[戻る]  [TOP]  [行く]  [遊ぶ]  [知る]    [ご縁メニュー]

ご   縁   の   あ   る   地

 多くの人々との 「ご縁」 の中で、人は同じ時代を生きている。
 時の流れである歴史の中でも、様々な人々と網目のような 「ご縁」 がある。
 きっと、あなたも、会津と 「ご縁」 があるはず。

宮 崎 県 と の“ご 縁”


 延岡市  藩主/保科正之の正室/菊姫の父/内藤政長が、延岡藩主/内藤家宗家の初代

 宮崎市  江戸での旧会津藩の下屋敷と旧佐土原藩の藩邸は隣りで、幕府の格を越えて幕末まで仲良かった 。 (港区三田、現在の綱町三井倶楽部)

 日南市  鶴ヶ城と同じく日本100名城の1つ 「飫肥城」 がある


人気の観光スポット    構成する市町村


 宮崎県庁前 →(東九州道、九州道、中国道、山陽道、舞鶴若狭道、北陸道、磐越道) → 鶴ヶ城
   ・1,510Km
   ・19時間30分

  ◇ 公共交通機関
     宮崎駅 →(日豊本線、山陽・東海道新幹線、東北新幹線、磐越西線) → 会津若松駅
      ・12時間30分

     宮崎空港 → 羽田空港 →(モノレール、山手線、東北新幹線、磐越西線) → 会津若松駅
      ・6時間


 戦国時代末から徳川による泰平の世が到来の短い間だけでも、会津藩主とのご縁ですら多くが重なり合っている [相関図]。 その後の江戸時代には、大名同士の輿入れ・養子縁組は多岐にわたり、ほとんどが親類縁者といわれている。
 藩主の娘の嫁ぎ先や、次男三男坊などの養子縁組には、当人だけでなく大勢のお伴を連れて行ったはず。 それらの人々も、その地で生涯をまっとうしたはず。
 様々な職人による技術などの交流には、師弟関係などの深い関係があったであろう。
 居住の地では、近所との交際も広がったであろう。
 菩提寺が一緒なら、 「ご縁」 は間違いなし ?!
 戊辰の役では長賊らによる卑劣な汚名により、全国に散った元/藩士たちが家族を養うために出身を隠せざるを得なかった。 菩提寺の過去帳を調べれば、曾祖父・曾祖母などの ご縁が判明するかも。
 昭和時代の高度成長期には、就職や転勤などで全国規模の交流が加速した。

きっと、あなたも、会津と 「ご縁」 があるはず。

 (補)
  ・江戸時代以前は、国府、藩庁、居城の地のみに記載。
   実際の「国、藩」の地は広域にわたっているので、各自勘案されたい。
  ・平成の大合併により多くの旧名が消え、新しい市町村名に記載。


[戻る]  [TOP]  [行く]  [遊ぶ]  [知る]    [ご縁メニュー]

Copyright(C) 会津への夢街道(Kazuyosi W = KU) All Rights Reserved.