戊  辰  の  役  /  殉  難  者

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慶応4(1868)年 8月の詳細不詳者

 古来からの、会津の「時の進み方」ではなかった。
 あまりにも、「時の流れ」が早すぎた。
 そして、充分な理解も出来ぬまま、数多くの藩士たちが散っていった。

 戦いが終わっても、遺体の埋葬は禁止された。
 鳥獣のよい餌食となり、朽ちていった。
 翌年に埋葬が黙認される頃には、誰の骸だか分らなくなっていた。
 衣服から判明しても、墓碑に名を刻むことは許されなかった。

 今もって、詳細不詳の戦死者が、数多くおられる。


丹羽(にわ)九八郎 27歳  の養子  8月、越後で負傷し、29日に穂谷で死去
   (23日に若松で死去とも)
   大龍寺/供養碑に記載
目黒角次郎51歳  九八郎の父 田所密事役 夏、越後/草生水で負傷し、
   8月23日に日新館で死去
酒井小一郎  誠之助の伜 8月、越後/八十里越で戦死
鈴木卯太郎 24歳  独礼  8月、越後で戦死
園部太郎32歳 奥右衛門の伜 寄合雇
山浦勝之助35歳 福良村の農民 8月、越後/妙見で戦死
忠兵衛  農兵 8月下旬、黒羽藩兵に虐殺
福次郎  永野村の農民 夫卒 8月、下野/板室で戦死
山内清五郎26歳 敢死隊 8月、滝沢坂下で戦死
町田高恒   負傷し8月12日に死去  大窪山
長谷川勇之進28歳 片桐村の人 猪苗代隊石山組 足軽 負傷し8月14日に城内で死去
島影安江48歳 安之丞の父 負傷し8月18日に高田で死去
石黒岩吉62歳 新練土屋隊 8月、材木町で戦死

大竹熊蔵    足軽  夏に、猪苗代で戦死
兼子吉左衛門80余歳 の父 8月、猪苗代の山中で死
丹羽(にわ)新吉   8月、猪苗代の東で戦死
長谷川要助 40歳  青龍足軽隊  8月、猪苗代で戦死
森田平次郎(平四郎)  

《 8 月 2 3 日 以 降 》

飯田文治 31歳  左門の弟  8月、鶴ヶ城で戦死
大原安次郎32歳 徒分
吉川滝江18歳 真宮謙長の孫
小林幸之進26歳 駒之助の兄 大工 高田/幽閉とは別人
鹿野左門59歳 玄武隊寄合組
羽金利吉21歳 染師 甲賀格
山口源之助28歳 徒分
吉川常五郎53歳 恒之助の父 白虎隊頭
山内鉄之助54歳 鉄弥の父 軍事方甲賀格
林さだ2歳 権助の孫 8月、鶴ヶ城で死
内田安次郎   8月、鶴ヶ城/二ノ丸で戦死
小島安兵衛  玄武足軽二番遠山隊 8月、鶴ヶ城で負傷し、後に青木で死去
竹本鴨夢勝秀 60歳  登の父 砲兵一番隊小隊頭  8月、鶴ヶ城で負傷し、後に御山で死去
中澤時彦6歳 常左衛門の伜
増子久五郎15歳 清太の弟 8月、鶴ヶ城で負傷し、後に死去
 
赤埴(あかはに)竹助   8月、甲賀町で死
赤羽幸之進の祖母   8月、飯寺村で自刃
赤羽祖助の母   8月、小田村で自刃
秋山善之進  寺社人 8月、諏方社前で戦死
井沢豊蔵の母   8月、大川河原で自刃
岩淵初太郎32歳 龜太郎の倅 進撃小室隊 8月、長命寺で負傷し、鶴ヶ城内で死去
内田つや   8月、城下で自刃
神田小一右衛門の母   8月、高瀬で自刃
黒河内綱松39歳 新六の叔父 8月、小田山で戦死 (天神口とも)
小笠原信太郎  信助の伜 8月、下野/板屋で戦死
吉川常次郎19歳 恒之助の弟 朱雀士中三番原田隊 8月、下町で負傷し、鶴ヶ城で死去
木村寅四郎  幸太郎の父 8月、幕ノ内で戦死
佐藤平吉27歳 徒分 大砲隊林隊銃手 8月、南方面で戦死
 高田/天崇寺寺の幽閉に名がある(別人か?)
鈴木庄之助44歳 足軽 8月、高田で戦死
鈴木辰太郎   8月、半兵衛町で戦死
鈴木辰吉の祖母  辰吉郎か? 8月、甲賀町で死
高橋喜之助  正奇隊杉浦隊 8月、融通寺町で戦死
高橋八次郎26歳 房之助の伜 大砲一番大村隊 8月、融通寺町口で戦死
田辺清三郎21歳 手廻 8月、材木町で戦死
中沢新七 (新八)  の弟 8月、融通寺町口で戦死
長谷川熊次郎40歳 徒分 8月、河原町で戦死
林源輔の妻   8月、堤沢で死  蓮永寺
広木元五郎52歳 足軽 8月、壷下で戦死
藤井房之助  青龍足軽三番隊 8月、高久河原で戦死
堀直三郎45歳 半右衛門の弟 8月、一ノ丁自宅前で戦死
村松六三郎  堀半右衛門の家来 8月、花畑口で戦死
森虎三郎  朱雀足軽隊教導 8月、南町で戦死
矢部政左衛門  朱雀士中四番町野隊 8月、山宮野で負傷し、
   9月2日に真ヶ沢で死去
山下宇之助(卯之吉)19歳 留之助の伜 8月、院内で戦死
渡部市蔵  郡代同心 負傷し、8月 (9月とも)に青木で死去
 
