一、つるの湯温泉の由来
その昔、宝亀二年 (西暦七七一年) 三月二十四日金山早戸邑の川端に温泉湧き出ずる (会津正統記巻一) とある。 これが現在のつるの湯のことである。
その湧き出る温水にて両手、顔を洗いて帰宅した農夫が、翌朝になり気付いたことは 両手にあった二、三ヶ所の擦過傷が殆ど治癒していたことであった。 これにより温泉発見のことが近隣に知れ亘った、と大沼郡誌に記されてある。
「鶴之湯」という名も この縁起によるものと思われるが、宿泊施設を宝亀屋と呼ばれた時代もあった。
二、温泉神社の由来
温泉発見後 神仏儒道及び、その他の修験者、文人等 多数往来あり 我が道布教のため、早戸村の指導者を教導した温泉神社を建立したと思われる。
伝えによると、金山町沼沢に在る沼御前神社が当時の神官により分身勧請されたと言い伝えられて居り神仏交[シ+希]時代である。
例祭は二月二十四日であったが 現在は八月第四土曜日と定めておる。
三、薬師如来の由来
温泉湧出は神仏の加護による為であると言う考えから 薬師如来 (又は大医王仏) をおまつりしたことと思われる。
当時は伊勢神宮、高野山 (真言宗) 参拝よりみるに奈良薬師堂の分身と推察される。 今より千百年以前のことである。
四、結び
温泉発見より今日まで千二百年の間、全国津々浦々から各種階層の人々は、早戸温泉の効能を伝え聞き訪れるもの年間を通じ絶えず 現在に至っている。
昭和二十年代に入り東北電力 (株) が只見川の水を利用して水力発電所建設を進め、宮下ダムの築造に伴い、昔からの源泉水没の為、近くに新源泉を求め、揚湯して現在利用しているが、その効能については少しも変わっていない状況である。
尚、詳しく知りたい方は館主に相談されるようお勧めする。
「正宗の刀に勝る、つるの湯、病の根まで切れる名湯」
昭和六十二年八月二十四日
現在の早戸温泉つるの湯
当施設は、三島町が「早戸温泉交流拠点施設」として平成十六年四月二十三日リニューアルオープンしました。
これを管理運営するため平成十六年地区住民十七名が「早戸温泉つるの湯企業組合」を設立し 指定管理者として管理運営に携わっております。
われわれ組合員は、体と心の癒しの名湯を守り、組合独自の事業として屋形船の運行や温泉周辺の環境整備として 遊歩道の新設・樹木の植栽等を行い さらなる癒しの温泉となるよう頑張っております。