目黒 道琢 |
めぐろ どうたく、
元文4(1739)年3月10日~寛政10(1798)年8月31日 (60歳)
名:尚忠。 字:恕公。 号:飯渓。
畠山氏の流れを汲む豪農/目黒伊右衛門の次男として野老沢村 (柳津町) にて誕生。
幼き頃より神童と称され、成人すると上京し、曲直瀬玄朔 (7代目/道三) に師事し医を学ぶ。
間もなく頭角を現し、塾頭に就任する。
医術の他に学問にも優れ、評判を聞いた松平定信から招聘される。
明和2(1765)年、招聘を受け、多紀元孝の江戸神田/医学校躋寿館創立に際し教授に就任、病没するまで34年間にも亘り医経を講義する。
寛政10(1798)年、市井の医者としては破格の扱いとなる将軍/徳川家斉に謁見する。
臨床医学の業績は高く評価されており、考証医学を興した中心的な功労者と評価されている。
著作「餐英館療治雑話」「驪家医言」など。
墓は、東京/月桂寺 (非公開)
[墓]
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