小汁(こづゆ) | ニシンの山椒漬 | 棒たら煮 | イカにんじん | ニシン等の天ぷら | |
三五八漬け | 水ナスの漬物 |
そば
(会津高遠そば
、山都そば
、祝言そば
、檜枝岐そば
、博士そば
、磐梯そば
、会津高原そば)
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はっとう | けえ餅 | つめっこ | そば焼きもち |
ソースカツ丼、会津ラーメン、喜多方ラーメン、カレー焼きそば、名物料理、鶏モツなど |
田楽 | わっぱめし | いも煮 | 鯉のうま煮 | 赤腹 | |
じゅうねん | しんごろう | えご | くじら汁 | ふきみそ | |
イナゴの佃煮 | 打ち豆 | ずんだ餅 | ムキサメ | 納豆ひしょ | |
筋子の粕漬け | 笹巻き | つの巻き | 寒餅(凍み餅) | 豆腐の味噌漬 | |
新巻鮭 | マグロの生姜漬 |
名菓 | 名酒 | 身不知柿 | 会津人参 | 高田梅 | |
会津味噌 | じゅうねん(えごま) |
会津は、東北大陸の最南端に位置する。
古くから仏都として、栄えてきた。
仏都を支えてきた、歴史のある数多くの「名菓」がある。
秀峰磐梯山、霊峰飯豊山、名山朝日ケ岳などからの伏水流で、名水にも恵まれているお陰で、とにかく「米」と「そば」がおいしい。
評判の魚沼産と勝るとも劣らないと専門家が太鼓判を押す「米」がある。
会津産のコシヒカリは、評価「特Aクラス」。
盆地のために、地元に供給するのが精一杯で、全国には供給できないのが残念である。
うまい水、うまい米、それらが醸し出す「酒」も、当然うまい。
銘柄ではなく、その年その年ごとの「うまい酒」ができあがる。
全国的にも評価は高く、地域限定でみると受賞数/率とも日本一である。
全国を相手にしている数店を除いては、手作りの酒造元だけであり、供給量には限りがある。
料理店や旅館で、「今年のうまい酒が欲しい」と言えば、出してくれるはずである。
東の太平洋、西の日本海のいずれからも、100数キロ離れた中央にある。
海が遠いがゆえに、海産物にあこがれる。
貝柱が必須の「小汁」、干し魚を使った「ニシンの山椒漬」「棒たら煮」、スルメと人参が織りなす「イカにんじん」など、保存のきく海産物を使った「会津料理」がある。
会津ラーメン、喜多方ラーメン、いずれも昔の支那ソバが原点であるが、たしかにうまい。
ソースカツ丼も、味わいがある。
それ以上に「うまい蕎麦」は、古来より会津のいたる所にある。
名の知れわたった会津料理の他にも、様々な郷土料理がある。
他の地で見られる料理でも、会津には、会津ならではの味付けがある。
四方を山に囲まれているため、春の山菜、秋のキノコ類には事欠かない。
しかし、山菜やキノコ類は、自然の恵みである。
栽培しているのではないため、収穫には限りがある。
野菜のように、あまねく全国に供給することは出来ない。
※ 日本の各地で栽培している「なめこ」は会津原産である。
デパートなどの“美味いもの店”などで手に入れることもできるが、なぜか地元で食べるものとは、味わいが違う。
やはり、地元の味は、地元で味わうのが一番である。
ぜひ、地元で味わっていただきたい。
会津を代表する料理の一つ。
餅や生揚げ、サトイモ、身欠ニシン、コンニャクなどを竹串に刺し、炭火であぶる。
甘味噌をたっぷり付け、再度、炭火であぶり香りを引き出す。
甘味噌は、味噌とそば粉・ご飯に漬物をみじん切りにしてこね、山椒を加える。
ねぎ味噌を使うこともある。
昔は “こびる” と言って、今でいう “3時のおやつ” の一つであった。
市内の田楽茶屋では、独自の味噌ダレを各店が競い合う。
観光シーズンには、囲炉裏の周りは、にぎわっている。
会津の田楽の歴史は古い。
戦国時代の武士達が、戦の時に食べ物を串にさして焼いたのが始まりとされている。
奴郎ヶ前にある「お秀茶屋」は、約300年ほど前の延宝年間に、当時の猪苗代に至る東山街道沿いに、峠の腰かけ茶屋として店を出した。
当時、会津藩の処刑場として使われていた河原が近くにあり、罪人の“最後の食べ物」として与えられた。