三右衛門  高畑村の農民 軍夫 8月、若松で戦死
井上定五郎42歳 元金山同心徒分 8月、会津で負傷し、
   12月に中麻生村で死去  秀長寺
岡田忠蔵   8月、会津で戦死
棚木善五郎44歳 廻米役人 8月、負傷し、翌2年1月25日に青木で死去
古川善慶47歳  8月、負傷し、10月に死去
窪田清七  砲兵隊 8月、羽後四ツ谷で負傷し、芹沢で死去
佐々木常吉  福良村の農民 8月、越後/石間宝昌山で戦死
山浦長吉19歳  8月、赤谷で戦死
若林八次郎19歳 海八の次男 白虎寄合一番原隊 8月、赤谷で戦死 (9月15日に一ノ堰とも)
荒川八郎    徒分 青龍寄合隊  8月、戦死
 高田/善行寺の幽閉に名がある(別人か?)
鬼木源太夫 41歳  原田主馬の家来  8月、戦死
広瀬茂七44歳 
山本季太郎  
養寿院  修験 北辰隊

小川端午 41歳  青龍士中一番鈴木隊  8月(9月とも)、三ノ丸で負傷し、
   10月2日に幽閉地/猪苗代で死去
久保田茂八   8月 (9月とも)、三ノ丸で負傷し
   10月13日に青木で死去
五十嵐八郎    北窪の人  8月 (9月とも)、鶴ヶ城で戦死
石川鉄蔵  書院番雇会所次番格
唐木辰五郎49歳 助之進の叔父
北沢与吉  相沢平右衛門の家来
小町屋善助  
佐瀬八郎  左十郎の伜 社人
長谷川勇之進28歳 猪苗代隊石山組 足軽
山本丈左衛門72歳 丈八の父 8月 (9月とも)、鶴ヶ城で戦死
 高田/本願寺の幽閉に名がある(別人か?)
松本八太郎20歳 貞蔵の伜 朱雀隊 8月 (9月とも)、鶴ヶ城で負傷し
  11月13日に御山で死去
鈴木善蔵52歳  8月 (9月とも)、鶴ヶ城で負傷し、
  10月3日に幽閉地/猪苗代で死去
本多惣五郎  北窪の人 8月 (9月とも)、鶴ヶ城で死
 
板橋友蔵  別撰佐川隊 8月 (9月とも)、会津で負傷し
   若松/病院で死去
神林権八   8月 (9月とも)、住吉河原で戦死
栃木勘之丞  主馬の父  大砲隊林隊御目付 8月 (9月とも)、戦死
丹生谷(にぶたに)八次郎32歳 喜内の伜 徒士 8月 (9月とも)、御山で死
古川広右衛門  一瀬要人の家来 8月 (9月とも)、坂下今泉で戦死
町田彦太夫70歳 健助の父 8月 (9月とも)、千石町で自刃
屋代与四郎  町野隊付 8月 (9月とも)、桧枝で戦死
山口源吾   8月 (9月とも)、館ノ原で戦死
平石五郎   8月 (9月とも)、柳橋で戦死
渡部主税  普請方 8月 (9月とも)、南町午橋で戦死
樋口幸栄22歳 同朋 8月 (9月とも)、若松で死
中沢善次郎   8月 (9月とも)、会津で死
中沢善次郎の妻    8月 (9月とも)、若松で死
 
佐藤富太郎の母      8月 (9月とも)、飯寺で死
佐藤富太郎の娘  
籾山重之進の母   8月 (9月とも)、岩崎村で死
小松重兵衛の妻   8月 (9月とも)、塩川で自刃
簗瀬(やなせ)とめ32歳 豊之進の妻 8月 (9月とも)、小田垣で戦死
矢野善八の母   8月 (9月とも)、旗町で死
雪下サタ36歳 熊蔵の妻 豊治・熊之助の母  8月 (9月とも)、鶴ヶ城で死
雪下豊治 14歳  熊蔵の次男 熊之助の兄
阿部左衛門の娘   城下で負傷し御山病院で死去
原五郎三の母      8月 (9月とも)、若松で戦死・虐殺
 原五郎の母並びに姉妹三人は白装束と為り長刀を振て敵中へ斬り入り終に姉は討死せしも数多の敵を切る 是れ誠に天下の英婦〜
原五郎三の姉  
原五郎三の妹  
遠藤とく      8月 (9月とも)、若松で死
大石弥五右衛門の母  
黒沢逸右衛門の妻  
高橋誠八の母  
千葉権助の娘  
三宅武太郎の祖母   8月 (9月とも)、若松で死
松野久吉の家族   8月 (9月とも)、家族全員が死
束原助三郎の祖母      8月 (9月とも)、会津で死
雪下左次郎の母  

≪ 水 戸 藩 士 ≫

江幡義之介      8 (9) 月、会津で戦死
大森弥惣衛門  弥三衛門とも  家老
高田秀三郎  徒士
滝徳太郎  与力
福田儀介  寺社役
佐々木治兵衛   戊辰年、会津/若松で戦死
薄井友衛門    郷士  戊辰年、会津で戦死
石川幹三郎  
高橋与蔵  
高久彦三郎  徒士
松本辰蔵  徒士目付
宮田金蔵  馬廻
宮崎弥助  合図役
高橋木一郎  喜一郎とも 戊辰年、会津で病死

≪ 佐 倉 藩 士 ≫

小柴小次郎      8月、会津で陣没

≪ 長 岡 藩 士 ≫

中田良平    中間杖突  8月下旬、大山祇辺で戦死?

参考文献 ; 幕末維新全殉難者名鑑など  .
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