戊辰の役に関する参考書籍 (非公開/スタッフ専用)

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薩長史観の正体 - 歴史の偽装を暴き、真実を取り戻す

 [武田鏡村/東洋経済新報社]

<※ 上記書籍から抜粋>  .

《 帯 》
 150年目に明かされる真実
 「明治維新」という名の洗脳を解く!
 勝者(薩摩、長州)がでっち上げた通史の誤りを徹底究明。
 「薩長史観」と「真相」の対比から、幕末維新の真実を明らかにする。
 会津はじめ旧幕府側の名誉を回復する “反薩長” 本の決定版。

まえがき

 明治維新百五十年、嘘で固められた薩長史観
 「薩長史観」とは何か。 明治政府がその成立を正当化するために創り上げた歴史である。 それは、薩摩や長州が幕末から明治維新にかけて行なった策謀・謀反・反逆・暴虐・殺戮・略奪・強姦など、ありとあらゆる犯罪行為を隠蔽するために創られた「欺瞞(ぎまん)」に満ちた歴史観であるということである。 〜 〜 〜
 一例を挙げよう。 薩長は孝明天皇の拉致(らち)を計画したばかりか、謀略をもって孝明天皇を暗殺したと噂されるが、これらを覆い隠している。 それどころか、幕府討伐のために、不可侵とする天皇の名を使って「討幕の密勅」を偽造して、自己の正統性を(はか)った。
 一番、天皇を(ないがし)ろにして明治維新を進めたのが、薩長である。 〜 〜 〜
 本書の構成は、これまで流布されてきた「薩長史観」と、それによって隠蔽された「真相」を史実に照らして明らかにするものである。

第一部 幕末動乱編

[薩長史観 1] 幕府は外国に対して無力・無策のまま、開国したために倒幕運動が起こった
[真 相]幕府は、薩摩や長州に比べてはるかに開明的で、開国による近代化を進めていた
[薩長史観 2]吉田松陰は、松下村塾で幕末志士の精神を育成し、「至誠 〜 〜 〜 〜
[真 相]吉田松陰は、激情に駆られて変節して、暴力革命を礼賛するテロの扇動家であった
[薩長史観 3]吉田松陰は、明治維新を成しとげた長州の実践的な指導 〜 〜 〜 〜
[真 相]松陰の教えは、数々の暗殺や暴発などテロ行為を正当化し、のちの日本を侵略戦争に駆り立てた
[薩長史観 6]「尊皇攘夷」は孝明天皇の真意で、それを実行した薩長は 〜 〜 〜 〜
[真 相]薩長は天皇を「(ぎょく)」と見立てて、これを利用するため奪い合う醜悪な抗争を繰り広げた
[薩長史観 7]京都で横行した「天誅」は、不正義な守旧派の態度を諫 〜 〜 〜 〜
[真 相]「天誅」は薩長の意向にそった無謀な殺戮で、幕府を弱体化させる意図があった
[薩長史観 8]下関戦争と薩英戦争は、薩長自らが攘夷の無謀さを始め 〜 〜 〜 〜
[真 相]空虚な攘夷に駆り立てられた薩長は、外国との無謀な戦争で日本を危機に晒す暴挙に出た
[薩長史観 10]「池田谷事件」は会津による長州潰しで、それを実行した 〜 〜 〜 〜
[真 相]長州は池田屋で、京都を火の海にして御所を襲い、孝明天皇を拉致する暴挙を計画した
[薩長史観 11]「禁門の変」で長州と薩摩は戦ったが、いずれも尊皇のためであった
[真 相]「禁門の変」は、長州が天皇に(やいば)を向けたもので、尊皇主義を踏みにじる許されない行為である
[薩長史観 13]第一次長州征討は幕府の無能さを露呈させ、倒幕への意気を大いに高めた
[真 相]天皇に刃を向けて朝敵となった長州は、幕府軍の前にひれ伏して恭順を誓った
[薩長史観 16]長州は自力で幕府軍を撃退し、その威光を天下に示した
[真 相]将軍家茂の死と一橋慶喜の変節で、幕府軍は撤兵したもので、敗戦ではない

