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テ レ サ・テ ン の 名 残 を 巡 る

 昭和52(1977)年、三島町は「ふるさと運動」の一環として全国から特別町民を募集した。
 同年3月16〜17日、新曲「ふるさとはどこですか」のキャンペーンとして、特別町民に募集するためテレサ・テンが来町した。
   ※ 2月1日にポリドール・レコード (現/ユニバーサルミュージック) から発売の
     テレサ・テン8枚目シングル。
 三島町の美しい自然にも感動したが、むしろ町民の温かい人柄に魅了されたテレサ・テンは、その後も特別町民として東京で開催された三島町のPRイベンを手伝うなど 「日本のふるさと」 として、生涯、交流を続けた。

<一部が三島町レンタサイクルで巡ると併記>  .

 さあ、所縁(ゆかり)の宮下温泉/ふるさと荘に宿泊し、この地の名残を、訪ねよう。

会津坂下IC (磐越自動車道)

   ↓  17.6Km

宮下温泉 ふるさと荘

 来町の際に宿泊した温泉旅館。
 ミニコンサートや、サイン会も開催された。
 そして、白樺を植樹した。

 ▲(三島町名入上赤谷2437 Tel. 0241-52-2049)

   ↓   《ふるさと荘の左手前》

白樺を記念植樹

 3年後に道路拡張工事のため
美坂高原に移植された。

   ↓   6.4Km


美坂高原

▲(三島町大石田字一ノ原)

   ↓   7.2Km

観光交流館 からんころん

 テレサテンのパンフレットを入手。
 「初めて味わい、美味しさに感動して、作り方を尋ねた」
という三島町産/甘酒 (冬季限定?) も楽しもう。

 ▲(三島町大字宮下字宮下214-5 Tel. 0241-48-5000)

   ↓   80mほど

会津宮下駅

 雪に触れるのが初めてだったようで、残雪の残るホームで はしゃいでいた。
 令和6(2024)年、歌碑が建立された。

 ▲(三島町大字宮下字田中1417)

   ↓  360mほど

三島町役場

 特別町民の入会手続きをした。

 ▲(三島町大字宮下字宮下350 Tel. 0241-48-5511)

   ↓  18.5Km

会津坂下IC (磐越自動車道)


  《補》 食事処 ログハウスどんぐり    <閉店>
 当時、三島町観光協会のスタッフの1人だったオーナーが店主の食事処。 オーナーが上機嫌の時は、当時の話が聞けるとのこと。
 ▲(三島町名入諏訪ノ上410)
    ・10時〜14時
    ・定休 月曜日 (祝日は営業)
    ・会津地鶏もも肉塩焼き定食
 「観光交流館 からんころん」、「会津宮下駅」 から 3.4Km。
《興味があれば》

三島町役場

   ↓  23.4Km

猪俣公章の生誕の地

猪俣公章の生誕の地

 現在は、役場庁舎の駐車場に碑があるだけ

 ▲(会津坂下町字市中三番甲)


   ↓   440m

猪俣公章の墓

猪俣公章の墓

 山門を入って、すぐ左側にある。

 ▲(会津坂下町字光明寺東甲3944)


   ↓  11.1Km

会津若松IC (磐越自動車道)

 
《補足》 台湾に生まれ、1967年に14歳で歌手デビューするや「天才少女」といわれ、一躍人気者になり、数年後には香港や東南アジア諸国でも大スターとなる。
 昭和48(1973)年、父親の大反対を押し切り、日本ポリドールと契約し、初来日した。
 昭和49(1974)年3月、「今夜かしら明日かしら」で日本初デビューを果たすが、ほとんど売れず、出荷した3万枚のシングル盤は返品の山。
 同年7月、失意の中、猪俣公章の作曲「空港」で2枚目のシングルを発売するや、有線放送などで注目され、ロング・ヒット (累計売上80万枚) となり、その後の活躍へと繋がる原点となる。
 同年末の第16回日本レコード大賞において、同曲「空港」で新人賞に選ばれる。
 猪俣公章が提供した作曲 (テレサ・テンの曲でのランキング)。
  ◇ 昭和49(1974)年 7月 1日発売、「空港」シングル売上5位
  ◇ 昭和49(1974)年10月21日発売、「雪化粧」シングル売上6位
  ◇ 昭和52(1977)年12月 1日発売。「あなたと生きる」シングル売上10位
 テレサ・テンは、会津との縁が深い。
<「三島町」と併記>    .
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