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ご   縁   の   あ   る   地

青 森 県 と の“ご 縁”

斗南藩については、こちら

殉難者については、こちら

下北半島道路案内図

広沢牧場 (開牧社、斗南藩記念観光村)

広沢牧場

 斗南の地に移住した旧会津藩士・家族は貧困を究め、廃藩置県および併合で藩そのものも消滅した。
 明治5(1872)年5月7日、斗南藩で小参事を務めていた広澤安任 (通称/富次郎) は、旧藩士を救済すべく、英国人2名を雇い谷地頭(やちがしら)に洋式牧場「開牧社」を開設した。
 明治9(1876)年、訪れた旧薩摩藩/大久保利通が中央政府の要職を用意し仕官を薦め、その後も勧誘を続けたが、裏切った薩奸の言葉など信じられないとし、
 「野にあって国家に尽くす」と固辞して応じることはなかった。
 後に、子孫により「広沢牧場」と改称。
 昭和60(1985)年、役目を終え、閉鎖された。
 平成7(1995)年、三沢市へ寄付された土地 (貴重な史料・建築物も含む) に、広澤安任などの人々を顕彰する目的で「斗南藩記念観光村」が設立され、一般公開されている。
 平成12(2000)年、道の駅に登録された。
 開設当時の牧場の様子が、広い敷地内に宿舎などの他に、ブロンズ像も配置して再現されている。

広沢牧場の先人記念館

先人記念館

 広澤安任や広沢牧場を紹介する記念館。 有料
 経歴など素晴らしく整理展示されている。
 館内については、こちら

開祖堂

 会津藩士・斗南藩士/広沢安任を祀ったお堂。

広沢牧場

六十九種草堂

 広澤安任の住居を復元した建物。  内部に展示されている屏風や書物などは寄贈された本物。
 明治14(1881)年に東京開催の内国勧業博覧会に出品した牛馬が食べる野草69種類の研究成果により命名とのこと。
 堂内については、こちら

道の駅/みさわ


 ▲(三沢市谷地頭4-298-652 Tel. 0176-59-3009)

   道の駅/みさわ「くれ馬ぱ〜く」
     ▲(Tel. 0176-59-2711)


廣澤安任之墓 (廣澤家墓地)

廣澤安任之墓 廣澤安任之墓

 明治24(1891)年2月5日、近代畜産・酪農に捧げた生涯を終える。
 享年62歳 (満60歳)。
 斗南藩記念観光村より離れた場所にあるが、墓石建立の当時は広沢牧場の敷地内であった。
 墓は、弥勒寺にもある。

 ▲(三沢市高野沢2丁目  元/谷地頭)
   県道170号の高野沢集会所を曲がり、
   人家が途切れた鉄塔の向かい側

鈴木武登馬・鈴木重令の銅像 (三沢市公会堂)

鈴木武登馬

 藩士の倅として鶴ヶ城下にて誕生するが、幼くして斗南藩へ移住し三沢村で育つ。
 教職を経て三沢村/村長、県会議員などを歴任し、三沢の基盤を確立する。

 

鈴木重令

 鈴木重令の孫。
 市議会議員、県議会議員を歴任。
 三沢市長に就くや、祖父/武登馬の遺志を推し進め、三沢を大いに発展させる。
 ▲(三沢市桜町1-6-35 Tel. 0176-53-8711)

北村正哉の銅像 (三沢市役所)

 会津藩士/北村豊三の曾孫。
 町議会議員、知事に就任。
 老いても正義感は衰えず手腕を発揮し、地元の社会基盤の整備に尽力する。
 他にも、白神山地のユネスコ世界遺産登録へのきっかけをつくった。

 ▲(三沢市桜町1-1-38 Tel. 0176-53-5111)


津田永佐久の顕彰碑 (むつ市役所川内庁舎)

