偉     人     伝

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春   日   八   郎

 浅草で藤山一郎のステージを見て歌手に憧れる。
 エンジニアを志し13歳で上京し、苦学の末に早稲田大学高等学院理科に入学するが、時が過ぎても憧れが薄れるどころか増すばかり、やがて東洋音楽学校へ進む。
 音楽学校を卒業し、ムーランルージュ新宿座に入団、歌手を目指し活動を開始する。
 キングレコードのコンクールに合格し準専属歌手となっても無給、先輩歌手の前座を務めるも、進駐軍の払い下げ品を闇市で売って生活をするほど赤貧の状態が続く。
 一時は歌手を諦め、田舎へ帰るか、新聞社へ転職しようと思ったという。
 紹介された作曲家/江口夜詩の家に毎日のように通い、掃除から肩揉みまで行ないながら最後のチャンスと考え、曲を作ってもらえるよう願いながら、歌の研鑚に努めた。
 そして、運命の「赤いランプの終列車」を作曲してもらう。
 レコード関係者などは、無名の新人がヒットを飛ばすなどとは思ってもいなかったが、ひたむきに歌唱力を身に付け才能を延ばす八郎を見て江口夜詩だけは見抜いていた。
 引き続き「お富さん」の爆発的な大ヒット、「別れの一本杉」とヒットしを続け、当時の「流行歌」に取って代わり「演歌」の分野を拓いた人物といわれる。
 「故郷歌謡」という新天地を築いた点には、異論はあるまい。
 その後、三橋美智也、三波春夫、村田英雄、島倉千代子らが演歌に登場し、美空ひばりがデビューする。
 やがて、北島三郎、都はるみらが出て演歌の全盛期を迎えるが、八郎は演歌歌手の第一人者であり続け、生涯、歌唱力が衰えることはなかった。
 生涯に吹き込んだ楽曲は通算1千6百曲を超え、レコード総売上は7千万枚を超した。
 このコーナー以外の主な楽曲については、こちら。
 現在でも毎年、新たなアルバムが発売され続けている。

 余談ではあるが、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の主人公/両さん (両津勘吉) は、春日八郎の大ファンである。
 「Wけんじ」として漫才界で一世を風靡した「宮城けんじ (本名/寺島文雄)」は、コンビ結成前の10年間ほど春日八郎の専属司会として全国を回っていた。

大正13(1924)年

10月9日
 会津坂下町塔寺で誕生する。
  本名 : 渡部実
  芸名 : 渡部勇助 → 歌川俊 → 春日八郎

昭和11(1936)年

 八幡村立八幡小学校を卒業する。

昭和14(1939)年

 八幡尋常高等学校を卒業する。
 早稲田工手学校に入学する。

昭和16(1941)年

 早稲田工手学校を中退し、東洋音楽学校 (現/東京音楽大学) へ入学。

昭和19(1944)年

 東洋音楽学校を卒業する。
 会津若松陸軍第29連隊に入隊。

昭和20(1945)年

 台湾より復員。

昭和22(1947)年

 ムーランルージュ新宿座に入団し、 芸名/渡部勇助として本格的に歌手活動を開始する。
 はじめからヒットに恵まれるはずもなく、赤貧の時代を過ごす。

昭和23(1948)年

 ムーランルージュ新宿座を退団。
 キングレコードの第1回歌謡コンクールに合格し、芸名/歌川俊の名で準専属歌手となる。
 無給だったためアルバイトをしながら、歌の研鑚に励む。
 やがて、前座を務めさせてもらっていた先輩歌手/三門順子に紹介を頼み、作曲家/江口夜詩に師事する。

昭和24(1949)年

 キングレコードに入社する。
 その後、キングレコードの専属歌手として生涯を貫き通す。

昭和27(1952)年

 前年に制作されたデビュー曲「赤いランプの終列車」が大ヒットし、歌手としての地位を決定付けた。

  12月 デビューシングル
     「赤いランプの終列車  / (旅の踊り子:三条町子)