天ぷらの強清水、棒タラの一ノ堰と並ぶ、三大茶屋料理の一つとなっている。
[閑話]
"わっぱ"とは、きこりや旅人が弁当箱としてつかった木製の丸型の容器のこと。
この中に、味付け御飯を入れ、四季折々の山菜や川の幸をのせて、蒸し上げる。
現在は、外食のメニューの一つで、特に、観光客に大人気の食事になっている。
全国的なものとの違いは、キノコご飯の上に、鮭、鳥そぼろ、ゼンマイなどの山菜、シイタケなど、7種類の具材をのせるのが基本である。
会津の各地には、しそ、ゴマ、マイタケ、なめこなど、土地それぞれの具材がのっており、各々美味である。
現代風の蟹肉のわっぱ、ホタテわっぱ、鮭といくらや鳥と卵の親子わっぱなども人気。
檜枝岐の"曲げわっぱ"は、繊細な容器として有名で、買い求める観光客も多い。
サトイモ、豚肉、大根、ニンジン、白菜、ネギ、ゴボウ、コンニャク、油揚げ、それにマイタケ、シメジなどのキノコ類の煮物。
砂糖、酒も使うが、会津では味噌としょう油の両方を使う。
いも煮は、春の花見と双璧の、秋の恒例行事である。
里芋やキノコ類などの材料と、大鍋を皆で持ち寄って、親しい仲間同士の家族が、大川の河原に集う。 親戚、町内会、職場、学校などのグループでも行われ、親睦を深める行事として、いろいろな集まりにも参加する。
時期としては、ちょうど、農繁期が終わったころでもある。
会津のいも煮の決定的な違いは、多くの種類のキノコ類が入っている点である。
名物として宣伝され、旅館、料亭などでも、気軽に食べも事ができる。
最近は、観光客向けなのか、旅館や飲食店でもよく見かける。
最近、少量でもできるように、"いも煮"の材料がセットされたものが、スーパーで売られている。
田舎でも、少子化が進んでいるのか、老人だけの世帯が増えているからか。
室内でもおいしいが、やはり“いも煮”は大川の河原で食べるに限る。
[閑話]
福島・会津では、松茸等が採れた「きのこ山」で鍋をしたのが起源といわれる。これに対し、民俗学者で近畿大学教授の野本寛一さんは、「いも煮会」はサトイモの収穫祭が発展したものではないかと考えている。
サトイモは東北になくてはならない食物だった。江戸時代の農業書「会津農書」には、「イモは主食」とあり、度々襲うコメの不作に備え、栽培を奨励している。東南アジア原産で、寒さに弱いサトイモを越冬させるため、先人達はもみ殻で保温するなど工夫を重ねてきた。奥会津の金山町・玉梨地区では、大切なサトイモを残してくれた先祖への感謝を込め、必ず彼岸の中日に掘った初物を煮物にして仏壇に供える。(「NHK仙台放送局・なっとく!古今東」より)
一般的な芋煮は山形県の中山町が発祥の地と名乗っているが、会津の「いも煮」は、まったく別の発祥である。
京都守護職の任に就いていた会津藩士たちが、エビイモ (里芋の一種) と棒たらを炊き上げた料理「いもぼう」を野原で食るす風習と出会い、会津に戻って風土に合った調理法に改良を重ねて現在の「いも煮」になった。
「会津武士が嘗て 京都に守護職を勤めた際 京都の都民が風光明媚なる四山に催すのを会津に帰って真似た」
鯉を輪切りにして、しょう油と砂糖、酒で、じっくりと煮詰めた甘煮料理。
現在でも、冠婚葬祭のお膳には、付きものである。 鯉の滝登りにあやかり、立身出世など、縁起ものでもあった。
内陸のため海の魚が手に入らない時代に、盛んに養殖が奨励された。
鯛にもまさる魚として、御前料理にも進上されたほど美味しく、栄養価に富む。
出産後の女性には、乳が良く出るようになると言われ、手みやげ物に重宝がられていた。
内陸にあった他の藩でも、同じように養殖されていたようである。
≪鯉こく≫
頭などのアラを、豆腐とねぎと大根などと、味噌仕立て煮たもの。
祝いなどの行事には必ず出たものだが、最近は、あまり見かけなくなった。
今の「鯉こく」は、輪切りにした鯉の本体が入っている。
≪鯉の洗い≫
薄く切った身を水で締め、酢味噌で食べる刺身。
産卵期に婚姻色で腹が一筋の朱で染まることから名付けられた (ウグイやハヤ)。
素焼きにして、砂糖としょう油、酒を加えて煮あげたもの。
