戊  辰  の  役  /  殉  難  者

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建 福 寺 (ネットで墓参)

▲(会津若松市建福寺前7-3 Tel. 0242-28-3892)
建福寺については、こちら。


神保内蔵助源利孝之墓

神保内蔵助源利孝

 内蔵助経周の長男。
 修理と初代長崎市長/北原雅長の父。 家老。
 慶応4(1868)年8月23日、守備をしていた六日町口郭門が破られたため、五ノ丁/土屋一庵邸で、家老/田中土佐と刺し違えて自刃した。
 53歳 (52歳とも)。
 「忠岳院殿賢道量義居士」。

南無釈迦牟尼仏

南無釈迦牟尼仏 (神保氏/井上氏の先祖菩提塔)

 神保 修理   (2月22日、鳥羽伏見での戦線離脱の濡れ衣で切腹)
     雪子   (8月25日、奮戦するも柳橋で戦死)
     内蔵助 (8月23日、五ノ丁/土屋一庵邸で自刃)
 井上 丘隅   (8月23日、甲賀町自邸で自刃)
     トメ     〃
     チカ    〃
     ユミ    〃
 最近になって建立。
 神保修理は会津藩の逸材の1人で、白虎隊の生みの親でもある。
 墓は、東京白金台/興禅寺にある。
 「遺徳院殿仁道義了居士」。

神保巌之助の墓

神保巌之助
 内蔵助の3男。
 明治3(1870)年、豊後豊津藩(小倉藩)に郡長正らと藩費留学。
 明治4(1871)年5月1日、郡長正の自刃により帰藩したが、一緒に切腹しなかったことを、山川大蔵永岡久茂たちから叱責されている。
 郡長正の介錯をした。


小笠原主膳の墓

小笠原主膳     

 甚三郎の養子。
 朱雀足軽二番隊/小隊長。
 慶応4(1868)年7月29日、二本松で戦死。
 34歳。
 「勇進院教譽義達居士」。


生駒五兵衛の墓

生駒五兵衛   

 初太郎の父。
 番頭。
 禁門の変鳥羽伏見の戦いで奮戦。
 慶応3(1867)年12月10日、京都御所守衛隊長の任を土佐藩に引き継ぐ。
 戊辰(1868)年9月15日、城内二ノ丸で被弾し戦死。
 57歳。


池上新兵衛の墓

池上新兵衛

 青龍士中一番鈴木隊半隊頭。
 慶応3(1867)年5月1日、磐城/白河で戦死。
 40歳。

藤沢正啓

藤沢正啓の墓

 忠八郎とも。 藤沢内蔵丞忠啓の倅。
 白井大砲隊として鳥羽伏見の戦いで奮戦。
 その後、日光口、白河口、長命寺戦っている。
 戦後は、各地の警察署長・警視庁典獄を務めるかたわら、「会津藩大砲隊戊辰戦記」を著す。
 昭和9(1934)年3月19日没。 83歳。
 「元典獄 正五位勲四等藤澤正啓墓」とある。


藤沢啓次の墓

藤沢啓次   

 白虎士中二番隊で生存した隊士。
 明治35(1902)年9月6日没。
 「純忠院義白虎勇居士」。


小平常五郎の墓

小平常五郎

 左隅の弟。
 慶応4(1868)年8月23日、米代四ノ丁で自刃。
 23歳。
 墓碑の中央に、「小平捨次郎」となっている。


北村直衛の墓

北村直衛

 本名:北村尚衛孝政。
 大目付。
 遊撃隊/小山田隊頭大目 (組頭)。
 戊辰(1868)年9月14日、諏方社で負傷。
 同27日に青木病院で死去。 49歳。
 「清心院殿律学積義居士」。
 善龍寺との境にある。


下司伊兵衛の墓

下司伊兵衛

 庄太郎の父。
 青龍士中三番隊/木本隊。
 慶応4(1868)年5月24日、越後/杉沢で負傷。
 明治2(1869)年4月12日に謹慎地/高田で死去。
 42歳。


佐藤伴之丞の墓

 殉難者ではない可能性あり。

佐藤伴之丞

 「十月十六日」 「遊顯院覺忠潔英居士」。
 詳細不詳。

佐藤通敏の墓

佐藤通敏     .

 「正月五日」    .
 「勇道院通敏専義」。.
 詳細不詳。     .

 河井継之助埋骨遺跡については、こちら。

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