 嘉永2(1849)年3月13日〜明治43(1910)年 9月19日 (62歳)
 藩士の倅として鶴ヶ城下にて誕生。
 戊辰の役では、朱雀隊として各地を転戦。
 開城後は、東京謹慎(幽閉)を経て、斗南藩/川内村へ移住。
 その後、青森県会議員を務める。
 明治15(1882)年、湯野川温泉を訪れた時の生活様式の一端を「紀行文/遊浴日記」に著し、当時の様子を今に伝える。
 明治22(1889)年、川内村・桧川村・宿野部村・蠣崎村が合併 (前年に町村制が公布) し川内村となった初代村長に就任。
 地域発展の一環として植林事業などを推し進め、今に残る林道など整備するなど多大な功績を残す。
 ▲(むつ市川内町川内477 Tel. 0175-42-2111)

斗南藩資料館「向陽処」

 斗南藩士の子孫/木村重忠氏の家の押し入れに、140年間も眠っていた斗南藩の資料を展示公開。
 資料館の名称「向陽処」は、故なき汚名を着せられ挙藩流刑憂き目にあったが、いずれ陽のあたる処に出るとの掛け軸から命名したとのこと。
 大奥村の2代目戸長/木村重孝の曾孫とのこと。
 ▲有料 (大間町大字大間64-1/リビングインテリア キムラ2F Tel. 0175-37-3307)

新島襄寄港記念碑 (海峡いさりび公園)

 新島襄は、添川廉斎などから受けた教えにより、海外に興味を持った。
 元治元(1864)年、密かに渡米を試みるべく、品川から洋式帆船「快風丸」に乗船し、函館へ向かう。
 途中で北風と激しい潮流を避けるため、4月18日に下風呂港に寄港し、2日間の滞在を余儀なくされた。

 6月14日、函館から国禁を犯して米国へ出向する。
 平成4(1992)年10月22日、寄港したことを後世まで伝えようと、同志社の協力を得て記念碑を建立。
 ▲(風間浦村下風呂下風呂127)


弘前東照宮

弘前東照宮

 元和3(1617)年、弘前藩主/津軽信枚が天海大僧正を通じて願い出て勧請。
 御三家や徳川家一門に先行する最初の勧請であった。
 寛永元(1624)年、弘前城の北東である現在地に遷座。
 平成24(2012)年、破産。
 東照宮として初めての破産であるが、法人格の神社としても2例目とのこと。
弘前東照宮 弘前東照宮

 ▲(弘前市笹森町38)


弘前城

弘前城

 鶴ヶ城と同じ日本100名城 (4番) の1つ。
 鷹岡城、高岡城、津軽氏城とも。
 慶長16(1611)年、津軽為信が築城を着手し、引き継いだ3男/信枚により完成。
 寛永5(1628)年、信枚が帰依したのに伴い、天海大僧正が地名「鷹岡」を「弘前」と改称した。
 津軽家移封の取り消しも天海大僧正の働きかけによる。
 明治6(1873)年、廃城。
 昭和25(1950)年、国の重要文化財に指定。
 ▲(弘前市大字下白銀町1−1)

根城

根城

 鶴ヶ城と同じ日本100名城 (5番) の1つ。
 建武元(1334)年、南部師行が築城。
 南朝方の根本になる願いから命名したといわれる。
 寛永4(1627)年、城主/八戸直秀の移封により廃城。
 昭和16(1941)年、国の史跡に指定。
 平成6(1994)年、本丸主殿などが復元された。
 ▲(八戸市根城字根城47 Tel. 0178-41-1726)

南部利直霊屋 (三光寺)

南部利直霊屋(三光寺)

 正室/於武 (武姫、源秀院) が、蒲生氏郷の養女。
 寛永10(1633)年、世子/重直が建立と伝わる。
南部利直霊屋(三光寺)
 墓は元禄11(1698)年に岩手/東禅寺へ改葬されているが、案内図の中の利直霊屋の場所が目隠しされており霊屋も移設?
 ▲ 非公開 (南部町大字小向字正寿寺60 Tel. 0179-23-3773)

赤い靴親子三人像 (海の駅わんど)

