月18日、暗殺 (油小路事件)。 墓は京都/戒光寺 (光縁寺へ埋葬後に改葬)。覚知院剣冷良胤居士。 |
茨木司 | 会津藩出身。 墓は京都/光縁寺、戒光寺。 新撰組を離脱し御陵衛士参加を願ったが、慶応3(1867)年6月14日に切腹。 |
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中村五郎 | 19歳 | 下野宇都宮出身。 墓は墓は京都/光縁寺、戒光寺。 新撰組を離脱し御陵衛士参加を願ったが、慶応3(1867)年6月14日に切腹。 |
富川十郎 | 24歳 | 甲斐出身 (常陸とも)。 墓は京都/光縁寺、戒光寺。 新撰組を離脱し御陵衛士参加を願ったが、慶応3(1867)年6月14日に切腹。 |
佐野七五三之進 | 32歳 | 七五三之助、寺西蔵之丞とも。神職/寺西伊予守家班の倅。名古屋出身。 新撰組を離脱し御陵衛士参加を願ったが、慶応3(1867)年6月14日に切腹。 墓は墓は京都/光縁寺、戒光寺。 |
安比留栄三郎 | 詳細不詳。 | |
佐伯又三郎 | 長州の間者であったが探索を遂行しないため、文久3(1863)年8月10日に長州側が京都/嶋原で暗殺。 | |
谷三十郎 | 備中松山藩士。谷三治郎の長男。 墓は大阪/本伝寺。 慶応2(1866)年4月1日、京都東山の八坂神社石段下にて頓死 (卒中、喧嘩?)。 |
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安藤早太郎 | 元/三河挙母藩士。 墓は壬生寺と聞名寺。 元治元(1864)年6月5日、池田屋事件で負傷し、7月22日に死去。 |
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武田観柳斎 | 本名:福田廣。元/出雲母里藩士。 慶応3(167)年6月22日、京都/鴨川銭取橋附近で暗殺 (隊規違反で粛清とも)。 |
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浅野薫 | 藤太郎、藤太郎とも。 慶応3(1867)年、新選組を脱走し御陵衛士に入ろうとしたため斬殺。 |
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松原忠司 | 31歳 | 元/播磨小野藩士。墓は京都/光縁寺 (松原忠司、桜井勇之進など5名と合葬)。 慶応元(1865)年9月1日、死去。新選組記録は病死だが異説あり。 |
大石鍬二郎 | 33歳 | 鍬次郎とも。近習番衆/大石捨二郎の倅。 捕縛され、明治3(1870)年10月10日に斬首。 |
芳賀宜動 | 市川宇八郎、元/松前藩士。 明治2(1869)年、新政府役人と酒の上でケンカとなり斬殺される。 |
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林信太郎 | 武蔵国出身 (大坂とも)。 10月6日、捕えられ、27日に常陸/水海道で斬首。 |
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川嶋勝司 | 川島とも。洛西川島村出身。 除名された後も新撰組の名を騙って金集めをした罪で粛清。 |
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安藤勇次郎 | 勇二郎、勇太郎、勇三郎、雅次郎とも。上総出身 (京都とも)。 鳥羽伏見の戦い後、江戸に東帰するが、まもなく病死。 |
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大谷勇雄 | 天保4(1833)年生まれ。相模出身。 鳥羽伏見で負傷し、3月1日に江戸で死去。 |
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葛山武八郎 | 会津出身。 本名は橘憲章。 墓は京都/光縁寺 (葬)、壬生寺。 元治元(1864)年、近藤勇の非行を訴えたが聞き届けられず9月6日に切腹。 |
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新井田仁左衛門 |
新田革左衛門、新田角右衛門とも。 墓は京都/壬生寺 (埋葬は光縁寺)。 元治元(1864)年6月5日、池田屋事件で負傷し、7月22日に死去。 |
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尾関弥四郎 | 35歳 | 弥兵衛とも。慶応元(1865)年、病弱 (心臓病) のため除隊、11月7日に死去。 墓は奈良/光雲寺。慧照院正忠良貞居士。 |
奥沢栄輔 | 栄助、栄介とも。 墓は京都/壬生寺。 元治元(1864)年6月5日、池田屋事件で討死。 |
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石川三郎 | 21歳 | 真田次郎とも。弘化2(1845)年に生まれる。 墓は京都/光縁寺。 慶応元(1865)年6月21日、不義密通の罪で布施多喜人とともに切腹。 |
布施多喜人 | 瀬山、施山、滝人とも。 墓は京都/光縁寺。 慶応元(1865)年6月21日、不義密通の罪で石川三郎とともに切腹。 |
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田中寅蔵 | 27歳 | 寅三とも。加賀出身。 墓は京都/光縁寺。 新撰組を脱退しの御陵衛士に入ろうとしたため、慶応3(1867)年4月15日に切腹。 |
柴田彦三郎 | 28歳 | 江戸出身。喜三郎、勝三郎とも。 墓は京都/光縁寺。 勝手に金策をした罪で捕えられ、慶応2(186)年6月23日に切腹。 |
三品二郎 | 次郎、品川、早川とも。三品一郎の弟。京都出身。 鳥羽伏見の戦いで奮戦するも、8月21日の母成峠(勝軍山)で敗れ、仙台で投降。 |
