伊祖治の父。 朱雀足軽二番隊/桜井隊。
慶応4(1868)年閏4月17日、下野/大桑村で戦死。
32歳。
国道121号の旧道沿いの石段を上った墓域にある。
▲(日光市五十里の東端付近)
寛文元(1661)年、保科正之公が糸沢村 (南会津町) にあった番所を、横川宿の今市方(南側)入口に移した。
現在は、横川如意輪観音堂の境内に「史跡 会津藩横川関所跡」の標柱があるのみ。
慶応4(1868)年8月28日、わずかな守備兵で、侵略してきた芸州藩兵と交戦した所。
清水伝左衛門知義 同じ観音堂の境内の片隅に、関所やぶりをされた責任をとり、文化10(1813)年8月3日に切腹した武士/清水伝左衛の墓がある。 村人に盆踊りを踊る許可をしたが、踊りの最中、番所内の庭に立ち入ってしまった。 藩の知る所となり責任を取り切腹した番役人との説も。 「宝誉道敬清居士」。 |
▲(日光市横川周辺 会津西街道沿いにある)