ニシンの代用として山椒と唐辛子で甘露煮にしたのもある。
うま味のあるい苦味が、特徴である。
御飯のおかずはもとより、酒のツマミとしても最高である。
串焼きにして乾燥させた赤腹という川魚と、凍み豆腐、ネギを入れたしょう油仕立ての汁もの。
奥会津の各地に伝わる伝統的なハレの日や、年越しの日に食べられる行事食。
赤腹が腕から、はみださんばかりの姿で出される。
はらわたから、しみ出るほろ苦さが美味。
同じハレの日に食べられる“ひっけい”というものもある。
こちらも赤腹が主役ではあるが、ニンジンや長ネギ、厚揚げ、マイタケなどの数多くの具材が入っている。
昔は3人分ほどの量が出て、汁だけ飲んで具は持ち帰るのが礼儀だったとのこと。
干した赤腹を素焼きにし、結び昆布、ゴボウ、舞タケ、油揚げの5種を使う。
古来から、地方の冠婚葬祭の席、特に正月に出される行事食で、 汁物というより煮物。
漆塗りのお平椀に盛り付けたことから、名付けられた。
海、畑、山、川の幸を表している料理。
インドやマレーなどの東南アジア原産で、シソ科の一年草。
会津では「じゅうねん (十念)」と呼ばれているが、全国的には「えごま (荏胡麻)」、「え」、「しろじそ」 と呼ばれる。
主に種を食すが、シソの香りもするし、丸みがあり、胡麻とは異なる。
胡麻より香りが豊かで風味も勝っており、タンパク質や脂質、鉄分、カルシウム、ビタミンB1・B2などの成分が多く含まれている。
脂質の中には、魚油に含まれるEPAやDHAと同様のα−リノレン酸がきわめて多く、がん抑制や抗アレルギー作用があるといわれる。
日本ではインド原産の胡麻よりも古くから全国各地の冷涼地で栽培され、整腸、咳き止め、熱さましなどの薬用として利用されてきたが、現在では栽培している地も少なくなった。
地名に「荏」が付く場所は、ほぼ かつての栽培地である。
会津では土着した蘆名直盛公が推奨し蘆名盛政公が大いに奨励したため、今なお県単位 (蘆名時代の会津領) では生産全国一であり、現在の会津でも多く栽培されている。
読み方から「食べると10年も長生きする」とも云われ、かつては「10年も保存可能」な飢饉対策の保存食の1つでもあった。
日常食としては、「じゅうねん味噌」として重宝してきた。
炒ってからすりおろし、砂糖、味噌、酒、みりんをあえる。
餅や“つめっこやき(そば焼きもち)”、“しんごろう”に塗って炭火で焼いて食べる。
炒ってからふりかけにしたり、摩り下ろして和え物や薬味としたり、絞って油にしても使われる。
最近では、うどん、ラーメン、せんべい、かりんとう、アイスなどにも利用されている。
20世紀終わり頃に世界の医学界では、必須脂肪酸/α-リノレン酸が比類ないほど豊富に含まれており健康にとても良いと認定されていたが、日本では注目されなかった。
平成30(20218)年、NHK「がってん!」で栄養素「オメガ3脂肪酸」の素晴らしさが紹介されてから爆発的に人気が急上昇している。
米粒を半分残してついた“うるち米”を、手で丸めて竹串に刺し、味付けした味噌をつけ、炭火で焼いたもの。
焦げ目が付くまで焼くのがポイント。
じゅうねん味噌が、火であぶられ、大変に香ばしい。
柔らかな食感・甘味と、じゅうねん味噌の風味がよくマッチして美味しい。
下郷地区などで、おもてなし料理として出される郷土食。
収穫した新米の作柄をみることを、「しんころあいをみる (古事記にも記載)」と言っていたが、これが訛って「しんごろう」になったとされる。
じゅうねん味噌は、じゅうねんをよく炒り、すり鉢ですり、砂糖・味噌・酒などを入れて作る。
“じゅうねん”とはエゴ(荏胡麻)のことで、1年生のシソ科植物。
ゴマの仲間ではなく、シソと学名が同じ植物。
ゴマにはほとんど含まれていないアルファ・リノレン酸が、60%以上も含まれている。
アルファ・リノレン酸とは、欠かせない必須脂肪酸であり、生活習慣病、ガン、動脈硬化、脳こそく、視力障害、アレルギーなどのにも有効なことが分かってきている。
鎌倉時代から江戸中期までの800年間、エゴマ油を使ってきたが、なたね油の普及で廃れる。
