戊  辰  の  役  /  殉  難  者

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本 光 寺 (ネットで墓参)

本光寺
▲(会津若松市門田町飯寺字村西 Tel. 0242-26-2813)
本光寺については、こちら。
 墓域は、本光寺本堂前の駐車場から徒歩3分ほどの場所にある。

長岡藩士の墓

長岡藩士殉節之碑

 戊辰の役で長岡が陥落したため、長岡藩銃士隊/山本帯刀(たてわき)たちは、八十里越を越えて会津に入る。
 会津藩士400余人と連合し西軍を潰走させる活躍をするも、濃霧のため連合軍から離れ離れとなる。
 慶応4(1868)年9月8日、会津藩陣地と誤認して飯寺河原に至る。
 霧が晴れるや西軍のど真ん中、奮戦するも32名が戦死し14名が生け捕りにされる。


無縁戦死供養

 降伏を迫られたが拒否し、全員が斬首された。
 長岡藩の方向に別れを告げ、粛々と散っていったという。
 開城の14日前であった。
 飯寺で戦死した長岡藩士の名 (碑には44名) が刻まれている。
 飯寺村の人々より、密かに埋葬され手厚い法要が営まれたという。
 [伝聞]


長岡藩士殉節之墓

 現在の墓は、昭和31(1956)年に建立されたもの。
 毎年、法要が営まれている。
 その後に山本家を継いだ養子が、連合艦隊司令長官として有名な山本五十六である。
 五十六の妻/禮子 (レイとも) は、旧会津藩士/三橋康守の3女。



長岡藩士殉節之碑

<画像クリックで拡大>     .
 町野武馬書。 長岡藩士殉節之碑の氏名 長岡藩士殉節之碑の説明文

 宇都宮市/六道口に、明治7(1874)年建立の戊辰之役戦士墓がある。
 西軍と戦って戦死した旧宇都宮藩士と会津藩士の墓碑であるが、山本隊の慰霊もこもっているといわれる。
 山本隊が捕えられた直後、まだ長州兵が来る前 (実際に来たのは薩兵) に、山本が旧宇都宮藩士/戸田三男に託した愛刀と軍資金200両をもとに、帰藩後に建墓されたものだからである。
 愛刀は、宇都宮護国神社の宝刀として秘蔵されている。

長 岡 藩 士 殉 節 者

 慶応4(1868)年9月8日、飯寺の戦いで32名が戦死、
 捕縛された14名も、降伏を拒否し全員が斬首された。

 「藩主から戦いを命じられるも降伏は命じられていない、
ましてや官軍と偽る賊軍には降伏できない

と。
 
 山本帯刀 義路 大隊長 24歳   斬首
 渡辺豹吉 山本帯刀従者    斬首
 新 与源次 (與源太とも) 山本帯刀家来  
 倉沢弥五兵衛   
 雨宮敬一郎    
 稲垣喜助   
 増井弥平   
 長沢金太郎 茂昭 崇徳館教授 使番 49歳 
 篠崎繁右衛門 銃士  
 中島富弥   
 松井松五郎 銃士    斬首
 鳥居留五郎 銃士  
 神戸菊五郎 銃士  
 能勢彦太郎   
 中川音三郎 銃士  
 寺田善右衛門   
 千本木林吉 正義 銃卒隊長 28歳   斬首
 渡部三平 (渡辺とも) 山本帯刀家来  
 佐藤伊之七 (伊野七とも) 銃卒  
 佐藤正吉   
 長島兵八 (平八とも) 銃士  
 室橋政七 (茂呂橋とも)     斬首
 長沢虎市 (中沢とも) 銃卒  
 田島十次郎 銃卒  
 内藤作之助 銃士  
 高橋彦左衛門 銃卒  
 永相亀太郎   
 川越辰次   
 大平杢之助   
 久保曽左衛門   
 阿部弥亀太 (弥龍太とも) 銃卒   
 吉田充太郎 (重太郎とも) 銃卒 足軽 15歳   斬首
 山口辰次郎   
 大宮兵太 (平太とも) 銃卒  
 八木藤太    
 長沢亀之丞   
 岡本甚十郎   
 篠田愛作 銃卒  
 高橋辰蔵 銃卒  
 勝沼留吉 望月忠之丞従者  
 辰次 中間  
 永戸九郎左衛門 銃士  
 丸山菊五郎   
 本木小太郎   
 安田大太郎 (代太郎とも) 銃卒  
 山本慶山   

※ 囚われの身を恥とし姓名を明かさなかったため、斬首者名の詳細は不明。

戊辰の役・殉難 「長岡藩家老/河井継之助の埋骨地」 は、こちら。



河瀬重次郎

 幌役。
 慶応4(1868)年8月29日、融通寺町で負傷。
 後に、御山で死去。



島影新兵衛  .

 軍雇。       .
 9月9日、戦死。  .
 詳細不詳。    .

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