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ご   縁   の   あ   る   地

徳 島 県 と の“ご 縁”

板東俘虜収容所

 ドイツの租借地/青島で捕虜となったドイツ兵/約1千名を約2年10か月間使用した収容所。
 所長に任命された松江豊寿は、父/久平から武士道の人道意識を受け継いでおり、長賊らが跋扈する陸軍省上層部の意向に反して叱責されても「武士の情け」を繰り返し、
彼らは祖国のために戦った愛国者であって決して犯罪者ではない」との意思は変えなかった。
 捕虜らの自主活動を奨励して最大限に自由な行動を許可し、近隣住民との交流さえ許している。
 心優しい風土の地域住民たちも、松江の方針に賛同・支持し、大いに協力している。
 誇り高きドイツ兵たちは、処遇に感激し、持てる技術・知識を惜しみなく伝授した。
 養鶏・養豚などの牧畜、野菜の栽培などの農業、建築に関する設計・施行・配管の技術、楽器修理、金属加工などを積極的に指導している。 所内には図書館・印刷所・製パンや製菓など80種ほどの施設が設けられ、俘虜らによる新聞「ディ・バラッケ」も発刊された。
 近隣の町村では、バターまでが作られ、ドイツ菓子が販売されるほどだったという。
 身を案じてドイツから来日した捕虜の妻たちは、いつでも面会することが許されていたので、近くに移り住んだ。
 そして、感謝された松江たちに贈られたものは、俘虜たちによる日本で初めての「ベートーベン/第9交響曲」演奏であった。
 大正6(1917)年6月10日、徳島/霊山寺で日本初演奏。
 年末恒例となっている同曲演奏の始まりは、ここが発祥の地である。
 評価は国内だけにとどまらず、世界的にも非常に高い。
 跡地のうち東側の約3分の1が「ドイツ村公園」になっており、給水塔やバラッケの基礎部が残っている。  配置図(263KB)  見取図(256KB)
 ▲(鳴門市大麻町桧字東山田55/板野郡板東町)

バラッケ (細長い宿舎)

 平成18(2006)年、1棟が近くの「道の駅第九の里」に移築され、店舗施設/物産館として利用されている。
 国の登録有形文化財。
 ▲(鳴門市大麻町桧字東山田53)

鳴門市ドイツ館

 元/俘虜らから寄贈された品々や、俘虜収容所の模型、関連資料などが展示されている。
 平成30(2018)年6月、演奏100年を記念して前庭に松江の銅像も建立された。
 ▲有料
  (鳴門市大麻町桧字東山田55-2
    Tel. 088-689-0099 )   ・撮影禁止

四国八十八箇所

 最も有名な札所巡り。
 全国津々浦々にある札所巡りの原点とも。
 そのスタートである第一番札所が、霊山寺。
 ▲(鳴門市大麻町板東塚鼻126 Tel. 088-689-1111)


阿波おどり

 日本三大民踊の「阿波おどり」の本拠地。
  (会津磐梯山おどり、岐阜県/郡上おどり)

阿波おどり会館  阿波おどり会館では、阿波おどりミュージアムや、夜に開演の阿波おどりを楽しめる。
 1階の土産コーナーには品数も豊富で、とても親切。
▲阿波おどり会館 (徳島市新町橋2-20 Tel. 088-611-1611)

徳島城

 鶴ヶ城と同じく日本100名城 (76番) の1つ。
 天正13(1585)年、蜂須賀家政が築城。
 明治2(1869)年、廃城。
 城跡が国指定の史跡、表御殿庭園が名勝。
 ▲(徳島市徳島町城内)

豊国神社

豊国神社

 慶長19(1614)年、蜂須賀家政・至鎮の父子が豊臣秀頼より拝領の木造豊太閤像を神体として、別当/豊林寺とともに創建。
 後に徳川幕府をはばかって、蜂須賀4代藩主/光隆が壮大な大社を取り壊し、豊林寺も廃寺となる。
 改称されていた日吉宮を、周辺氏子によって豊国神社の名に戻された。
境内4社
 境内社の御縣神社、住吉神社、瑜伽神社、加藤清正神社もある。
 ▲(小松島市中郷町豊の本4)

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