戊  辰  の  役  /  殉  難  者

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寿徳寺 境外墓地に 記載のない殉難者

 京都の治安は極度に悪化し、京都所司代と京都町奉行だけでは無理と幕府は判断した。
 文久2(1862)年、新たに京都守護職の役職を設け、雄藩/会津藩に就任を命じた。
 同時に、不逞浪士を取り締まる組織として「壬生組 (新撰組)」の募集を開始した。
 京都の治安を回復するという共通任務のもと、両者は運命的に出会う。
 想像を超える激務であったが、自らも厳しい内規を設け遵守した。
 彼らの活動は目覚ましく、孝明天皇からも絶大な信頼を得る。
 しかし、天皇が暗殺されるという思いも寄らない悲劇が起こる。
 運命の神も、彼らに見方をしなかった。
 やがて、
 武家社会の終焉とともに、多くの若者たちが散っていった。

(右側面) の殉難者については、こちら。
(左側面) の殉難者については、こちら。

(注) 年号の記載のないものは、慶応4(1868)年/明治元年。
赤羽音吉 26歳 元/会津藩士。
11月5日、回天隊の指揮下で奮戦するも、松前城攻略戦で戦死。  墓は法華寺
阿比留鋭三郎 22歳 阿比類、阿比原、栄三郎、栄三良、栄之介とも。元/対馬藩士。
文久(31863)年4月6日、病死。  墓は京都/壬生寺
甘地一撰稔 26歳位 越後出身 (常陸国土浦とも)。
1月5日、淀で戦死 (脱走とも)。
荒井邦八郎   国八郎とも。
明治元(1868)年、函館で戦死。
飯田七九郎   1月6日、淀千両松で戦死 (5日とも)。
家里次郎 26歳 伊勢松坂/小林清右衛門の次男。  欣浄西徳居士。
文久3(1863)年4月24日、権力闘争に巻き込まれ、常安橋会所で切腹。
石尾健吉   11月5日、蝦夷/松前城攻防で戦死。
石田入道   8月21日、母成峠(勝軍山)で負傷し後に死去。詳細不詳。
井上新左衛   慶応3(1867)年12月18日、近藤勇が狙撃された時に護衛として応戦し討死。
上原栄作   植田とも。遠江浜松出身。
3月6日、甲州勝沼で戦死。
碓氷昇之助   碓井とも。
11月5日、蝦夷/松前城攻防で戦死。
逸見勝三郎 39歳 「へんみ」とも。甲斐出身。
1月5日、淀千両松で戦死。
岩関喜三郎   明治2(1869)年、蝦夷で戦死。明治元(1868)年とも。
大崎壮助   大崎とも。元/会津藩士。
3月6日、甲州勝沼で戦死。
大場久輔 25歳 久助とも。籍は会津藩士。  墓は北海道松前/法華寺。篤実院顕義日忠居士。
明治2(1869)年4月20日、法華寺墓地で切腹。
大谷良輔   河内/法善寺村出身。 京都/光縁寺に埋葬、後に大阪/神宮寺の恩地墓地に改葬。
慶応元(1865)年3月4日、入隊直後に切腹 (事故死とも)。
小川信太郎 22歳 信次郎、平国行とも。美濃出身。墓は京都/光縁寺 (市橋鎌吉など5名と合葬)。
慶応2(1866)年2月18日、死亡 (詳細不詳)。
加納惣三郎   京都出身。木綿問屋越前屋の次男。
金銭欲しさで辻斬り強盗をした罪で斬殺。
酒井兵庫   坂井とも。摂津住吉出身。
慶応元(1865)年7月に脱走したため、追手に斬殺。
坂本平三   1月6日、橋本で戦死。
桜井数馬   1月5日、淀千両松で戦死。
桜井勇之進   江戸出身。  墓は京都/光縁寺 (市橋鎌吉、松原忠司など5名と合葬)。
慶応元(1865)年12月12日、死亡、詳細不詳。22歳。
佐々木愛次郎   文久3(1863)年8月2日、女と駆け落ちした罪により斬殺 (8月10日とも)。
長州の間者であったが新選組に寝返ったため長州側が暗殺とも。
佐冶寛 21歳 桑名藩士/佐治頼母為約の3男。
10月24日、七重村で戦死。  墓は箱館/高龍寺。大雄玄機居士。
斯波緑之助 30歳位 和歌山出身 (盛岡出身とも)。
1月5日、淀で戦死 (江戸で脱走とも)。
柴岡剛造   芝岡、剛三、剛蔵とも。
4月23日、宇都宮で戦死 (会津とも)。
柴田八郎   3月6日、甲州勝沼尾坂で戦死。
清水卯吉   9月4日、如来堂で戦死 (詳細不詳)。
白石五六郎   3月6日、甲州勝沼で戦死。
白土友衛   明治2(1869)年、函館で戦死。
鈴木練三郎 21歳 連三郎、伝三郎とも。播磨姫路出身。
8月21日、母成峠(勝軍山)で戦死。
諏訪市二郎   市次郎とも。
1月5日、淀千両松で戦死。
関情助   精輔、清介とも。元/会津藩士。
11月5日、蝦夷/松前城で戦死。  墓は松前/法華寺。顕勇院義進日栄居士。
高橋文二郎   高橋文次郎とも。
9月4日、如来堂で戦死 (行方不明)。
高田文二郎   江戸出身。
9月4日、如来堂で戦死 (詳細不詳)。
谷口四郎兵衛   元/桑名藩士。  墓は東京/護国寺供葬墓地。謙徳院明誉照道居士。
明治2(1869)年5月11日、蝦夷/七重浜で戦死 (負傷し降伏したが惨殺とも)。
殿内義雄   大二郎とも。上総森村出身。
文久3(1863)年3月25日、主導権争いで、四条大橋の上で暗殺。
長尾八郎   明治2(1869)年、蝦夷で戦死。明治元(1868)年とも。
服部幸次郎 27歳 籍は会津藩士。
1月3日、伏見で戦死。 京都/黒谷に慰霊碑がある。
浜田善次   土方歳三附 1月6日、淀で戦死。
円尾啓二郎   丸尾、桂次郎、路次郎とも。歩兵差図役下役。9月4日、如来堂で戦死。
村上清   清士とも。肥後熊本出身。
1月3日、伏見で負傷し、8日に大阪城で自刃。
森庵六之助   六之介とも。
9月4日、如来堂で戦死 (伏見で脱走とも)。
森権次郎   9月4日、如来堂で戦死 (詳細不詳)。
嘉村権太郎 40歳
31歳?
創作では吉村貫一郎。元/盛岡藩士。
1月6日、淀で戦死。明治3(1870))年1月15日に病没とも。  墓は盛岡/恩流寺?。

参考文献 ; 幕末維新全殉難者名鑑など  .
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