今は、会津の他には、岩手県、宮城県、岐阜県などの一部に伝統食として残るだけ。
昔々のことだ。
この村に「シンゴロウ (新五郎)」という人がおった。
めでたい日には餅をつく風習があってな、隣近所からペッタンペッタン餅つきの音が聞こえるのに、貧乏なシンゴロウの家には餅米もねえ。
困り果て、ご飯を炊き、餅のかわりに神棚にお供えしたと言うんじや。
ところが、それにジユウネン(エゴマ)味噌を付けて焼いて食べたところ、びっくりするほど香ぱしく、舌が抜けるほどうまかったんじや。
この食べ方が村中に知れ渡って、郷土自慢の料埋になってしまったというわけさ。(南会津地方グリーン・ツーリズム推進協議会より)
「鯨汁」 は全国各地でも食されているが、会津の「くじら汁」 は味噌仕立て。
昔から近年まで、新じゃが芋や新玉ねぎの収穫が始まる時期になると、必ずといって良いほど食べられていた。
くじらの本皮の塩漬けと、新じゃが芋や新玉ねぎの他に、彩りを添えるニンジンや夏野菜などを一緒に味噌汁にする。
栄養学的にも、脂肪と塩分を適度に補給できるので、暑さを乗り切るスタミナ食として夏バテ防止に良いとのことであるが、最近では姿を消しつつあるようだ。
海草の"えご草"を煮て、寒天のように固めたもの。
ハレの日には、欠かせない一品。
かすかな磯の香りと、プルプル感の舌触りは、たまらない。
えご草をよく水洗いし、酒と水で溶けるまで、約20分位煮る。
型に入れ冷ますと固まるので、適当に切り分ける。
酢しょう油に浸けたり、酢味噌・がらしなどを付けて食べる。
主に、お盆などの夏の仏事に使われる。
ふきのとうを刻み、砂糖と味噌で練り上げたもの。
生のままだと黒ずんでしまうので、ふきのとうを、いったん塩漬けし、あく抜きしてから使用する。
ほろ苦さは、ご飯のおかずに、とても合う。
酒の肴にも、絶品。
苦味成分は、だるさや疲労回復に効き目があるという。
秋の田んぼに、大量に発生するイナゴを煮詰めたもの。
古来より、貴重なタンパク源や冬の保存食とされてきた。
タンパク質の他にも鉄分やビタミンAなどに富み、優れた食品である。
小エビの佃煮に近い感触と味がする。
酒のつまみにも、美味しい。
東日本の山間部では広く食用とされているが、会津では後ろ脚を取り除く。
昭和30年代までは、イナゴ取りが小学校の課外行事であった。
作り方は、シンプルである。
1. 布袋のまま、異物を出させるため、一晩そのまま置く。
2. 袋のまま熱湯に入れ、数分ゆでる。
3. 袋から出し、よく水洗いをして、ごみなどを取り除く。
4. ギザギザした後ろ足を、取り除く。
5. しょう油、砂糖、みりんを加え、ひと煮立ちさせてからイナゴを入れる。
イナゴ1キロに対して、しょう油200cc、砂糖500グラムが目安。
6. 小1時間ほどで水気がなくなったら弱火にし、照りを出すために少量のサラダ油を入れ、炒め上げる。
大豆を、つぶしたもの。
雪に閉ざされ生野菜が少なくなる冬の間、会津地方でうまれた貴重なタンパク源としての保存食の一つ。
作り方は、湯や水に浸してから木槌で一粒づつ叩いてつぶし、再び乾燥させる。
昭和30年ごろまでは、各家庭に打ち豆を作る専用の道具「打豆台(うちまめだい)」があった。
子供が、お手伝いする作業の一つでもあった。
固い大豆も、数分で煮え、味も良く滲みる。
栄養価の高い含有成分の消化も、飛躍的に良くなる。
固い大豆からは想像できないふんわりした柔らかさと、独特の風味、香りが加わる。
煮物や味噌汁の具に使われるが、天ぷら、団子や餅に入れたりもする。
≪代表的な煮物≫
打ち豆 100g
ニンジン 1本
こんにゃく 1枚
さつま揚げ 2枚
砂糖と醤油 適量
ニンジン、こんにゃく、さつま揚げを切る。
具材が浸るくらい水を入れ、しょう油と砂糖を加えて煮る。
火が通ったら、打ち豆を加えて、汁がなくなるまで煮込む。
ゆでた枝豆の薄皮をむき、すりつぶした「ずんだ」に砂糖を加え甘くし、つきたての餅にからめた菓子。
会津を中心に、山形、宮城、栃木で食べられていた。 栃木地方では、「ばんだい餅」と呼ばれていたと記憶している。