第ニ部 「慶応維新」編

[薩長史観 17] 孝明天皇の病気による崩御で、英明な明治天皇が即位 〜 〜 〜 〜
[真 相]孝明天皇は、薩摩と岩倉具視の陰謀によって毒殺された可能性が高い
[薩長史観 19]「討幕の密勅」は正式なもので、天皇から幕府討滅の宣旨が下された
[真 相]「討幕の密勅」は偽造されたものであり、その真相は文章に明らかに示されている
[薩長史観 20]大政奉還は、幕府の その場しのぎの愚かな決断である
[真 相]大政奉還は 「慶応維新」 というべき歴史的な偉業であり、世界に誇るべき無血革命で「明治維新」より優れていた
[薩長史観 23]「ええじゃないか」の民衆の狂喜は、伊勢神宮の御札が 〜 〜 〜 〜
[真 相]「ええじゃないか」は薩長が仕組んだもので、騒乱を起こすことにより進軍を偽装するものであった

第三部 戊辰戦争編

[薩長史観 25] 鳥羽・伏見の多田かては、「錦の御旗」を掲げた薩長の聖戦であった
[真 相]「錦旗」は薩長が偽造したものであり、「討幕の密勅」と同じく正統性は全くない
[薩長史観 27]錦旗に逆らった朝敵である慶喜への追討令は当然のことである
[真 相]恭順の意を示した慶喜の追討は、武力で日本を制したい薩長の口実で会った
[薩長史観 28]江戸城の無血開城は、西郷隆盛と勝海舟の歴史的な英断である
[真 相]江戸城を開城させる条件は、反薩長を叫ぶ諸藩を見殺しにするものであった
[薩長史観 30]幕臣の小栗上野介忠順は、新政府に抗した重犯罪人で、 〜 〜 〜 〜
[真 相]小栗忠順は日本の近代化の基礎をつくった大先駆者で、暴虐な薩長の体質を看破した憂国の士であった
[薩長史観 31]会津藩主は天皇の「勅命」によって討たれるべき「朝敵」「逆賊」の筆頭である
[真 相]松平容保は幕末の混乱を正常化し、天皇を守り抜いて奮闘した正義の藩主である
[薩長史観 33]長岡藩家老の河井継之助は、「官軍」に刃向かった逆賊である
[真 相]和平を説いた河井は、征討軍の理不尽な態度のため、やむを得ず挙兵に踏み切った
[薩長史観 35]朝敵会津を徹底的に討伐することは正当なことであり、 〜 〜 〜 〜
[真 相]負傷者の殺害、人肉食、強奪、強姦など、新政府軍は徹底的に会津を蹂躙した
[薩長史観 39]松平容保の命を助け会津藩を斗南藩として存続させた、 〜 〜 〜 〜
[真 相]会津藩士と家族は、下北半島で地を這う生活を強いられたという、極めて重い懲罰を科された
[薩長史観 40]靖国神社は、天皇の赤子(せきし)として国家に殉じた忠誠者の 〜 〜 〜 〜
[真 相]「賊軍」を排除する靖国神社は、薩長史観の本質を露骨に示すものである

あとがき

 かくして「薩長史観」が日本を破滅に導いた
 地にまみれ、多くの人を死に追いやってできたのが、明治政府である。 そのため明治政府の体質は、その成立から闘争を是とする軍事的志向を持っていた。 彼らは、天皇を神聖なものとして戴くことで、その凶暴性を隠蔽して、正当化した。 〜 〜 〜
 日本を血みどろにした国内戦争で築かれた明治政府は、富国強兵を美名にしながら近代化を図って、軍事国家の体制を確立した。 その進む先は、多くの人びとを犠牲にした軍国主義の道である。
 日本が行った他国への侵略と収奪と破壊は、まさに明治の元勲たちが強行した明治維新そのもものやり方であった 〜 〜 〜
 明治維新から百五十年、先の大戦から七十三年目を迎える。 もうそろそろ「欺瞞の薩長史観」の呪縛から解放されて、確かな自由と人権と平和が保障される方向に国を導くときである。 本書がその一助となれば、望外の喜びである。

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≪薩長史観の正体 - 歴史の偽装を暴き、真実を取り戻す≫
[武田鏡村/東洋経済新報社] から抜粋

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