江 戸 湾 防 備 (神奈川県) / 殉 難 者

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城   山   墓   地

城山墓地の会津藩士・家族墓

会津藩士・家族墓

 松平容衆台場構築防備任務藩士。
 城山の南側崖上にあり、三浦市指定文化財として登録。
 数年前までは、テレビ受信塔の下だった。

城山墓地の入口


城山墓地の説明文
城山墓地の会津藩士・家族墓 城山墓地の会津藩士・家族墓

≪ 後 列 ≫    .

≪ 前 列 ≫  .

 ≪ 前 列 ≫

了夢童子 如幻童子 智旭香林童子 灌入妙頂童尼 妙穿嬰女

了夢童子 如幻童子  文化十一○戌年 五月十九日  文化○〜○ ○〜七日
   智旭香林童子  會津蘆澤氏
      灌入妙頂童尼  文化十二年乙亥年正月廿五日
              會津礒貝惟道之女母者大庭景長之女導師飯盛山妙音寺

         妙穿嬰女  文政四年○次辛己 四月十二日 渡辺氏


丸山重光之墓 祥雲院完歓室了喜大姉 仁嶽道忠信士 安然妙楽信女 随順院殿永稟教清童子

会津家臣 丸山重光之墓  其地享年四十有三 文化十五年戊寅 四月九日
             丸山君諱重光又名新兵奥會津人五大夫胤里第五子〜

   祥雲院完歓室了喜大姉  文化十癸酉年正月十一日
                 會津 岡田丈右衛門母之墓

      仁嶽道忠信士 安然妙楽信女  文化十酉年三(正?)月二十八日
                 文化十酉年六月廿八日  會津斉藤鉄左衛門墓

         随順院殿永稟教清童子  文化八辛未年十二月十六日  長坂氏


進叟靖退禅定門 頤神院如圓一相居士 石塚清邊妻之墓 玉霄院智環童女

進叟靖退禅定門  文化十癸酉年 六月八日  會津楡井○千昌言墓
   頤神院如圓一相居士  文化十二乙亥年 六月七日
      石塚清邊妻之墓  會津 石塚市郎右衛門
         玉霄院智環童女  文化十三丙子年 正月二十一日


卓然院殿一方宗績居士

卓然院殿一方宗績居士
 井深傳次郎重賢の墓。
 会津/井深家の祖である家老/井深重光の次男/三郎左衛門重喬から数えて四代目。
 家系などが記載されている。
 (片面の碑文は読めるが、もう一方の側面は読みにくい)

 〜〜 文化十四年丁丑十二月十二日相州教授會府野村瑞誌

 ≪ 後 列 ≫

早世慧?童女 勝林常殊信士 會津 玄妙院宗琢信士 原小十郎之墓 井上伊賀之助墓

早世慧?童女  文化十癸酉九月八日  古川氏
   勝林常殊信士  文政三辰年六月廿五日  小林氏
      會津 玄妙院宗琢信士 原小十郎之墓  文政二卯十一月十五日
         井上伊賀之助墓  文化三辰年四月廿七日


歸真證道自休信士霊 息応○休信士 春澤妙融信女 朗月弧雲童子

歸真證道自休信士霊  文化十一戍年十一月十六日  湧井氏
   息応○休信士  文化十癸酉年六月十三日 渡部吉右衛門
      春澤妙融信女  文化十五寅年正月十六日
         朗月弧雲童子  文化十二亥年三月廿六日 會津猪狩荒蔵墓


忠淵持節信士 智到禅定門 樋口光陳之墓

忠淵持節信士  文化十癸酉年 四月廿七日 渡部伴左衛門
   智到禅定門  文化十酉年七月廿四日 町田八良右衛門 ○俗名仁助
      會津 樋口光陳之墓  文政二己卯十一月二日
         唯當義空信士  文化十三年 十月廿九日  浅間喜五良墓


碑 「會津藩」 佐川幸次郎墓

碑 「會津藩」
  大正2(1913)年8月、墓標のない16名を合葬。

佐川幸次郎墓
 文化九年壬申十月廿五日
 會津臣 佐川吉左衛門二男



入り口の小さな歌碑
 入り口に、小さな歌碑がある。  諏訪地区から城山に上る途中で、藩士の墓と共に見つかった。

   ありし世の 昔しに かはる 三崎地に
            吾妻の人も 恋しかるらむ
   (あ里し世乃 昔し尓かはる三崎地に
            吾妻濃人裳恋しかる羅舞)

 ▲(三浦市城山町15)
   地元の「三崎城山会津藩士墓地を守る会」が清掃されている。 感謝。

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