今回は、まず伊佐須美神社に参拝。 駐車場から町中を徒歩で、ぶらり散策する。 車で行っても、高田城跡以外は駐車できる。 天海大僧正の略歴については、こちら。 |
永禄元(1558)年、天海大僧正が植栽と伝えられる。 本殿の東側にある幹周4メートルの大樹。 伊佐須美神社については、こちら。 ▲(会津美里町高田字宮林甲4377 Tel.0242-54-5050) |
↓ 200m
子に恵まれなかった船木景光と妻が、子どもを授かるよう境内にある文殊堂に祈願したところ、兵太郎 (天海大僧正) を授かったと云われる。 今では、日本三大文殊の一つとして受験生に人気。 清龍寺については、こちら。 ▲(会津美里町文殊西甲3611 Tel. 0242-54-2786) |
↓ 620m
慈眼大師御誕生地天海大僧正が生まれた船木家の敷地跡。幼名/兵太郎と名付けられた。 石標があるだけ。 [生誕の逸話] |
道路斜め向かいの会津美里町公民館の敷地にある。
. ▲(会津美里町字高田甲) |
護法石 天海大僧正の誕生を記念して両親が屋敷内に祀ったと伝わる。 「天一」の文字が陰刻されている。 天海大僧正石像 昭和53(1978)年建立。 |
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↓ 360m
天海大僧正が得度した名刹。 兵太郎から随風と名を改めて、3年間修行。 天海大僧正木造坐像が安置 (拝観は要予約)。 . 龍興寺については、こちら。 |
浮身観音八葉堂 天海大僧正が見た霊夢によって、村境にあった浮目 (浮身) の水田から発見された観音像。 |
天海大僧正両親の墓 本堂脇の浮身観音堂裏の墓域にある。 五輪塔2基が父/船木景光とその妻の墓。 |
舜幸法印の墓天海大僧正を得度させた第29世弁誉舜幸法印。歴代住職墓域にある宝筐印塔5基の真ん中。 ▲(会津美里町龍興寺北甲2222-7 Tel. 0242-54-2446) |
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天海大僧正の母は、蘆名氏一族の娘と伝えられる。 高田城に居城していたと云う。 父/景光が高田城主 (館城) とも。 今では、町立高田中学校の北側に土塁が残るのみ。 ▲(会津美里町字布才地 辺り) |
↓ 990m