会津めぐり、その起りは古く定かでないが、会津めぐり又は観音参りと言えば三十三観音参詣を指し、一度はお観音参りはすべきだと言われ、わが郷土会津では善男善女の信仰の的であり、今日も脈々として続く誠に深い信仰である。
昭和のはじめころまでは、およそ一週間の日程を費やしての巡拝であったろう。
こうもりがさにオムツを干しながら、背に赤ん坊を背負い、着ござを持ち、泣く子をなだめたり、すかしたり、暑い夏に山坂を登り下り、峠を越え先の見えない草道を歩いての巡拝が多く見られた。
それは筆舌に尽せない親子共々の難行苦行であったろうと推察されるし、又このようにして巡拝した古老は苦しかったけれども本当に有難い日々だったと言っている。
広い会津の地内を、南無大慈大悲の観世音と一心に念じながら、足をひきずって巡拝したのである。
何がこんなにしてまで巡拝の気持ちを起こさせたのだろうか。
観世音菩薩の広大無辺なる御利益がいただけることは言うに及ばないことであるが更に次のようなことが言い伝えられている。
各家庭で迎えた妻 (嫁) が主婦の座につくそれまでには広く社会を見聞し、会津をことごとく知ることが必要であった。
観音様の巡拝のかたわらに、足と目と耳で会津の森羅万象を確認しなければならなかったのである。
作物の栽培の仕方、家の造り、風俗習慣、人情の機微、時間と金の大切さを知り、我家に長所を取入れ短所を捨て、足をひきずりながら遠く我が家想う近隣を想う。 時に知る仏の恵と恩、地の恵、このような心のくばりから、自分の心が豊かになり、家を豊かにし、村を豊かにし、会津全体を豊かにした すばらしい主婦の誕生である。
家内円満にして安全、子孫繁昌、家運隆盛で安泰であることを念願しての巡拝である。
このようにして住古より農閑期を利用して会津めぐり三十三観音巡拝が、行なわれていたのである。
三十三観音の札所と観世音菩薩の三十三の化身をかたどった、三十三尺 (十メートル) の反物を三十三反用いて三十三年目毎に掛替えるをはじめとして、「耶麻郡の九観音の札所は九品浄土を、河沼郡五観音札所は五智如来を、北会津西部三観音札所は身口意の三業の清浄を念じ、北部六観音札所は六道輪ね六道解脱を念じ、大沼郡十観音札所は十善戒を守る」といわれている。
観世音菩薩の誓願は三毒は智仁勇の三徳に七難は七福に代えて御利益給わる菩薩様なのである。 御詠歌を唱える時は色々あるはずで、その一は近隣の出産の安産を祈願しての御頼み観音講、先祖の霊をやすめる札打ち御詠歌と又自分達の集団である観音講の歌よみと、お互に現世安穏、往生浄土を願って心の奥から御詠歌をお唱え下さい。
先祖の遺風としてしまわないで、意義を確かめあって会津巡りの美風がいついつまでも続いてほしいと念願するものであります。