参道の左側が墓域となっている。
うっそうとした杉林に包まれ、鮮やかな杉苔で覆われている。
白い説明板が目印。
◇ 中央が会津藩戊辰戦死十二士之墓
◇ 右の墓が笹沼金六
◇ さらに右が三坂喜代之助
◇ 左は南無阿弥陀仏
◇ 左の1歩奥が長谷川丑吉
金兵衛の弟。
遊撃隊/遠山隊差図役。
慶応4(1868)年閏4月25日、白河で戦死。
享年32歳。
容保の京都守護職に従い上洛している。
兄の砲兵隊頭取/金吾も、8月29日の大内峠で戦死した。
「光照院方譽義晃居士」。
一郎右衛門の次男。
会義隊/野田隊。
慶応4(1868)年閏4月25日、白河で戦死。
22歳。
用所使番。
慶応4(1868)年5月1日、白河東町で戦死。
22歳。
墓碑は「長谷川信之 信為嫡男」と読める。
「誠譽忠清信士」。
理八郎の倅。
遊撃隊/遠山隊小隊頭(差図役とも)。
慶応4(1868)年閏4月25日、白河で戦死。
25歳。
墓碑は、明治19(1886)年に建立。
大窪山に、遥拝碑がある。
慶応戊辰ではなく、明治の名が刻まれている。
戦死者名、人数ともに詳細不詳。