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ご   縁   の   あ   る   地

 多くの人々との 「ご縁」 の中で、人は同じ時代を生きている。
 時の流れである歴史の中でも、様々な人々と網目のような 「ご縁」 がある。
 きっと、あなたも、会津と 「ご縁」 があるはず。

徳 島 県 と の“ご 縁”


 鳴門市  会津若松市と親善交流都市提携 (平成11年10月30日締結)
 藩士/松江久平の長男/松江豊寿が、俘虜収容所/所長として赴任
 (ドイツ兵捕虜を人道的に扱い、感謝した彼らによって第九が初めて演奏された)

 徳島市  新選組[会津藩配下]隊士/馬越三郎の出身地 (徳島藩)
 新選組[会津藩配下]隊士/木下巌の出身地
 (木下弥三郎とも  母成峠の戦いで戦死、享年23歳)
 日本三大民踊の「阿波おどり」がある (会津磐梯山おどり、岐阜県/郡上おどり)
 鶴ヶ城と同じく日本100名城の1つ 「徳島城」 がある

 小松島市  藩主/蒲生氏郷の妹/三条殿が嫁いだ豊臣秀吉を祀る豊国神社


人気の観光スポット    構成する市町村


 徳島県庁前 →(徳島・高松道、神戸淡路鳴門道、山陽・中国道、舞鶴若狭道、北陸道、磐越道)→ 鶴ヶ城
   ・830Km
   ・11時間

  ◇ 公共交通機関
     徳島駅 →(高速バス、山陽・東海道新幹線、東北新幹線、磐越西線) → 会津若松駅
      ・8時間

     徳島空港 → 羽田空港 →(モノレール、山手線、東北新幹線、 磐越西線) → 会津若松駅
      ・5~6時間


 戦国時代末から徳川による泰平の世が到来の短い間だけでも、会津藩主とのご縁ですら多くが重なり合っている [相関図]。 その後の江戸時代には、大名同士の輿入れ・養子縁組は多岐にわたり、ほとんどが親類縁者といわれている。
 藩主の娘の嫁ぎ先や、次男三男坊などの養子縁組には、当人だけでなく大勢のお伴を連れて行ったはず。 それらの人々も、その地で生涯をまっとうしたはず。
 様々な職人による技術などの交流には、師弟関係などの深い関係があったであろう。
 居住の地では、近所との交際も広がったであろう。
 菩提寺が一緒なら、 「ご縁」 は間違いなし ?!
 戊辰の役では長賊らによる卑劣な汚名により、全国に散った元/藩士たちが家族を養うために出身を隠せざるを得なかった。 菩提寺の過去帳を調べれば、曾祖父・曾祖母などの ご縁が判明するかも。
 昭和時代の高度成長期には、就職や転勤などで全国規模の交流が加速した。

きっと、あなたも、会津と 「ご縁」 があるはず。

 (補)
  ・江戸時代以前は、国府、藩庁、居城の地のみに記載。
   実際の「国、藩」の地は広域にわたっているので、各自勘案されたい。
  ・平成の大合併により多くの旧名が消え、新しい市町村名に記載。


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