昭和28(1953)年

  2月 「月の渡り鳥    / (別れの出船:照菊)
  3月 「涙のジャガタラ船
  5月 「次郎長旅しぐれ  / (おでん恋姿:日本橋きみ栄)
  6月 「大利根小唄    / (悲恋岬の船唄:双見真沙子)
  6月 「弥次喜多おんど  / (奴さん踊り:照菊・若原一郎)
  7月 「おしどり街道   / (咲かず散る花:双見真沙子)
  8月 「街の燈台     / (熱海エレジー:三岐麗子)
  9月 「舞鶴物語     / (母恋いしマヌス哀歌:宮城しのぶ)
  10月 「伊太郎くづし
  10月 「男なりゃこそ」  / (女心は紅椿:照菊)
  11月 「赤城の別れ    / (浮名笠:照菊)
  11月 「ギター流し    / (ハマのあだ花:三岐麗子)
  12月 「雨降る街角    / (下田エレジー:三岐麗子)

昭和29(1954)年

 歌舞伎の演目「与話情浮名横櫛 (通称/切られ与三・源氏店(げんやだな))」に登場する“お富”と“与三郎”を題材にした「お富さん」が125万枚を超えるヒットとなり、紅白歌合戦の初出場を果たした。
 当初、「お富さん」は所属の歌手/岡晴夫の歌として作曲されたものだったが、岡はフリーとなり日本マーキュリーレコードに移籍したため、キングレコード文芸部担当の重役/町尻量光が、めきめき頭角を現してきた新人/春日に決めたのだった。

  1月 「嘆きの城ヶ島       / (母かずらの歌:三岐麗子)
  2月 「旅の燈台         / (北海の歌姫:尾崎幸江)
  3月 「青い月夜だ        / (さすらひの子守唄:双見真紗子)
  5月 「小雨の駅にベルが鳴る   / (島で暮らせば:照菊)
  5月 「奄美恋しや        / (恋の島むすめ:三岐麗子)
  5月 「雪の丞変化        / (お初仇なさけ:照菊)
  6月 「街の霧笛         / 若い船頭さん
  6月 「北洋音頭         / (湯の川小唄:尾崎幸江・林伊佐緒)
  7月 「海の男さ」        / (白い燈台:三岐麗子)
  7月 「博多流し
  8月 「お富さん         / (生命をかけた恋ならば:照菊)
  9月 「月夜がらす        / (流れ三味線:西村つた江)
  10月 「裏町夜曲
  11月 「開拓音頭 (山は晴れたよ) / (牧場は楽し:林伊佐緒)
  12月 「月夜のトランペット    / (青いトラジ:双見真沙子)

 ≪紅白≫「お富さん」 第5回NHK紅白歌合戦に初出場 (15人中8番目)

昭和30(1955)年

 前代未聞の大ヒット「お富さん」の偉業の影響が大きくのしかかり、小ヒット・中ヒットはするものの満足するヒットには恵まれなかった。
 キングレコード社の廊下で、見知らぬ者が声をかけてきた。
 作曲した曲を聞いて欲しいという。
 焦っていた八郎は、聞くことにする。
 良い曲であった。
 焦っていなかったら、無名の作曲など聞かなかったであろう。
 神は、見捨てていなかった。
 出会った曲「別れの一本杉」は大ヒットし、八郎の名は「故郷歌謡」の歌手として不動のものとなった。
 無名の船村徹も、作曲家としての著名を得ることになった。