枝豆の季節になるとお目見えし、夏の季節感あふれる和菓子。 お盆(旧盆)には客にも出され、「くるみ餅」「ごま餅」なども添えられていた。
日持ちはしないので、作ったら食べきるものでもあった。
大阪地方での「くるみ餅」は、大豆を使用したもの。
最近、枝豆も冷凍品の普及から、ヘルシーで栄養価も高く、甘さも控えめにして、人気が再燃している。
作り方については、こちら。
皮をむいたサメ (アブラツノザメ) を、煮付けにして冷まし、煮こごりにする。
冷えたゼラチン質が、口に入れると溶ける感触は絶品。
年越しや、正月に添えられる代表的な料理。
サメは軟骨で小骨もなく、年寄りや子供にも安心。
初めて食べる他地の人に、「サメって、こんなに美味しいんだ」と驚かれる1品。 酒の肴にも合う。
昔は、冷まして (翌日など) の “煮こごり” として食べていたが、最近では日常の“おかず”として、出来上がりの熱いうちに食べることも多くなった。
作り方については、こちら。
塩蔵発酵納豆のことで、しょう油と麹でつくる納豆の漬物。
冬季に仕込み、病気の時や夏季の食欲不振時に食欲を回復するために食べる。
タンパク食としても、優れている。
まず、もち米を炊いて人肌にさまし、こうじをまぜ、人肌程度の温度を保ち甘酒を作る。
納豆と塩を入れてかき混ぜ、数日おいて味を馴染ませる。
食べる時に、塩抜きした大根菜などの青味を添える。
筋子を、酒粕に漬けたもの。
冷蔵庫で一晩か二晩置くだけで塩分もとれ、風味が増す。
酒粕に直接漬けるのだが、和紙に包んで漬けると酒粕を流す手間が省けて便利で、かつ旨味も流れてしまわず香りも良い。
“たらこ”でも、美味しい。
形から菱巻とも呼ばれ、ちまき (粽) の会津版。
もち米の粒はつぶさず、そのまま米の形を保っている。
水に浸したモチ米を、新芽の笹の葉で三角の形に巻き入れて茹で、1房に5個束ねて吊り下げ、保存する。
食べるときは、黄な粉をつけて食べる。
昔はどの家庭も作っており、端午の節句に欠かせなかった。
母のぬくもりを感じさせる「おふくろの味」である。
笹団子のこと。
ひし巻きにすれば、ちまき(粽)になる。
両端の笹の葉が、牛の角のような形をしていることから、つの巻きと呼ばれる。
上しん粉をよくこねて、ちぎった中にあんを包み込み、笹の葉で巻く。
イ草で両端を しっかり結び、熱湯で茹で上げて、冷水で冷やせば出来上がり。
山ごぼうの葉を茹でてすりつぶしたものを入れたり、あんを入れないものもある。
補助食とするために、“寒”の寒い時期に日蔭で干した切り餅のこと。
焼いたり、油で揚げて、砂糖や塩をまぶして食べる。
サクサクしていて、とても柔らかい。
豆腐の水気を充分に取り、よく絞り、1ヶ月から半年ほど味噌に漬ける。
長ければ長いほど、固めのチーズのような風味が増す。
味噌に砂糖を加える家もある。
薄くスライスして、ご飯の御数
おにぎりの具材としても用いられる。
源氏に敗れた平家の落人が伝えたとされ、只見・檜枝岐・南会津地方に残る保存食。
合戦が日常茶飯事だった戦国時代には、兵士たちの兵糧の1つに加えられている。
全国的な食べ物で、特に会津とは無縁なものと思われるが、今でも御歳暮には欠かせない魚である。
嫁いだ娘が実家へ贈る慣わしは、今も続いている。
頭と尾を神棚へ捧げる家も、数多くある。
減塩時代の今と違って、「塩引き」とも呼ばれていた。
2分の1切れで、ご飯3杯は食べられた。
斗南藩への挙藩流刑にあい、苦渋をなめた。
廃藩置県により、それすらも消滅した時、元/会津藩士では職を得ることは出来なかった。
前歴を隠して関西に流れるものも多かったが、北海道の開拓に身を投じた者も少なくはない。
鮭は、生まれ育った故郷の川に、必ず帰るという。
新しい年を迎える際には、鮭に望郷の思いを託し、万感の思いで食したという。
会津にとっては、今でも特別な魚なのである。
昔は、身を輪切りにして焼いて食べた。
古来からのものではないが、会津でしか見かけない。
各家庭で作っているものではなく、スーパーで購入する。
食紅で色付けされているようで、色鮮やか。
やや塩分を感じるが、ご飯には実に良く合う。