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 [知る] ご 縁 の あ る 地鹿 児 島 県 と の“ご 縁” | 
| 喜界町 | 喜界島に棲息の蝶「アサギマダラ」が、毎年の夏に裏磐梯 (猪苗代町) に飛来 [情報提供:今家裕久 氏]    . | 
| 鹿屋市 | 示現寺/源翁禅師が開山した玉泉寺があった (現在は玉泉寺児童公園) | 
| 鹿児島市 | 禁門の変までは同盟軍として、京都の治安などに尽力。 | 
| 会津の金山職人が製蝋の技術を伝授 
 元禄年間(1688〜1704)、会津の金山職人が、桜島の櫨の実が製蝋に適していることを発見し、親しかった鹿児島藩へ蝋絞り技術も伝授した。 やがて製蝋に大成功し、莫大な利益をもたらして薩摩藩の財政を潤した。 薩摩藩が「櫨の耕作制度」を強制したため、当初は農民を苦しめたという。 後に、薩摩藩の繁栄を知った福岡藩は、秘かに持ち帰った話しが残っている。 ・櫨の実を弁当箱の底に隠し、その上に飯を盛って持ちかえった ・福岡藩/那珂川村の庄屋/高橋善蔵が、おにぎりの中に入れて持ち帰った 薩摩藩は藩外不出の極秘事項として流出を厳しく取り締まったが、江戸時代中期頃には西日本各地の各藩に広まり、各藩の財政を潤すまでに至った。 <「会津絵ろうそく」と併記>    . | |
| 大山捨松の夫/大山巖の出生地 (薩摩藩士) (家老/山川尚江重固の末娘。 知識人で教育者、鹿鳴館の華と称される、赤十字篤志看護会理事) | |
| 西郷隆盛の弟で元帥海軍大将/西郷従道の出生地 (墓は多磨霊園) 山川捨松の婚約に尽力し、武田惣角の高弟でもある | |
| 鶴ヶ城と同じく日本100名城の1つ 「鹿児島城」 がある | 
| 指宿市 | 旧会津藩士/加藤忠平の墓 (西南戦争に出征) | 
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 鹿児島県庁前 →(九州道、中国道、山陽道、舞鶴若狭道、北陸道、磐越道) → 鶴ヶ城 |