戊  辰  の  役  /  殉  難  者

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下     郷     町

以下の緑色の文は、現地の「説明板」から  .

笹沼金吾 (正法寺)

笹沼金吾の墓

 大内宿の突き当たりの小高い山の斜面にある。
 金兵衛の弟。砲兵隊頭取。
 慶応4(1868)年8月29〜30日、大内宿に迫った長賊らに対し奇襲をかけた後、大内峠に後退し迎撃体制をとった。
 野村悌之助など40名が戦死するほどの激戦であった。
 その中で、笹沼金吾は近くの水車小屋に潜み、長賊らを待ち伏せた。
 長賊らが通り過ぎるのを待って、後方から敵兵12人を斬り伏せ、壮絶な最期を遂げた。
 遺体は逆さ吊りにされ、村外れに晒された。 享年35歳。
正法寺

 普請方/斎藤新太郎 (32歳) も近くに埋葬されたが、今では不詳。

 ▲(下郷町大内山本51)

戦死二十四人墓

戦死二十四人墓

 県道131号沿いで大内ダム東側の途中にあり、小さい標識が目印。
 山を上ると、行き止まりの駐車場に至る。
 脇の平場の、うっそうとした草むらの奥にある。
 会津藩士は小出勝之助だけで、他の23人は長賊側についた宇都宮藩兵。
 高い標柱が合祀の"戦死二十四人墓"であるが、小出勝之助の単独の墓として、脇に小さな墓もある。
 大内ダムができる前は、沼に面した山の中腹に眠っていた。

戦死二十四人墓  慶応戊辰年 (一八六八) 九月一日より翌未明に亙り日光口守備隊長山川大蔵は、大内峠に據り長賊ら佐賀・宇都宮・大田原の各藩の兵を迎撃す。
 この戦斗で宇都宮藩大沢富三郎以下二十四名の戦死者の霊を供養せんと地元有志にて茲に墓碑を建立せり。
 「戦死二十四人の墓」は、大内ダム建設に際して当地に移転安置された。
 この墓碑は、これを後世に伝えるため建立したものである。
   昭和六十年六月一日
                 下郷町  大内区  電源開発株式会社

 ▲(下郷町大内薬水)

戊辰戦争で焼け残った家


戊辰戦争で焼け残った家 .

 ▲(下郷町南倉沢)     .


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