偉 人 伝
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斎藤 清 (さいとう きよし) の略歴
近代日本を代表する世界的に評価の高い版画家。 単なる才能ある版画家に止まらず、簡略化した浮世絵の技法に近代的な西洋造形を融合させ、日本的な豊かな感情を移入した木版画技法を独学で創り出した。 日本や外国の風景、女性、町並みなどの木版画で知られるが、コラグラフ、水彩画、水墨画など多彩な表現の足跡も残している。 代表的な「会津の冬」の中には、冬の寒さより心の暖かさを感じさせてくれる。 行きついたところは、生まれ故郷に美を見出したのかも。
◇ 明治40(1907)年~ 誕生~ 父が事業を失敗したため、生れ故郷から離れる。 水が流れるように幼き頃から好きだった絵画の世界に導かれ看板屋に転職。 間もなく独立して看板店を営み絵画を研究する。 ◇ 昭和11(1936)年~ 29歳~ 安井曽太郎の木版画と出会い衝撃を受け、木版画の制作・研究に没頭する。 悲願の二科会展で初入選し、順調な人生を歩むかに思えたが、戦争の激化により 美術団体が次々と解散に追い込まれる。 ◇ 昭和23(1948)年~ 41歳~ 戦争で作画を中断させられたが、奇しくも進駐軍の駐屯により斉藤清の才能が見いださ れ世界へ開花してい。 評価し続け支えてくれたのは米国人を中心とした外国人だった。 ◇ 昭和29(1954)年~ 47歳~ 朝日新聞社を退社し版画の制作に専念。 国内よりも海外で高い評価を得ていたが、国内でも評価が高まる。 アメリカ国務省などの招待で渡米した際、コラグラフの技法と出会う、 ◇ 昭和38(1963)年~ 56歳~ 技法の広がりを研究・修得し続け、表現の多様性を追及。 初めて墨絵の作品を発表。 ◇ 昭和45(1970)年~ 63歳~ 柳津町の冬をテーマとした情感豊かな作品が中心となる。 代表作である連作「会津の冬」に着手する。 ◇ 昭和54(1979)年~ 72歳~ 多くの人々が常に見ることができるようにと、会津若松市や福島県立美術館に自らの 作品を寄贈。 日本各地の公立美術館に貸し出され、次々と回顧展などが企画され、 多くの人々に鑑賞されるようになる。 作品集の刊行も続く。 ◇ 昭和62(1987)年~ 80歳~ 鎌倉市から柳津町に転居する。 制作意欲は衰えず、85歳で連作「会津の冬」100作を完成させる。
当然、作品のサイト掲載は出来ない。 例え出来たとしても、サイトでは作品が醸し出す感動は得られない。 是非とも柳津町にある斎藤清美術館を訪ねて、素晴らしさを堪能されたし。
昭和38(1963)年 56歳
[アネモネ]
[猫(5)]
1月 朴人会展 (日本橋/三越本店) に、水墨画13点を出品。
3月 鷹山宇一・斉藤清二人展 (神保町/スルガ台画廊) 開催。
4月 第37回/国画会展 (東京都美術館) に、「教会5」を出品。
5月 第7回/日本国際美術展 (東京都美術館) に、「アン」を出品。
10月 第10回/斉藤清版画展 (日本橋/三越本店) に、コラグラフ「アネモネ」などを出品。
※ コラグラフとは、版を彫るのではなく、版に紙などの素材を貼り付
けたり塗ったりして作る版画。質感の変化に富んだ自由な表現が容易。
11月 第4回/斉藤清近作版画個展 (京橋/中央公論社画廊) に、コラグラフ「尼僧」などを
出品。
昭和39(1964)年 57歳
[凝視]
[ヌード(7)]
3月 ハワイ大学芸術祭に招待され、ハワイ訪問。
斉藤清版画展 (ホノルル美術館) に、木版画13点、コラグラフ20点を出品、終了後に
寄贈。
4月 ハワイから帰国。
第38回/国画会展 (東京都美術館) に、「ヌード 7」を出品。
5月 日本中国版画交流展 (新宿/小田急百貨店) に、「アネモネ」を出品。
第6回/現代日本美術展 (東京都美術館) に、「ヌード/4、5」を出品。
