福岡藩領/鐘崎浦/漁村の町人/喜六の息子。
新選組隊士(大砲方下役)、会津では器械方頭取下役。
鳥羽伏見、甲州勝沼を経て、斎藤一とともに会津で奮戦。
母成峠の戦いの後、仙台で土方歳三たちと合流し蝦夷へ渡る。
後に仏門に入り、「独眼巨海 (鷹林巨海)」を名乗る。
明治36(1903)年、死去。 69歳 (64歳とも)。
「當山二十三世 獨龍巨海大和尚」。
歴代和尚の墓所にあり、際立っている。
▲(笛吹市春日居町桑戸513 Tel. 0553-26-2249)
本名:兵蔵。 上暮地/高山九平の長男。
慶応3(1867)年6月頃、新撰組に入隊。
しかし、同年12月に脱走。
大正3(1914)年2月27日、故郷で死去。 75歳。
本堂裏の墓域の中ほどにある。
▲(富士吉田市上暮地3-1-1
Tel. 0555-22-3084)
米太郎(幼名)→ 有無之助 → 無二三。
甲州山梨郡日川村の医師/結城景仲の息子。
自称:「新撰組隊士」「京都見廻組」。
慶応4(1868)年頃には、駿河や沼津にいた模様。
明治45(1912)年5月17日、死去。 68歳。
墓域の頂上にある。 墓の裏側に墓誌あり。
▲(山梨市南1374)