  1月 「瓢箪ブギ      / おいとこそうだよ
  2月 「流転子守唄     / (むすめ鳥追:大路はるみ)
  3月 「海の若人      / 白菊の歌
  3月 「流れる涙      / (午前零時に泣く女:三条町子)
  3月 「浜松屋 (弁天小僧) / (お仙茶屋:作大路はるみ)
  4月 「浪花夜曲      / (妾の星よ:西村つた江)
  4月 「タヌキマンボ    / (あきれた現代版:双見真沙子)
  5月 「妻恋峠       / 雨の裏町
  6月 「街の潮路      / (君を呼べども:吉岡妙子)
  6月 「男だぜ       / (忘れましょう:西村つた江)
  7月 「月はまんまる    / (幸福音頭:照菊)
  8月 「泣き虫人生     / (君恋千鳥:大路はるみ)
  8月 「流転の夜      / 嘆きの夜霧
  9月 「男の舞台      / サーカス人生
  9月 「すすり泣く恋    / (紅あざみの歌:三條町子)
  11月 「別れの一本杉    / (君は海鳥渡り鳥:三橋美智也)
  11月 「海から来た男    / (炎のバラ:佐藤千枝子)
  12月 「旅路遥かに     / (君よいつ帰る:西村つた江)

昭和31(1956)年

  1月 「夕陽は燃えて    / (夜を呼ぶ女:佐藤千枝子)
  2月 「次郎長茶ッ切りぶし / (無理かいな:斎藤京子)
  3月 「月夜の船唄     / (峠のカルメン:大津美子)
  4月 「お軽と勘平     / (花が散るぞえ:若原一郎)
  4月 「駕籠で飛ばせば   / (聞いて頂戴お月様:斎藤京子)
  4月 「海の純情      / 船唄月夜
  5月 「浮草の宿      / (せめてものブルース:西村つた江)
  5月 「夢があるから    / (青い月夜の並木路:大津美子)
  6月 「昨夜の別れた港町  / (燈台むすめ:双見真沙子)
  6月 「恋の権八      / お染島田
  6月 「若い選手      / (オリムピックの歌:林伊佐緒・井口小夜子)
  6月 「フランテンの唄   / (豊年まつり:三橋美智也)
  6月 「月の嫁入り舟    / (みれん峠:ユー・久保とアロハスターズ)
  7月 「島の燈台      / (津軽を越える姉妹:大路はるみ)
  8月 「チャルメラ人生   / (今夜も泣いてたお姐さん:斎藤京子)
  9月 「夕焼け雲の歌」   / (月が出たのに:尾崎幸江)
  9月 「街の枯葉」     / (そよ風の使者:中川姿子)
  10月 「トチチリ流し    / (涙の船唄:照菊)
  11月 「俺と影法師     / 風が呼ぶから
  12月 「ふるさと郵便    / (燈台のある岬:石井千恵)

 ≪紅白≫別れの一本杉」 第7回NHK紅白歌合戦に2回目の出場 (24人中23番目)

昭和32(1957)年

  1月 「泣きべそギター
  2月 「流転がらす      / (泣かせておいてネ:斎藤京子)
  3月 「多助馬子唄      / (熱い思いを:石井千恵)
  3月 「直侍         / (今頃は半七さん:照菊)
  4月 「ごめんヨかんべんナ  / 俺は野良犬
  4月 「弱虫小僧       / (波止場のメリー:大路はるみ)
  4月 「俺は山の男さ     / (飯場の娘:西村つた江)
  6月 「夕暮れ峠       / (椿また咲く:石井千恵)
  6月 「うきよ船頭      / (あゝ川中島:斎藤京子)
  6月 「故郷は遠い空     / (峠の馬ッコ:三橋美智也)
  7月 「片羽三味線      / (お顔見たさに:照菊)
  8月 「海はおふくろ     / (おちょろ舟唄:照菊)
  8月 「青い海原       / 嘆きなさんなマドロスさん
       ※ 東映映画「青い海原」の主題歌
  9月 「あん時ゃどしゃ降り  / (憎いひと:照菊)
  10月 「母の便り       / 行くぜさいなら
  11月 「苦手なんだよ     / (おさらば東京:三橋美智也)
  11月 「破れ太鼓       / (哀しみの海:石井千恵)
  11月 「大江戸飴売り唄    / (旅は浮雲:斎藤京子)
       ※ 東映映画「恋風道中」の主題歌
  11月 「恋の急行便      / 諦めた恋
       ※ 松竹映画「見事な求婚」の主題歌
  12月 「別れの裏町      / (おそかった:香川万知子)

