戊辰の役で長岡が陥落したため、長岡藩銃士隊/山本帯刀たちは、八十里越を越えて会津に入る。
会津藩士400余人と連合しを潰走させる活躍をするも、濃霧のため連合軍から離れ離れとなる。
慶応4(1868)年9月8日、会津藩陣地と誤認して飯寺河原へ進む。
霧が晴れるや敵兵のど真ん中、奮戦するも32名が戦死し14名が生け捕りにされる。
宇都宮市/六道口に、明治7(1874)年建立の戊辰之役戦士墓がある。
と戦って戦死した旧宇都宮藩士と会津藩士の墓碑であるが、山本隊の慰霊も含まれているといわれる。
山本隊が捕えられた直後、まだ長賊が来る前 (実際に来たのは薩兵) にと、山本が旧宇都宮藩士/戸田三男に託した愛刀と軍資金200両をもとに、帰藩後に建墓されたものだからである。
愛刀は、宇都宮護国神社の宝刀として秘蔵されている。
慶応4(1868)年9月8日、飯寺の戦いで32名が戦死、
捕縛された14名も降伏を拒否し、全員が斬首された。
「藩主から戦いを命じられるも降伏は命じられていない、
ましてや官軍と偽る賊軍には降伏できない」
と。
奇しくも、慶応の年号が替わる日であった。
| 山本帯刀 義路 | 大隊長 | 24歳 | 斬首 |
| 渡辺豹吉 | 山本帯刀従者 | 斬首 | |
| 新 与源次 | 山本帯刀家来 | ||
| 倉沢弥五兵衛 | |||
| 雨宮敬一郎 | 銃兵 | ||
| 稲垣喜助 | |||
| 増井弥平 | |||
| 長沢金太郎 茂昭 | 崇徳館教授 使番 | 49歳 | |
| 篠崎繁右衛門 | 銃士 | ||
| 中島富弥 | |||
| 松井松五郎 | 銃士 | 斬首 | |
| 鳥居留五郎 | 銃士 | ||
| 神戸菊五郎 | 銃士 | ||
| 能勢彦太郎 | |||
| 中川音三郎 | 銃士 | ||
| 寺田善右衛門 | |||
| 千本木林吉 正義 | 銃卒隊長 | 28歳 | 斬首 |
| 渡辺三平 | 山本帯刀家来 | ||
| 佐藤伊之七 (伊野七とも) | 銃卒 | ||
| 佐藤正吉 (正吾とも) | |||
| 長島兵八 (平八とも) | 銃士 | ||
| 室橋政七 (茂呂橋とも) | 斬首 | ||
| 長沢虎市 (中沢とも) | 銃卒 | ||
| 田島十次郎 | 銃卒 | ||
| 内藤作之助 | 銃士 | ||
| 高橋彦右衛門 | 銃卒 | ||
| 永相亀太郎 (亀次郎とも) | |||
| 川越辰次 | |||
| 大平杢之助 | |||
| 久保曽左衛門 (本名不詳) | |||
| 阿部弥亀太 (弥龍太とも) | 銃卒 | ||
| 吉田充太郎 (重太郎とも) | 銃卒 足軽 | 15歳 | 斬首 |
| 山口辰次郎 | |||
| 大宮兵太 (平太とも) | 銃卒 | ||
| 八木藤太 | |||
| 長沢亀之丞 (本名不詳) | |||
| 岡本甚十郎 | |||
| 篠田愛作 | 銃卒 | ||
| 本木小太郎 | |||
| 高橋辰蔵 | 銃卒 | ||
| 勝沼留吉 | 望月忠之丞従者 | ||
| 辰次 | 中間 | 斬首 | |
| 永戸九郎左衛門 | 銃士 | ||
| 丸山菊五郎 | |||
| 安田大太郎 (代太郎とも) | 銃卒 | ||
| 山本慶山 | |||