会  津  の  著  名  人

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《 ね 》 幕 末 よ り 前

 根本 精器  ねもと せいき、生年不詳〜文久3(1863)年12月
 名:宗兵衛。 号:己秋庵、梧屋。
 会津の俳人。
 代々塗師の子として大町で誕生。
 天保3(1832)年、全国各地を遊行し、京都では刀研を業とした俳諧の大家/桜井梅室に学び、修業に励む。
 帰郷し、下二ノ町に住み、鍔師として生計を立てる。
 妻/素琴も俳人。
 嘉永2(1849)年、「四季精器集」を自選する。
 安政6(1859)年、江戸にて「野がたま集」を著す。
根本精器の句碑  和紙57枚の句集で、会津で撰された最大の句集とされる。
 「六稚園社」を開き、俳諧の指導に当たる。
 文久3(1863)年、鍔の商いで江戸に滞在中に、急死する。

 文久4(1864)年、菩提寺である正法寺に、門弟たちが句碑を建立。
  「静かさを 人にもうつす 若葉かな
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