 ≪紅白≫「母の便り」 第8回NHK紅白歌合戦に3回目の出場 (25人中22番目)

昭和33(1958)年

  1月 「男は泣かない       / (目なしダルマ:石井千恵)
  1月 「居酒屋          / (街の子守唄:三船浩)
  2月 「ホレ出航だ        / (母恋い星:斎藤京子)
  2月 「瞼の母          / (おんな仁義:照菊)
  3月 「街を歩こう        / (冷たい舗道:香川万知子)
  4月 「さらば港町        / (いらぬ御世話さ:香川万知子)
  5月 「郭公啼く里        / (元気でナ達者でナ:水原淳)
  5月 「アイ・ラヴ・ユー・マダム / (お話しして:大津美子)
  5月 「松吉街道唄        / 御免なすって佐太郎さん
  6月 「からす勘三郎       / (露地の花:石井千恵)
  7月 「別れの燈台        / (島の見える峠:三橋美智也)
  7月 「男は度胸さ        / (バイバイ波止場:文京子)
  7月 「札幌小唄         / (札幌音頭:三橋美智也)
  8月 「酒場しぐれ        / (花になりたや:香川万知子)
  8月 「俺は海鳥         / (その灯を消すな:高倉健)
  9月 「おとっつぁんやァい    / (三味線ながし:宮千加子)
  10月 「海猫の啼く波止場     / (赤い夕陽の故郷:三橋美智也)
  10月 「鴎に聞いたよ       / ギター泣かせて
  11月 「いとしの千代さ      / (鴎と娘:河野真佐子)
  12月 「おとぼけさん       / (銀座のハイティーン:宮千加子)

昭和34(1959)年

  1月 「ほろ酔炭坑節        / 男の未練
  1月 「おケイちゃん
  2月 「街角の雪女         / (あなたのいない街:大津美子)
  2月 「あれから十年たったかなァ  / きまぐれマドロス
  3月 「親子旅唄          / (夜の彼岸花:福原千恵子)
  5月 「おさらば港         / 俺はやっぱり荷車だ
  6月 「東京の蟻          / (ガラスの宝石:宮千加子)
  6月 「乗合バスがもう出るよ    / (淋しいなァ:矢上恵美子)
  6月 「鶴亀おんど         / (関西ロマンス:三橋美智也)
  7月 「三味線風来坊        / (うぐいす船頭:福原千恵子)
  7月 「裏町劇場          / 舵子は海の子
  9月 「山の吊橋          / (泣き虫バンジョー:宮千加子)
  9月 「汚れた顔の月        / 東京運河
  11月 「足摺岬           / (麦ふみ坊主:三橋美智也)
  11月 「他国の酒場         / (今日も来た道:木下幸子)

 ≪紅白≫「東京の蟻」 第10回NHK紅白歌合戦に5回目の出場 (25人中25番目)

昭和35(1960)年

  1月 「ふるさと無情     / (りんご娘:下谷二三子)
  1月 「鰊場の女       / (流れのバラライカ:石井千恵)
  3月 「東京モナリザ     / (からっ風野郎:三島由紀夫)
  4月 「ギターは知っている  / (赤い手袋:矢上恵美子)
  6月 「ホームラン音頭    / (紅白音頭:三橋美智也)
  6月 「海の太郎ぶし     / (船出哀しや:三橋美智也)
  10月 「寒流         / (達者でナ:三橋美智也)

 ≪紅白≫山の吊橋」 第11回NHK紅白歌合戦に6回目の出場 (27人中14番目)

昭和36(1961)年

  2月 「恋の磐梯山     / (東京ソーラン:石井千恵)
  6月 「長良川旅情     / (雨の第三日曜日:矢上恵美子)
  11月 「下町坂町泣ける町  / (女の夢はただ一つ:矢上恵美子)

