慶応4(1868)年4月14日、野口宿に宿営していた撤兵隊約130名が船で那珂川を渡ろうとした時、西軍に急襲され、17名が戦死した。 秋山善保、榎本桂次郎、坂巻錠介、仙石義正、徳田米太郎、山口藤吉、残りの11名は氏名不詳。 不明の1名は、撤兵隊に参加した会津藩士との言い伝えも。 明治22(1889)年、野口の渡しを見渡せる高台に、題字/大鳥圭介による供養塔が建立された。 ▲(常陸大宮市野口1543辺り)