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≪ 大 徳 寺 と の  ご 縁 ≫

▲(京都市北区紫野大徳寺町53 Tel. 075-491−0019)

黄梅院 (おうばいいん)

黄梅院

 蒲生家の菩提寺で、藩主/蒲生氏郷の墓がある。
黄梅院  永禄5(1562)年、織田信長が父/信秀の追善供養のため大徳寺98世/春林宗俶を招聘し創建。

 ▲通常は非公開 (京都市北区紫野大徳寺町83-1
      Tel. 075-492-4539)

総見院 (そうけんいん)

総見院 総見院

 織田信長の五輪塔がある。
 天正10(1582)年10月10日(信長の百か日)、豊臣秀吉が信長の後継者として大徳寺で盛大な葬儀を執り行った。
 翌年の一周忌に信長の塔所/総見院を創建し、遺骸がないため木像を2体造り、1体を火葬して灰を納め、1体を安置し供養。
 「総見院殿贈大相国一品泰厳大居士」に由来。
 ▲通常は非公開 (京都市北区紫野大徳寺町59 Tel. 075-492-2630)

正受院 (しょうじゅいん)

正受院

 藩主/蒲生氏郷の妹の墓がある。
 慶長年間(1596-1615)、関一政が修復し檀越となる。
 関一政、正室、次男の墓が並んでいるが、一番大きい墓が正室。
 ▲非公開 (京都市北区紫野大徳寺町78-1
        Tel. 075-491-7838

芳春院 (ほうしゅんいん)

芳春院 芳春院

 七尾城の城主/前田利政の墓がある。
 正室が、蒲生氏郷の娘/籍姫。
 利政は母/芳春院の分骨地に埋葬された。

 ▲通常は非公開 (京都市北区紫野大徳寺町55
        Tel. 075-492-6010)

三玄院 (さんげんいん)

三玄院 石田三成の碑 三玄院

 石田三成の墓がある。
 三成の娘が、藩士/岡重政へ嫁ぐ。
 関ヶ原の戦いで敗れ、晒された首は春屋宗園や沢庵宗彭に引き取られ、三玄院に埋葬。 「江東院正軸因公大禅定門」
 辞世「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と
    ともに消えゆく 我が身なりけり

 ▲通常は非公開 (京都市北区紫野大徳寺町76 Tel. 075-492-5039)

聚光院 (じゅこういん)

聚光院 聚光院

 千少庵の墓がある。 [肖像]
 茶人でもある蒲生氏郷は、千利休切腹の累が女婿の嗣子/少庵にも及ぶのを恐れ、鶴ヶ城において庇護した。
 少庵の茶室「麟閣」が、鶴ヶ城内に現存している。
 少庵あっての三千家 (表千家・裏千家・武者小路千家) として、麟閣は三千家が出揃う唯一の場所でもある。
 ▲通常は非公開 (京都市北区紫野大徳寺町58 Tel. 075-492-6880)

大徳寺

 正中2(1325)年、大燈国師/宗峰妙超が開基。
 龍宝山。 本尊は釈迦如来。
 臨済宗大徳寺派大本山。 本坊は、通常 非公開。

 境内塔頭は20ヶ寺院を超えるが、公開されているのは高桐院、瑞峯院、大仙院、龍源院 のみで、原則 非公開。
 
    
高桐院
  
瑞峯院
    
大仙院
  
龍源院
 
 
 
    
雲林院
  
玉林院
    
興臨院
  
孤篷庵
 
 
    
真珠庵
  
大光院
  
大慈院
  
徳禅寺
  
如意庵
 
  
養徳院
  
来光寺
  
龍翔寺
  
龍光院
  
龍泉庵
   .
松源院

 松源院、天瑞院、金龍院、大源庵は廃寺となったが、松源院は昭和55(1980)年に奈良県宇陀市で再興された。

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