 ≪紅白≫「長良川旅情」 第12回NHK紅白歌合戦に7回目の出場 (25人中15番目)

昭和37(1962)年

  3月 「風林火山の唄 / (武田節:三橋美智也)

 ≪紅白≫「風林火山の唄」 第13回NHK紅白歌合戦に8回目の出場 (25人中6番目)

昭和38(1963)年

  6月 「長崎の女  / 別れの夜汽車」

 ≪紅白≫「長崎の(ひと)」 第14回NHK紅白歌合戦に9回目の出場 (25人中23番目)

昭和39(1964)年

  8月 「ロザリオの島  / 島の灯」

 ≪紅白≫「ロザリオの島」 第15回NHK紅白歌合戦に10回目の出場 (25人7中番目)

昭和40(1965)年

  2月 「夫婦善哉     / 泣きぼくろ
  4月 「燃ゆる白虎隊
  4月 「新選組の旗は行く
  8月 「あの星と語ろう  / 大阪の灯

 ≪紅白≫「大阪の灯」 第16回NHK紅白歌合戦に11回目の出場 (25人中3番目)

昭和41(1966)年

立木観音の記念歌碑

 生家に近い立木観音 の入り口に、歌碑が建立。
 曲名は、思いでのヒット曲「別れの一本杉」記念歌碑。

  7月 「熱海の雨    / 湯の町峠」
  10月 「波止場で待ちな / ギター流して三年目」

 ≪紅白≫「波止場で待ちな」
       第17回NHK紅白歌合戦に12回目の出場 (25人中12番目)

昭和42(1967)年

 個人事務所として、株式会社春日プロモーション (現/春日プロ) を創立し、代表取締役に就任する。

  2月 「花かげの恋  / ふるさとギター」
  10月 「浅草人情   / 東京波止場」

 ≪紅白≫「花かげの恋」 第18回NHK紅白歌合戦に13回目の出場 (23人中16番目)

昭和43(1968)年

 日本レコード大賞「特別賞」を受賞する。

  3月 「倉敷の女     / 男の悔恨
  7月 「たそがれの砂丘  / おとこ同志

 ≪紅白≫「たそがれの砂丘」
       第19回NHK紅白歌合戦に14回目の出場 (23人中17番目)

昭和44(1969)年

  10月 「会津の女  / 桧原湖哀歌
  11月 「別れ酒   / 城下町

 ≪紅白≫別れの一本杉」 第20回NHK紅白歌合戦に15回目の出場 (23人中5番目)

昭和46(1971)年

  10月 「博多の恋 / 柳川旅情」

昭和47(1972)年

 著書「どしゃ降り人生 (日本図書販売・出版れいめい)」が発行される。
 株式会社春日プロモーションの代表取締役に就任する。

昭和48(1973)年

 文化庁芸術祭音楽部門大賞を受賞する。

  5月 「雪の谷戸城    / (雛鶴峠:大月みやこ)
  9月 「雪国の女     / 花いちもんめ
  10月 「どしゃ降り人生  / ふたり船

昭和49(1974)年

  7月 「あゝ弘前城  / 播州赤穂城磯」
  10月 「惜別     / 波止場雨」

 ≪紅白≫雨降る街角」 第25回NHK紅白歌合戦に16回目の出場 (25人中21番目)

昭和50(1975)年

 東京馬主協会の理事に就任する。

  4月 「天下泰平 / 友よ」
  10月 「霧島の女

 ≪紅白≫赤いランプの終列車
       第26回NHK紅白歌合戦に17回目の出場 (24人中21番目)

昭和51(1976)年

  6月 「北の酒場 / 終着駅はまだ遠い
  11月 「或る女  / ふるさとの女」

 ≪紅白≫あん時ゃどしゃ降り
       第27回NHK紅白歌合戦に18回目の出場 (24人中21番目)

