大砲白井隊。
慶応4(1868)年1月5日、鳥羽で負傷し、江戸へ搬送中に停泊した10日に、友軍の足手纏いにならぬよう念興寺で自刃した。
享年28歳。
「慈光院釈信了」
墓域の最上段近くに、土肥仲蔵の墓と並んである。 新しい案内板があるので、すぐ分かる。
幕臣。 京都見廻組隊士。
慶応4(1868)年1月、鳥羽伏見の戦いで負傷し、友軍の足手纏いにならぬよう念興寺で11日に自刃した。
36歳。
▲(由良町大字網代97 Tel. 0738-65-0329)
内藤介右衛門の家臣。
元治元(1864)年の禁門の変で大活躍。
慶応4(1868)年1月、鳥羽伏見の戦いで負傷し、
江戸へ搬送中の18日に死去。
享年28歳。
「釈善教信士」
新しい案内板があるので、すぐ分かる。
▲(由良町大字里117 Tel. 0738-65-0371)
会津藩士/佐々木源八の3男。
神道精武流を極め、「小太刀日本一」と称される。
幕府講武所の剣術師範も勤めた。 京都見廻組を率い (与頭)、新選組と最後まで京都の治安維持に努める。
慶応4(1868)年1月6日、鳥羽伏見の戦い/樟葉で負傷し、同月12日の江戸に向かう途中に和歌山/紀三井寺で死去。 35歳。
昭和50(1975)年8月、会津武家屋敷に移された。
ここにある墓碑は、その後に造られたレプリカ。
世はなべて うつろう霜に ときめきぬ
心づくしの しら菊の花
▲入場有料 (和歌山市紀三井寺1201 Tel. 073-444-1002)
[閑話]