 母/かよの再婚相手である義父/鈴木志郎の生まれ故郷。

 平成22(2010)年11月3日、除幕。
 像の大きさ:900mm×1100mm×700mm。
 原画/島袋英求、作/田島義明。
 伊東正三が設立した北鳴新報社に、野口雨情が記者として入社。
 同社に鈴木志郎が務めており、その妻/“岩崎かよ”から聞いた娘/“きみ”の逸話を野口雨情に伝えたところ、後に幼子/“きみ”をモデルとした童謡「赤い靴」と「シャボン玉」が生まれた。
 アメリカ人宣教師の養女として未来を託された“きみ”ちゃんは、結核にかかってしまい渡米できず、孤児院「永坂孤女院」で、ひとり寂しく亡くなってしまう (9歳)。
<永坂孤女院などと併記>   .
 ▲(鰺ヶ沢町大字本町246-4 Tel. 0173-72-6661)

≪ 東北三十六不動尊との ご縁 ≫

国上寺

国上寺

 大龍寺薬師寺と共に東北三十六不動尊 (第十三番)。
 ・ねまり不動尊 (寺本尊)
 ・御朱印
 <御詠歌> 巡り来て 見れば古懸の 不動さん
       大師もここに おわしまします


 推古天皇18(610)年、聖徳太子の命で圓智上人が開山。
 古懸山、真言宗智山派。 本尊は不動明王 (秘仏)。
 ▲(平川市碇ケ関古懸門前1-1 Tel. 0172-45-2446)

大円寺

大円寺の不動堂

 大龍寺薬師寺と共に東北三十六不動尊 (第十四番)。
 ・厄除不動尊
 ・御朱印
 <御詠歌> 大聖の 慈悲にすがりて 阿闍羅山
       昔も今も 目ざす大日


大円寺  奈良時代に大安国寺として創建 (伝)。
 明治4(1871)年、高伯寺を経て大円寺に改称。
 神岡山、高野山真言宗。
 本尊は、大日如来 (謎/阿弥陀如来坐像)・不動明王。
 ▲(大鰐町蔵館村岡12 Tel. 0172-48-2017)


弘法寺

の不動堂

 大龍寺薬師寺と共に東北三十六不動尊 (第十六番)。
 ・身代り不動尊
 ・御朱印
 <御詠歌> 身代りの 不動のおわす 津軽路の
       西の高野に 法の(ともしび)


 開創などは不詳。 西の高野山、高野山真言宗。
 弘法大師が横になっている等身大の「御休み大師」が安置。
 津軽弘法大師十一番、津軽七福神福禄寿。
 ▲(つがる市木造吹原屏風山1-244 Tel. 0173-26-2320)

 第十七番 青森寺

青森寺

 大龍寺薬師寺と共に東北三十六不動尊 (第十七番)。
 ・成田不動尊 (寺本尊)
 ・御朱印
 <御詠歌> 巡り来て 外ケ浜辺の (ほとり)なる
       成田不動へ 参へる嬉しさ


 明治21(1888)年、千葉/成田山新勝寺に参拝の「成田講」信者たちが不動堂を建立。
 成田山、真言宗智山派。
 ▲(青森市栄町1-4-24 Tel. 017-741-0643)

青龍寺

青龍寺の不動堂

 大龍寺薬師寺と共に東北三十六不動尊 (第十八番)。
 ・厄除不動尊
  金堂内にも不動明王を安置
 ・御朱印
 <御詠歌> 桑原の 昭和大佛 参りませ
       佛の恵み 盡きる事なく


青龍寺  昭和47(1972)年 織田隆弘師が開山。
 全仏山、単立/高野山真言宗易行派。
 本尊は、昭和59(1984)年造立の胎蔵界大日如来 (昭和大仏/青銅坐像として日本一とのこと)。
 ▲有料 (青森市桑原字山崎45 Tel. 017-726-2312)


最勝院の不動堂

最勝院

 大々的なお守り販売所に御朱印と記載してあったので年配の係員に依頼すると、時刻は昼時を過ぎたころなのに書く人がいないからと、値段が1.5倍の出来上がりを勧めてくる。 御朱印帳持参なので、目の前にある印を押すだけなのに・・・・


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