会  津  の  著  名  人

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《 へ 》 江  戸  幕  末

 (ジョン・)
  ヘンリー
  ・スネル
 John Henry Schnell、1843年〜1871、プロイセン人。
 日本名:平松武兵衛。 エドワルド・スネルは弟。
 万延元(1860)年、通商条約を締結したプロイセンの領事/書記官として赴任。
 慶応3(1867)年、弟/エドワルドが新潟で武器輸入の商社を設立し、家老/梶原平馬へライフル銃や弾薬を納入した縁で、書記官を辞めて会津藩の軍事顧問に就任、翌年の正月から会津に居住。
 松平容保より日本名/平松武兵衛が与えられ、屋敷も提供された。
 軍歴があったようで、江戸/芝〜三田付近で暴漢に襲われた時に拳銃で追い払っている。
 開城が決まるや、ゴールドラッシュに沸く米国/カリフォルニアで開拓することを提案。
 明治2(1869)年、日本人妻/ジョウや藩士・家族37名を引き連れゴールド・ヒルに移住し、「若松コロニー (Wakamatsu Tea and Silk Colony)」と名付け開拓を開始した。
 この中に、子守りとして雇った“おけい”も加わっていた。
 日本から茶や桑などが育たず、1年ほどで経営は破綻した。
 1871年4月、必ず戻るとの言葉を残して金策のため日本へ向かったとされるが、二度と戻っては来なかった。
 そして、希望の「若松コロニー」は、消滅した。
 明治4(1871)年、アメリカ移民の日本女性第1号の“おけい”も、19歳の若き生涯を異国の地で閉じた

平兵衛

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