昭和52(1977)年

  7月 「望郷詩  / 故郷ってなんだろう」

 ≪紅白≫「望郷詩」 第28回NHK紅白歌合戦に19回目の出場 (24人中22番目)

昭和53(1978)年

  8月 「さよなら宗谷 / 海に歌えば」

 ≪紅白≫「さよなら宗谷」 第29回NHK紅白歌合戦に20回目の出場 (24人中17番目)

昭和54(1979)年

 9月 「夜行列車  / 波止場ばなし

昭和55(1980)年

 9月 「別れた故郷  / 港のみれん雨」

昭和56(1981)年

 著書「ふたりの坂道 (翼書院)」が出版される。
 日本歌手協会の常任理事に就任する。
 会津坂下町の名誉町民となる。

  8月 「ふたりの坂道  / 恋の長崎雨の街

昭和57(1982)年

  2月 「美濃の女  / (こころの飛騨路:水野あけみ)
  6月 「国後の女  / 一年ぶりに

昭和58(1983)年

  4月 「矢切の渡し  / 港宿」
  8月 「会津鶴ヶ城  / 会津ご自慢ばやし」

昭和59(1984)年

 メガロポリス音楽祭「特別賞」を受賞する。

  7月 「その後のお富さん  / 再会お富」

春日八郎の手形(浅草公会堂)

昭和60(1985)年

 1月、芸能人の証といわれている浅草公会堂/スターの
    広場へ手形を納める

  3月 「しのぶ宿  / ふたりの明日」

昭和61(1986)年

  2月 「船長〜男の潮騒〜  / ボトルを面舵に」

昭和62(1987)年

 日本芸能実演家団体協議会の理事に就任する。

  2月 「演歌ひと節  / 未練雨」

昭和63(1988)年

 親交の深かった「三橋美智也、村田英雄」と「三人の会」を結成。
 最盛期を過ぎていた演歌を活性化しようと3人でチャリティー・コンサートを開催するなど活動したが、体調が思わしくない兆候が見え始めていた。
 (有)キット総合企画を設立し、代表取締役に就任する。

  8月 「あゝさすらい / 人情居酒屋」

平成元(1989)年

 日本歌手協会の理事に就任する。
 紫綬褒章を受賞する。
 年末には、11年ぶりに紅白歌合戦に出場する。
 これが最後の紅白出場となった。

  2月 「人生酒  / 迷い鳥」

 ≪紅白≫お富さん」 第40回NHK紅白歌合戦の第1部に21回目の出場

平成2(1990)年

  8月5日 ラストシングル
       「旅人  / 新宿むかし通り」

平成3(1991)年

6月
 左大腿部腫瘍の摘出をするため入院する。

9月6日
 キングレコード60周年コンサート (中野サンプラザ) に出演する。
 その後に体調をくずし再入院、最後のステージとなった。

10月22日
 肝硬変と心肺不全により、東京医科大学病院にて20時38分に死去。
 満67歳。
 終焉地は、東京都世田谷区深沢5-16-3。
 没後、勲四等旭日小綬章を受賞。

11月13日
 キングレコード・日本ん歌手教会・春日プロモーションの合同で「音楽葬」が執り行われる。

春日八郎記念公園の歌碑「別れの一本杉」

平成4(1992)年

 思い出の地に、歌碑「別れの一本杉」が建立された。


春日八郎記念公園・おもいで館

平成7(1995)年

 6月
 思い出の地に、「春日八郎記念公園・おもいで館」がオープンした。

会津坂下駅の広場にブロンズ像

平成15(2003)年

10月12日
 十三回忌追悼記念として、JR会津坂下駅の広場にブロンズ像が建立された。

平成19(2007)年

会津坂下駅の広場

10月13日
 十七回忌追悼記念として、会津坂下駅の広場にあるブロンズ像の脇に「赤いランプの終列車」の歌碑が建立された。
 縦1メートル・横60センチ・高さ65センチほどの歌詞の前に立つと曲が流れる。

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