11月 斉藤清二十年展 (青山/絵画堂画廊) に、代表作80点ほどを出品。
五人展 (青山/絵画堂画廊) 開催。
≪斉藤清・岩橋英遠・平山郁夫・吉岡堅二・山口薫・森芳雄≫
第5回/斉藤清近作版画個展 (京橋/中央公論社画廊) 開催。
昭和40(1965)年 58歳
4月 第39回/国画会展 (東京都美術館) に、「ニューメキシコ」を出品。
6月 斉藤清チャリティー版画展のため、オーストラリアを訪問。
シドニー/プラクスランド画廊と、メルボルン/マイヤー・ミュラール・ホールで開催し、
国立美術学校で木版画の実技をする。
帰路タヒチに立ち寄り、取材。
7月 オーストラリアから帰国。
8月 斉藤清版画展 (日本橋/三越本店) 開催。
9月 第1回/新秋会版画展 (日本橋/高島屋) に、出品。
10月 現代日本版画国際展受賞作家展 (BSN美術館) に、「凝視」「ヌード赤」を出品。
11月 第1回/斉藤清油絵個展 (銀座フォルム画廊) 開催。
昭和41(1966)年 59歳
[ヌード(G)]
4月 第40回/国画会展 (東京都美術館) に、「想い」を出品。
国画会四〇年の展望 (日本橋/三越本店) に、「凝視」を出品。
9月 第2回/新秋会版画展 (日本橋/高島屋) に、「ヌード B」などを出品。
11月 斉藤清版画展 (日本橋/三越本店) 開催。
昭和42(1967)年 60歳
[Winter in Aizu(11)]
1月 日米版画展 (新宿/京王百貨店) に、「ヌード G」「備前」を出品。
2月 「タイム/2月10日号」の表紙に載せる佐藤栄作の肖像を依頼される。
3月 第2回/斉藤清油絵・ドライポイント個展 (銀座フォルム画廊) 開催。
4月 第41回/国画会展 (東京都美術館) に、「若芽」を出品。
5月 近代日本の版画 (東京/国立近代美術館) に、「凝視 花」「唐招提寺」を出品。
6月 現代版画四人展 (赤坂/村上画廊) 開催。
≪斉藤清・畦地梅太郎・平塚運一・森義利≫
日本現代八人展 (アメリカ/サンディエゴ美術館) に出品。
9月 斉藤清版画展 (インド文化省主催) のため、インドを訪れる。
第3回/新秋会版画展 (日本橋/高島屋) に、「秋」などを出品。
10月 斉藤清近作版画展 (会津若松市公民館) 開催。 見学に訪れた従弟夫妻から柳津の
雪景色の素晴らしさを知り毎年訪れ、後に転居することとなる。
斉藤清版画展 (日本橋/三越本店) に「若松」を出展。
12月 著書『年賀状版画/日本文教出版』 刊行。
昭和43(1968)年 61歳
4月 第42回/国画会展 (東京都美術館) に、「赤い花」「椿」を出品。
6月 斉藤清水墨画・スケッチ展 (銀座/ギャラリーオカベ) 開催。
9月 斉藤清コラグラフによる版画展 (日本橋/東邦画廊) 開催。
東西美術交流展 (東京/国立近代美術館) に、「門」を出品。
10月 斉藤清を中心とする日本現代版画展 (アメリカ/デトロイト・ギャレックス画廊) 開催。
昭和44(1969)年 62歳
1月 斉藤清版画展 (カナダ/グレーター ビクトリア美術館) に50点ほどを出品。
4月 斉藤清コラグラフ・ドライポイント展 (赤坂/村上画廊) 開催。
第43回/国画会展 (東京都美術館) に、「夕陽」を出品。
7月 斉藤清展 (アメリカ/サンディエゴ美術館) 開催。
出席のため渡米し、ポートランド美術館で実技指導を行い、ポストン美術館に「赤いヌー
ド」の版木を寄贈。
9月 斉藤清水墨版画展 (日本橋/三越本店) に、「会津の冬」などを出品。
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参考文献:生命の指標 斎藤清など
<作品の画像は非公開> .
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