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矢口健治 | 健一郎、鎌助、藤原定孝、定幸とも。 慶応3(1867)年4月29日、死去(死因不明、切腹とも)。 墓は京都/光縁寺。 |
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田内知 | 29歳 | 源重次とも。武蔵羽生出身。墓は京都/光縁寺 (松原忠司などの5名と合葬)。 慶応3(1867)年1月10日、男女の三角関係でもつれ負傷、士道不覚悟で即日切腹。 |
横倉甚五郎 | 37歳 | 武蔵/良助の次男。武州多摩郡八王子出身。 墓は東京/大法寺。興運信士。 函館で降伏後、明治3(1870)年8月15日に東京で斬首。 |
佐久間健助 | 顕助とも。 蝦夷/箱館で奮戦するも、明治2(186)年5月15日に弁天台場で投降。 |
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御倉伊勢武 | 27〜 28歳 |
美倉伊勢太とも。 長州/間者の罪で粛清。 |
荒木田左馬之助 | 左馬之允、左馬之亮とも。 文久3(1863)年9月26日、長州/間者の罪で粛清。 |
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楠小十郎 | 京都出身。 文久3(1863)年9月26日、長州/間者が発覚し原田左之助らに斬られる。 |
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松本喜二郎 | 喜次郎とも。和泉岸和田出身。 墓は福島/正福寺。喜見道清居士。 8月21日、母成峠で捕まり虐殺。 |
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荒木信三郎 | 信太郎とも。 鳥羽伏見の戦いの後、江戸に東帰し脱走。 |
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小幡三郎 | 9月4日、如来堂で戦死。 | |
木村良之助 | 紀伊出身。詳細不詳。 | |
細井鹿之助 | 24歳 | 天保13(1842)年に生まれ、慶応元(1865)年に死去、詳細不詳。 |
河合耆三郎 | 儀三郎とも。播磨高砂出身。 慶応2(1866)年2月12日、粛清により切腹させられる。 墓は京都/壬生寺と光縁寺 (葬)。遊林軒千空吉一良義居士。 |
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市橋鎌吉 | 尾張出身 (江戸とも)。墓は京都/光縁寺 (松原忠司などの5名と合葬)。 慶応2(1866)年10月7日に死去、詳細不詳。 |
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石川伊太郎 | 詳細不詳。 | |
松崎静馬 | 野馬とも。詳細不詳。 | |
小林敬之助 | 21歳 | 桂之介とも。出羽秋田出身。 慶応元(1865)年12月16日、薩摩藩/間者の罪 (密書発覚) で伏見奉行所にて絞殺。 |
岡戸万次郎 | 弘化3(1846)年生まれ。筑後久留米出身。詳細不詳。 | |
大町綱太郎 | 通南太郎とも。 鳥羽伏見で負傷、復帰するも8月21日の母成峠の戦いで敗れ、仙台で投降。 |
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岩崎一郎 | 山田一郎、南一郎とも。元/盛岡藩士。 捕獲され、明治4(1871)年1月8日に沼津で斬首。 墓は沼津/長谷寺。 |
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玉置良蔵 | 15歳 | 玉沖、良三とも。明治2(1869)年、函館で癆咳死。 |
新井破磨男 | 26歳 | 荒井とも。甲州出身。9月4日、如来堂で戦死。 |
高橋渡 | 9月4日、如来堂で戦死。 | |
小久保清吉 | 小窪とも。唐津藩士/小久保弥吉の長男。 墓は同村/宝琳寺。 10月24日、蝦夷/七重村で戦死。 誠心院忠山道孝居士、誠心院義峯信忠居士。 |
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加藤定吉 | 寅吉とも。8月21日、母成峠(勝軍山)で戦死。 | |
三好胖 | 17歳 | 小笠原千之助、小笠原胖之助とも。唐津藩主/小笠原長行の実弟。 10月24日、蝦夷/七重村で戦死。 北海道七飯町/宝林庵に埋葬、鷲ノ木/霊鷲院に慰霊碑、現存の墓は唐津/近松寺。 |
竹内武雄 | 桑名藩士/竹内惣太夫の長男、竹内徳雄の兄。 明治元(1868)年10月24日、七重村で負傷し、翌年4月6日に死去。 墓は函館/実行寺 (葬)、新潟/浄願寺・勝願寺。深真院浄生日貞居士。 |
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粕谷十郎 | 30歳 | 十一郎、粕屋、糟谷伊三郎とも。江戸出身。 明治2(1869)年5月11日に函館山で戦死。 墓は称名寺。 |
長嶋五郎作 | 18歳 | 五郎助とも。明治2(1869)年4月29日、蝦夷/弁天台場で戦死 (5月11日とも)。 |
乙部剛之進 | 墓碑は武部銀次郎。元/備中松山藩士。 明治2(1869)年5月11日、蝦夷/弁天台場で戦死。 墓は岡山/頼久寺。 |
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津田午五郎 | 25歳 | 千五郎、丑次郎とも。京都出身。 明治2(1869)年5月11日、蝦夷/弁天台場 (七重浜とも) で負傷し後に死去。 |
栗原仙之助 | 23歳 | 栗山とも。元/唐津藩士。墓は唐津/法蓮寺、称名寺。俊良院犠山専有居士。 明治2(1869)年5月11日、蝦夷/弁天台場で戦死。 |
惣六 | 明治2(1869)年、函館で戦死 (明治元年とも)。詳細不詳。 | |
勇二郎 | 裕次郎とも。明治2(1869)年5月11日、蝦夷/弁天台場で戦死。 | |
近藤僕久吉 | 詳細不詳。 |